川崎区の宝物2
地区別 1.中 央 2.大 師 3.田島他

 ポイント
 地元の人に聞いても分からないところが有り、ローカル色が強い。宝物一覧は川崎市のHPに載っています。

 アクセス
 京急御大師駅から回る。
 GPSトラックは「2008.5.21」の」地図帳へ 周辺地図
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大師地区
<9>中瀬・大師河原
 9-1.大師稲荷神社:中瀬3-5-12<2015(H27)年5月24日>
 鳥居を潜ると力石が鎮座していた。奥には慰霊碑と忠勇碑があり、慰霊碑の碑陰には支那事変と大東亜戦争の戦没者の名前が刻まれていた。忠勇碑の碑陰には日清、日露戦争の軍人の名前が刻まれていた。隅には地蔵堂も設置されていた。
神社 力石 慰霊碑と忠勇碑 地蔵堂
 9-2.春日山部屋:大師河原2-5-3<未踏>
<10>大師周辺
 10-1.京急発祥の地碑:大師駅前1-18<2008(H20)年5月21日>
 川崎大師駅の一角に記念碑がある。たむろしている人が居て、真正面から見ることが出来ず、あえなく、横から見ることになった。
 由緒書きも見ずに通過する。
石碑 石板
 10-2.池言坊:大師駅前2-1-2<2008(H20)年5月21日>
 最後に、「池言坊」を探すが、ぐるぐる回っても、中々見付からない。ようやく、見つけたら、柵の中にそれらしい石碑があり、それで終わりだった。
 わざわざ、取り上げる程もないと思うが、神奈川の宝物らしい。
池言坊
 10-3.若宮八幡宮・郷土資料室:大師駅前2-13-16 
 <2008(H20)年5月21日>
 若宮八幡宮は幼稚園と地続きなので、境内に入るのには不審者と間違われそうで恐縮する。境内に入ると梨の「長十郎」が植えてあって由緒書きがある。
若宮八幡宮 境内 長十郎 由緒書き
 「大師河原酒合戦三百五十年記念碑」があり、久しぶりに明るいムードになる。次いで、大鷲神社、藤森稲荷大明神を見る。
大師河原酒合戦碑 酒合戦由緒書き 大鷲神社 藤森稲荷大明神
 <2015(H27)年5月24日>
 神社の石碑の碑陰を見ると「皇紀二千六百年記念/昭和十五年二月十一日建立/東京市浅草區浅草橋二丁目三番地/櫻井造酒蔵」と刻まれている。傍には力石もある。境内には保存樹林の指定されていた。馬頭観世音も鎮座していた。
石碑と力石 力石 境内の保存樹林 馬頭観世音
 酒合戦由緒書きは新しくなっていた。碑陰を見ると平成11年5月に建立されたようだ。
新しい酒合戦由緒書き 大師河原酒合戦碑陰
 10-4.若宮八幡宮神輿連合渡御:大師駅前2-13-16<未踏>
 10-5.金山神社・金山神社郷土資料室:大師駅前2-13-16
 <2008(H20)年5月21日>
 金山神社は、何故か「鉄床」がありその上にご本尊さんが鎮座していた。烏口からは正面なのか裏なのかは判然とはしなかったが、成る程と思う。この神社には、沢山の面白いことがあるようだ。
金山神社への道 金山神社 ご本尊さん 正面から
 <2015(H27)年5月24日>
 金山神社のご本尊さんは、一段と黒光りしていた。
金山神社 ご本尊さん
 番外.神明神社(才の神)神社<2008(H20)年5月21日>
 創建六百年の記念碑が建つ神明神社の境内に入り、本殿に進むと、左側に「才の神」が祭られていた。傍に立つ由緒書きを読むと、かぜなどの咽喉の神様にようだ。
 さいの神(歳の神)
 延宝七年(西暦一六七九年)川中島村民によって建てられた赤子を抱いている子育て地蔵のお姿の「さいの神」と左側にはその木地白衣観音といわれる。その「さいの神」はいつ頃からか かぜ、はやりかぜ・百日咳等の咳に希代にごりやくがあると里人の信仰をあつめ現在でも近在近郷は勿論遠く東京横浜方向より参詣する人があとをたたない。古いしきたりによればごりやくを受けた、人は堂前の麻をお借りして咽喉(のど)に巻きごりやくを受けてなおると新しい麻や絵馬を奉納してきた。「さいの神」(道祖神)はもともと地境辻の神で悪疫悪霊が村内に入るのを防ぐ神さまだったようだ。いつかこれが咳の神として信仰を集めるようになったものと思われる。
このことは全国各地に例がない訳ではない。子育て地蔵のお姿の「さいの神」は珍しい。ちなみにこの地は江戸時代の川中島村と大師河原村藤崎との地境に当たる。
 昭和六十年五月吉日 川中島町内会
神明神社 境内 本殿 才の神
