南区の碑
地 区 藻岩下 藻岩 南沢 澄川 真駒内 芸術の森 石山 藤野 簾舞 定山渓

 ポイント
 「さっぽろ みなみ区 碑を訪ねて」に案山子にして尋ね歩く。南区のHPでは文章の使用が禁止されているので、見たままを記載する。
=写真をクリックすると大きなサイズになります=
定山渓地区
 1.旧定鉄滝の沢駅跡(二美桜) <2011.6.27> 周辺地図
 何時も走っている道端に看板があるので、近づいて行くと、八剣山をバックに看板が立っている。看板には二美桜(旧定鉄 滝の沢駅跡)と書かれていた。
駅跡 八剣山を 由緒書き
 愛棒は何度も乗って定山渓温泉に行ったというが、私は豊平駅の記憶はあるが乗ったことはなかった。
 番外.定鉄鱒の沢川橋梁台 <2020.4.13> 周辺地図
 滝の沢停車場跡から300m位小金湯方向に行くと、豊平川支流の鱒の沢川に架かる小金湯東橋ある。
西側 中央 東側
 歩道から鱒の沢川を見下ろすと、定山渓鉄道の煉瓦積橋台が見られる。
 番外.豊平川と定鉄跡 <2021.9.21> 周辺地図
 八剣山の南口から延びる廃道に柵を越えて入って行くと、道路跡に大きな岩が転がっていた。更に、進むと道路は崖崩れで完全に塞がったいた。そこから豊平川の対岸に、定山渓鉄道の鉄路だったと思われる跡が見られた。
廃道 崖崩れ 豊平川 鉄路跡?
 背後には豊平(焼)山、盤の沢山、札幌岳、山田峰、夕日岳等が一望出来た。定山渓鉄道が走っていた当時は、八剣山が見えるこの辺りが一番良い景色だったと思われる。
                               ←大
豊平(焼)山   盤の沢山     札幌 山田峰         夕日岳 
 2.三十三観音(小金湯桂不動)・竜頭観音 <2010.2.17> 周辺地図
 小金湯に下りて行くと、昔の小金湯の面影は全く無く、近代的な真新しい建物が立ち並んでいた。ホテルの駐車場の中に桂の大木が目に入る。大木は変わらず佇んでいたが、周囲は一変しているように思えた。一寸駐車出来る場所を探していると、次から次と車が下りて来る。
三十三観音と桂 黄金竜神社
 どうも邪魔になるので、アイヌ文化交流センターの駐車場に車を入れさせて頂き、桂の大木を見に行く。大木の前には真新しい鳥居があるが、昔の看板「小金湯桂不動記念保護樹木」は見当たらない。樹齢700年の木の洞には観音さんが祀られ、木を取り囲むように石仏が鎮座していたと思うが、雪に埋もれているようだ。
 それと正反対に、黄金竜神社の中に竜頭観音が小奇麗に祀られていた。
 7-1.温泉開祖美泉定山の碑(番外):定山渓温泉東3丁目<2016.9.25> 周辺地図
 定山寺の境内に、「温泉開祖美泉定山」と刻まれた石碑がある。この石碑は、味気なくコンクリートで確り固められている。碑文の向かって左側には、何か刻まれているが「人」の文字しか分からない。
石碑 石仏
 石碑の右横には「定山ハ作州ノ人夙ニ/北渡シ安政以後蝦夷/地ヲ徘徊シ遂ニ此地/ニ入リ無人ノ境ニ浴/場ヲ開ク明治九年十/二月三十日歿ス」と刻まれている。
 その傍に、11体の石仏と1本の石柱が、コンクリートの台座に固定されている。

