銭函の風景
忠魂碑 機雷 御前水 長谷部虎杖子句碑 旧小樽内川 オタナイの沼 オタナイ発祥の地碑 簡易水道施設跡
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 忠魂碑・機雷<2011(H23).9.28> 国土地理院 周辺地図
 道道1126号線が函館線と交わる南側の山側に豊足神社があり入って行くと、右側に忠魂碑が陳zしている。碑の台には68名の名前が刻まれてプレートが嵌め込まれている。碑裏には「銭函在郷軍人会/大正3年8月建立」の文字が彫られていた。日露戦争当時から亡くなられた方々が祀られているようだ。碑の傍には、穴の開いた丸い鉄の物体がある。その傍に解説板があり、見ると日露戦争時代に、帝政ロシアが敷設したものだった。時代の割には確りしていると思う。
豊足神社 忠魂碑 機雷 解説
 御膳水・長谷部虎杖子句碑<2011(H23).9.28> 国土地理院 周辺地図
 小樽市銭函の国道5号線沿いに信号機「御膳水」があり、そのT字路の山側に車社会に見捨てられたように佇んでいる。「御膳水宮」と長谷部虎杖子(はせべこじょうし)句碑が並んで佇んでいる。駐車場所がないので自動車で訪れる人は皆無だろう。三角の屋根の付いた「御膳水宮」、欠けた石碑に彫られた「明治十四年御巡幸御膳水」の字がかすかに読み取れる。石で囲った円い井戸状の中には水が溜まっている。その傍に、御膳水宮の由来が立っている。
 御膳水の傍に御膳水とどのような係わりがあるのか分らないが、碑文と説明板がある。
御膳水宮と句碑 御膳水 御膳水宮 句碑
御膳水宮

 御膳水宮の由来
明治14年8月 明治天皇の北海道行幸にあたり、小樽港に御招艦を迎え小樽手宮桟橋に御上陸し、手宮駅から御招列車で札幌に向かわれた途中、「煤田開採係出張所」(現:小樽市見晴町285番地先)にて、御小憩された折り、当地の沢水を御飲料になりました。 これを記念して、当地域を「御膳水地」として記念碑を建設し、今日に至っています。
 車組むや
 一滴の油地にひらく
虎杖子
   長谷部虎杖子(本名栄二郎)
明治20年 宮城県に生る。
幼時 両親と共に渡道。
帝国製麻本別工場長を退職後、
神職となり札幌神社頓宮社掌、
大正10年 牛島勝六の俳誌「時雨」の
創刊に参加。
 のち「葦牙(あしかび)」に改組後 主宰となる。
昭和39年 北海道文化奨励賞 受賞。
昭和47年12月26日 札幌にて没。
享年85才。
昭和26年5月
葦牙会員により 本句碑を建立。
 小樽内橋 <2008(H20).2.7>  国土地理院 周辺地図
 新川右岸沿いの除雪された道を進むと、新川の対岸には濁川が合流してくる。バックには奥手稲山、銭函天狗山、春香山、和宇尻山が広がっている。河口近くになると小樽内橋があり、元は半分木造で、車で通るとガタガタ音がして怖かった。今は、木造部分が取り壊されていて通ることができない。橋梁のプレートによると、 1965年(昭和41年)に新川河口の直線化工事をしたときに掛けられたようだ。
2007.10.7 2008.2.7
小樽内橋
 旧小樽内川 国土地理院 周辺地図
 昔は、星置(ペシ・ポキ=水際の・崖下:山田)川と清川(すみかわ)の流れが小樽内川だった。現在は、星置川が直線化工事で直接銭函の海に繋がり、新川が開削されて小樽内川を分断した結果、オタナイの沼が残ったようだ。清川は名前倒れの藪川で、その南側の濁川は名前の通りの川だった。
 旧小樽内川は、銭函海岸に沿った砂丘の間を流れ、石狩(小樽)湾に流れ出していたので、アイヌ語のオタ・ナイ(砂川:永田)やオタ・オル・ナイ(砂浜の・中の・川:知里、市史)の景色が見えて来る。更に、小樽内川の傍に道が出来てくるとオタ・ル・ナイ(砂浜の・道の・川:松浦)となるのではないだろうか。
 小樽内川の左岸の河口には松前藩の小樽内場所が置かれ、それが西へ広がり「小樽」発祥の源となったといわれているが、残念ながら痕跡はどこにもない。小樽の地名の原点なので、看板の一枚でも立てて欲しいと思う。