 10-6.田町厳島神社:大師駅前2-13-16<未踏>
 10-7.水鳥の祭り:大師駅前2-13-16<未踏>
 10-8.かなまら祭:大師駅前2-13-16<未踏>
 10-9.かわさき大師サマーフェスタ:川崎大師周辺<未踏>
 10-10.川崎大師表参道:大師駅前1丁目〜大師本町・大師町<未踏>
 10-11.だるまサブレー<未踏>
 10-12.馬頭観音:大師本町1-10<未踏>
 10-13.仲見世通り:大師町(表参道と平間寺を結ぶ道<2008(H20)年5月21日>
川崎大師仲見世通り
 飴売りに忙しいみやげ物がある仲見世通り。
 10-14.川崎大師久寿餅:仲見世通り・表参道<未踏>
 10-15.せき止め飴・さらし飴:大師駅前1丁目〜大師本町・大師町表参道〜仲見世通り<未踏>
 10-16.川崎大師のだるま:仲見世通り・表参道<未踏>
 10-17.川崎大師平間寺:大師町4-48<2008(H20)年5月21日>
 川崎大師の裏口にあたる至真門から入り、広い境内の中を歩く。まず、不動堂、八角五重塔を見て歩いていると、5月21日はまり塚祭りでお坊さんが行列を作っていた。
案内板 不動堂 八角五重塔 まり塚祭り
 茶筅塚、福徳稲荷を見ながら境内を散策する。大本堂は参拝客が線香の煙を手で招いていた。
茶筅塚 茶筅塚 福徳稲荷 大本堂
 聖徳太子堂、清龍権現堂、いろは碑と見て回る。
聖徳太子堂 清龍権現堂 いろは碑
 10-18.六字名号塔:大師町4-48<2008(H20)年5月21日>
六字名号塔の解説板
 六字名号塔は建物の中なので、六字名号塔の解説板だけを見る。
 10-19.弘法大師への道:大師町4-48<2008(H20)年5月21日>
弘法大師への道標 由緒書き 由緒書き
 弘法大師への道標は不動門と不動堂の中間にある石畳の近くにあった。ようやく、道標に辿り着き、由緒書きを見ることができた。
 10-20.川崎大師風鈴市:大師町4-48<未踏>
 10-21.川崎大師薪能:大師町4-48<未踏>
 10-22.川中島神明神社:川中島1-12-12<未踏>
 10-23.瀋秀園:大師公園1<別ページ有り>
<11>藤崎・観音
 11-1.藤崎願い掛け地蔵:川崎区藤崎3-6-9<2015(H27)年5月24日>
 由緒書きを読むと、この地蔵は江戸時代から続いていたようだが、例に漏れず戦災被害を受けたようだ。現在の地蔵は昭和55年に再建されたとのこと。おがみ方は南無地蔵菩薩摩訶薩というようだ。石柱もあり、武蔵御獄神社祠址と刻まれている。
地蔵堂 由緒書き 武蔵御獄神社祠址 地蔵
 11-2.岡本太郎「喜び」像<2008(H20)年5月21日>
 藤崎小学校内に岡本太郎の「喜び」像があると電柱に案内板があったので、見に行くと、小学校は当然のことながら、セキュリティが厳しくて入ることは出来なかった。それで、小学校を一回りしながら、覗いて見るが何処にも像らしきものは発見できなかった。
 11-3.石観音<2008(H20)年5月21日>
 石観音には門の傍に石造りの寺標があるので、石観音と確認し易かった。
 門をくぐって境内に入ると、右手に霊亀石が横たわっていた。
 由緒書きを見ると、文化財にもなっている石造りの観音像が安置されているようだ。
 亀石は海の中から引き上げられたと書かれている所を見ると、ここも海だったのだろう。
 左側には、「梅動独吟万句詠草塚」の「六人一句碑」が鎮座していた。
 石観音堂の文化財
 この石観音堂は、寛文五年(一六
六五)、天台宗明長寺の僧弁融によっ
て開かれたもので、本尊は、石造・
如輪観音像です。境内には、近郷
近在の人々の信仰を物語る文化財が
残されています。
 霊亀石岩盤 享保十八年(一七三三)、霊亀の助け
をうけて、地元の漁師たちが海中から引き上げたと
いわれる手水石です。
 梅動独吟万句詠草塚 宝暦八年(一七五八)、郷土
の俳人花鳥庵梅動が、早朝から夕刻にかけて句をつ
くりながら詠みつづけ、その数を競った、「俳諧の
矢数独吟」をした時の記念碑です。
 六人一句碑 延享四年(一七四七)、俳人茖坊の
門人六人が、石観音に奉納する句を詠んだ時の記念
碑です。
 これらの石造記念物は、
近世における民俗・文芸の
地方資料としても貴重であ
ります。
 昭和六十二年 十月 川崎市教育委員会
石観音 寺標 境内 霊亀石
 11-4.弁天神社・八海山神社:観音2丁目1-60-5<未踏>