 実は、南区の碑に取り上げられている石碑は、目の前にあったが墓石の形状なので、石碑とは思えず通り過ごしてしまう。
 7.馬魂碑・馬頭観世音(碑):定山渓温泉東3丁目<2016.9.25> 周辺地図
定山渓神社 祠と石碑群
 定山渓神社の向かって左側奥に祠と石碑群がある。祠の右に大きな馬魂碑があり、石碑を見るが建立年月日は刻まれていると思うが、判然としなかった。
 その碑の裏側に馬頭観世音の碑が2つ並んでいた。向かって左側の碑は、碑側に大正11(1922)年7月15日建立、號二十二才、右側の碑は大正7(1918)年1月26日と刻まれている。
馬魂碑 馬頭観世音の碑(左) 馬頭観世音の碑側 馬頭観世音の碑(右)
 13-1.北海道三景之碑:定山渓温泉東4丁目、定山渓観光ホテル山渓苑入り口<2019.10.7> 周辺地図
石碑
 碑文は「定山渓/北海道三景之碑/小樽新聞社」と刻まれている。碑陰に碑文が刻まれているが、木立が邪魔で全容が見えない。建立は大正13(1938)年10月。
 洞爺湖にも同じ碑があり、碑陰の碑文も同じ内容だ。
 13-2.仙境定山渓の碑:定山渓温泉東4丁目、定山渓観光ホテル山渓苑入り口<2019.10.7> 周辺地図
石碑
 北海道三景之碑の近くに鎮座している。碑側には大阪旅行クラブと刻まれている。建立は大正13(1924)年6月。
 番外.定山渓駅跡:定山渓温泉東4丁目、定山渓観光ホテル山渓苑入り口<2019.10.7> 周辺地図
 サイコロ状の案内板には「札幌市創建120年記念/さっぽろ・ふるさと文化百選/旧定山渓鉄道/平成2年/札幌市/70」と記されている。別面には解説書、写真も載っている。写真は掠れていて良く見えないが「石山付近を走る定山渓鉄道(昭和15年)」の文字が記されている。傍に、札幌軟石が無造作に置かれているが、駅舎に使われていた物のようだ。近くには、男の河童や人形が石に座っていた。
駅跡 サイコロ案内板 カッパ 人形
定山渓鉄道は、大正7年(1918年)白石から豊平を経て定山
渓までの29.9kmにわたり開通した。温泉への利用客の
輸送や豊平川上流の木材、豊羽鉱山の鉱石の運搬などに
利用され、定山渓の発展に貢献した。しかし自動車の普及
により、昭和44年(1969年)半世紀にわたる歴史を閉じた。
ここはかつて終点の定山渓駅があったところで、駅舎の
礎石がわずかに残っている。
 15.かっぱ大王像  別ページ「定山渓園地」
 17.定山坊像:定山渓温泉西4丁目、定山渓ホテル前<2020.11.5> 周辺地図
 公共駐車場から下って、月見橋を渡しながら温泉街を流れる豊平川を覗く。橋を渡りきると左側に定山渓ホテルがありその前に鎮座している。定山没後110年の1986(S61)年11月に定山渓ホテルが建立したようだ。立像の傍には、定山作の薬師如来像が鎮座している。
豊平川 碑・薬師・立像 薬師・立像 碑文
修験者・定山の業績

 修験者・美泉定山は定山渓温泉開発の祖である。
 定山は岡山県の生まれ。慶応二年頃、豊平川上流
に温泉が湧出しているのを聞き、小樽の張碓からア
イヌの若者を先導に山越えして、おの地に至った。
 定山はこの近くを「一の湯元」と定め、「二の湯
元」、「三の湯元」(現在の定山渓ホテルの浴場)を
ひらき、背後に宿泊所を建てて、病む人々を泊め、
祈祷と湯治による治療に尽くした。
 明治四年七月、開拓使より湯守をおおせつけられ、
一心に衆生を救おうと務めたが、明治七年七月、湯
守を辞めてからは窮乏の一途をたどり、温泉経営を
妻キンや雇人佐藤伊勢造らにまかせ、獅子頭を抱え
て札幌、石狩、小樽などを托鉢して回った。
 定山が巡錫先の小樽で亡くなったのは明治十年十
一月四日。遺体は小樽・正法寺に葬られたものの、
その死は定山渓へは伝わらず、山中へ入り行
方不明と流布されてきた。
 定山逝きて百十年、定山渓温泉繁栄の礎を築いた
偉業を讃えて、ここに像を建立する。
 番外.岩戸観音堂・石段:定山渓温泉西4丁目<2020.11.5> 周辺地図
 定山渓観光協会のHPには「岩戸観音堂は日本で2番目の有料自動車道路、小樽定山渓間自動車道の道路工事に命を捧げた 多くの御霊を祀り、併せて交通安全や定山渓温泉の発展を祈願して建立されました。」と記載されている。
 お堂と公園の間に108段の石段があり、その中間地点に錆び付いた照明がある。
お堂 石段と照明
 18.地神碑馬頭観世音(碑)定山渓農地開拓百二十周年記念(碑):定山渓七区<2020.12.6> 周辺地図
地神碑 馬頭観世音碑 開拓記念碑
 定山渓農地神社の鳥居の奥に地神碑、 境内に馬頭観世音碑と定山渓農地開拓百二十周年記念碑が鎮座している。記念碑は60名で平成5年(1993年)9月に建立されたようだ。 
 19.豊平峡の碑:未踏
 22.水源の森 23.定山渓国道 別ページ「望岳台」
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