 新川は1886年(明治19年)から1887年(明治20年)にかけて「琴似川小樽内川大排水」として開削されたが、小樽内川の河口はそのままだったようだ。国土地理院の「地図・空中写真閲覧サービス」を検索したら、1962(S37)年にはオタナイの沼が河口だったが、1966(S41)7月14日には真っ直ぐ海に流れていた。星置川の河口は、1981(S56)辺りから、河口が出現し、1989(H1)年辺りから左岸の河口堤防ができ初め、1993(H5)年には右岸の堤防も出来ていた。
2013.9.27 2012.11.22 2012.11.22
星置川河口 星置川河口から手稲山 清川 濁川
 この風景は、新川河口右岸だが、旧小樽内川の左岸でもある。松前藩小樽内場所はこの辺りにあったのだろうか。
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新川河口(2007.10.7)
 オタナイの沼 国土地理院 周辺地図
 最初、新川は小樽内川に繋げたが、最終的には直線化工事で、小樽内川が分断された。河口の右岸(オタネ浜)に河跡湖として、オタナイの沼が残っている。河口の砂丘に上がってオタナイの沼を探すと、線の様に見えていた。残念ながら沼の辺は藪で、遊歩道は無い。冬には沼を一周できるが、沼の氷が、何時、どの程度凍っているのか分からないので、沼の上を通ることはしなかった。
2007.10.7 2007.10.7(西から) 2008.2.7(東から) 2014.1.20(東から)
オタネ浜 オタナイの沼
 南側にあるオタナイ発祥の地碑から見たオタナイの沼の風景だが、松前藩小樽内場所の幻影を探す。
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オタナイの沼(2007.10.7:南から)
 オタナイ発祥の地碑 国土地理院 周辺地図
 小樽内橋の近くから東へ延びる道に入りると二股になるが、その北側の細い方へ入る。道が荒れてきたので自転車を置き、徒歩で進むと、T字路になり左へ入る。道端には、草で覆われた石碑「オタナイ発祥の地」があった。傍に行くと碑文には「此の地は原名をオタナイと云い石狩町樽川発祥の地である。石狩湾新港建設に関連して小樽市に編入された・(有志の名)略・・・・昭和六十年十月建立」と記され、その裏に詩が刻まれていた。その傍にユニークな方向台がありゼニバコ、オタル等の地名が彫られていた。
 <2007(H19).10.7>
オタナイの碑 碑文 歌碑 方向台
 <2008(H20).2.7>
 小樽内橋から東へ延びる道に入り、オタナイの碑を目指す。オタナイの碑と方位台を結ぶ延長線上には春香山と和宇尻山が見える。オタナイの沼は凍結していて真っ白だった。
東へ伸びる道 オタナイの碑 春香山と和宇尻山
 <2014(H26)1.20>
 西端から反時計回りに回り、オタナイの沼の南側を辿って行くと、オタナイ発祥之地碑があり、その傍に、ユニークな方位盤(方向台)がある。碑文は雪に埋もれていて見えないが、方位盤の雪を除けていたら、溝に雪が入り刻んだ線や文字が良く見えていた。
沼と石碑 方位盤 オタナイの碑
 簡易水道施設跡<2014(H26).1.20> 国土地理院 周辺地図  樽川村移転の碑他
簡易水道施設跡?
 オタナイ発祥之地碑があるオタナイの沼の南側には、樽川村があった。樽川村は1882(明治15)年から石狩湾新港建設のため立ち退いた1971(昭和46)年まで現存した。砂浜はオタネ浜といわれている。
 小川の所に戻ると、石で造られた門柱があり、その奥に、換気口の突き出た簡易水道と思われる施設が見えた。その傍を、何をするでもなく通り過ぎてしまう。もしかしたら、樽川村の簡易水道だったのだろうかとか、小樽内川稲荷神社跡はどこだったのだろうかとか思いながら引き返す。

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