福住北(608.9m) |
ルート | 四国八十八 | 福 住 |
ポイント 旧炭鉱住宅街だが、沢が意外と入り組んでいる。三角点のある山頂は展望がないが、山頂直下からは夕張岳が望める。住宅跡地に桜が整然と植樹されているので、桜の山になるのが楽しみだ。 |
四国八十八か所ルート |
アクセス 夕張メロン城(廃業)を目指し夕張岩見沢(道道38号)線を走る。夕張市街を通り過ぎ、石炭の歴史村公園が近づくと、左側に福住に上がる道路があるが、、ゲート前は除雪されていなかった。次に、「新四国八十八ケ所地蔵めぐり/新四国三十三ケ所地蔵めぐり/入口」の大きな看板があり入口付近は除雪されていた。更に、奥に進むとメロン城(廃業)の下に、柵だけの冬期通行止めのゲート(正規のゲートまでは除雪されていない)があるが、手前の駐車場は除雪されていた。 国土地理院地図 GPSトラックは山の地図帳「2015.2.21」へ 周辺地図 |
2月21日<2015(H27)年 往復スキー5.047km 登り1:33 下り50> |
地蔵めぐり入口から登って行くと、ワイン城の下から延びている道に突き当たる。分岐地点には「新四国八十八ケ所の由来」と書かれた解説板が立っている。道路沿いには、雪の盛り上がりが続いていた。良く見ると、その一つに地蔵さんが顔を出していた。道の上には小さなシマリスの足跡も続いていた。 |
地蔵めぐり看板 | 解説板 | 地蔵さん | シマリスの足跡 |
未明に降った大きな結晶の雪が、キラキラと光り輝く雪原を辿って行くと、、坑口と思われる穴が覗いていた。雪原には鳥の足跡も続いていた。道端に「夕張環状道路開通」の文字が刻まれている石碑が鎮座していた。碑陰を見ると、漢文調の碑文が刻まれていて、昭和6年8月13日に建立されたようだ。 |
光る雪原 | 坑口? | 鳥の足跡 | 道路記念碑 |
石碑のある尾根へと、ジグを切って登って行くと、真っ白な520m峰が見えて来る。広い道を横切りながら登って行く。振り返ると、石炭の歴史村公園が見渡せ、坑口も開いて見える。林を避けて、谷側に延びる道を選ぶと、ボタ山のような520m峰が見えて来る。 |
520m峰 | 広い道が | 石炭の歴史村 | 520m峰 |
520m峰に寄り道をすると、夕張炭鉱の面影を見渡せる。冷水山は意外と遠くに感じられた。このピークはその形状からズリ山ではないかと思う。 |
小松 石炭の歴史村 高松 冷水山 |
520m峰を後にしてコルから登って行くと、シュカブラ(風紋)が綺麗に見えた。このシュカブラは表面が硬く、中が軟いモナカ雪なので滑る時には、引っかかって手強い。コルから登って行くが、地図上で想像していたのとは違い、意外と小沢や立ち木が行く手を塞ぐ。大きな雪だるまも転がっていた。振り返ると520m峰が見えていた。 |
シュカブラ | コルから | 雪だるま | 520m峰 |
山頂直下は展望の良い平らな地形になり、夕張岳も見えて来る。こんな山の上に住んでいた人が居たなんてどうも信じられなかった。平らな山頂直下から、林の中に入り三角点:福住北を目指す。三角点に到着するもピンクテープも無かった。木立越しには、丁未公園のアンテナや東屋が見えていた。山頂では、長居する気分にはなれず、夕張岳の見える位置まで戻る。そこに、陣取って夕張岳を見ながらココアを飲む。 下りは、大きく迂回しながら滑り降りようとするが、道路を見分けられず、登って来たルートを帰ろうと思うが、モナカ雪にスキーが突っかかり転倒する。思うように滑り降りることが出来なかったので、真っ直ぐに延びる幅の狭い尾根を下ることにする。尾根にはシュプールを描いた跡があるが、ボーゲンで下るのが精一杯だった。下り終えて見上げるが、どうも人車跡のように思えた。ここには、坑道の様にトロッコが動いていたようだ。見方によっては、遊園地にような社宅だったのだろう。 |
夕張岳が | 丁未公園を | 山頂 | 人車跡 |
人車跡から南を見ると、何かの施設が雪に埋もれていた。池のような窪みも見える。遠くには冷水山も見えていた。石碑の所からは、ようやく雪も柔らかくなって滑り降りることができた。 |
何かの施設 | 冷水山 | 滑り降りる |
ルート | 四国八十八 | 福 住 | 住初(未踏) |
山行記録冬山6へ 次福住北(福住ルート)へ アソビホロケール山へ |
---|
二人の山行記録(遊びの時間を含む) 2015(H27)年2月21日 晴れ 往復スキー5.047km 登り1:33 下り50 8:54八十八カ所入口→9:49P520m→10:3→10:27山頂→10:33山頂直下11:00→11:44入口 |