<12>出来野・四谷
 12-1.四谷義田稲荷神社:四谷上町23-20<2015(H27)年5月23日>
神社
 住宅街の一角に神社があり、この神社も戦災で焼かれたようだ。神木は炭化して残ってはいる。力石もある。
由緒書き 戦災で焼かれた神木 力石
 番外.出来野庚申塔<2011(H23)年5月26日>
庚申塔 由来
 出来野商店街の一角に石仏が鎮座していて、その横に由来書が添えられていた。
<13>池上新町
 13-1.汐留稲荷<2008(H20)年5月21日>
 汐留稲荷には、海を埋め立てして、川崎を開いた池上幸豊翁之碑がありる。由緒書きを見ると、埋め立て方法や産業の功績がわかる。

 向かいの稲荷神社には戦争の慰霊碑があり、歌が添えられている。歌碑を見ると和讃とあり、戦争の悲劇がうかがえる。
 池上幸豊翁之碑
 池上太郎左衛門幸豊は、江戸時代後期に活躍した人
で、享保三年(一七一八)に橘樹郡大師河原村(現在川崎区)
で生まれました。
 池上氏は日蓮宗の本山の一つである池上本門寺を寄
進した信心の篤い家系で、幸豊の曾祖父である幸宏の
代に大師河原に移り住むようになりました。
 幸豊は十二歳で父親を亡くし、その跡を継いで大師
河原村の名主になりました。当時の大師河原は田畑の
少ない場所で、幸豊は、埋め立てによる新田開発を何
度も幕府に願い出ましたが、なかなか許可されず、七
年の歳月を経た。宝暦2年(一七五二)になって、やっ
と認められました。埋め立ては。まず砂の集まりやす
い場所に丸太を打ち込み、笹を立てて砂を集め、そこ
に葦(イネ科の植物)をて砂が流れないようにし、
それを徐々に広げていく、「笹出し」と呼ばれる方法によ
って進められました。こうして六年もの歳月を費やし
て十四町五反余(約十四.五ヘクタール)の新田を開発し、
宝暦十二年(一七六二)には、「池上新田」と名付けられ
た一つの村になりました。
 幸豊は新田開発のほかにも、寛政十年(一七九八)に
八十八歳で天寿を全うするまで、製塩・亡硝(火薬の原料)
・ナシやブドウの栽培・砂糖の製造など、多くの産業を
興し、川崎が発展していく基礎を築き上げました。
  平成五年三月 川崎市教育委員会
汐留稲荷 境内 向かいの稲荷神社 戦争の慰霊碑
<14>殿町
 14-1.多摩川(河口干潟・桜並木):殿町付近<未踏>
 14-2.水神社:殿町2-1-20<未踏>
 14-3.法榮寺:殿町2-1-19<未踏>
 14-4.東京ガラス工芸研究所:殿町1-6-21<未踏>
 14-5.市立殿町小学校海苔・郷土資料室:殿町1-17-19<未踏>
<15>小島新田
 15-1.田町稲荷神社:田町2-3-5<未踏>
 15-2.出来野厳島神社:日ノ出2-6-3<2015(H27)年5月24日>
神社境内 庚申地蔵菩薩 地蔵
 神社境内には庚申地蔵菩薩地蔵が鎮座している。
 15-3.いつくしま跨線橋からの線路群の景観:小島町2〜3丁目<未踏>
<16>塩浜・夜光
 16-1.塩浜神明神社:塩浜2-7-10<2011(H23)年5月26日>
 塩浜の神妙神社の前を通ると由緒書きが目に留まる。それによると、塩浜は江戸時代から明治43年まで塩田だったと書かれている。塩浜の名前の由来が分かったような気がする。改めて、拝殿を見ると欄間の彫刻は煤けてはいるが見ごたえがある。本殿の石塀の傍には、力石と思われる丸い石が何気なく置かれていた。昔は、塩田で働く人達の力自慢が伺える。
拝殿 由緒書き 本殿 力石
 16-2.塩釜神社:塩浜2-7-6<2011(H23)年5月26日>
塩釜神社 庚申地蔵菩薩
 境内には塩釜神社もあり、狛犬が守っていた。
 神社を後にしようと、道端まで来ると石碑のような庚申地蔵菩薩と石仏が鎮座し、小さな稲荷神社もあった。
 番外.徳本上人碑<2011(H23)年5月26日>
解説板 六字名号碑
 入江崎公園の片隅に徳本上人碑が鎮座している。
 正面には南無阿弥陀仏と書かれているようだが、最後の佛が辛うじて読めた。この碑は200年も前に造られたようで、海岸より数メートル海中に建立されたいたというから驚きだ。
 石碑の4面に文字が刻まれているが、生垣が邪魔ですっきり見ることができない。
 16-3.屋形船:塩浜3-19-3<未踏>
<17>浮島:未踏
<18>千鳥・水江:未踏
<19>東扇島
 19-1.川崎漁業ゆかりの地碑:東扇島北公園内<未踏>
 19-2.川崎マリエン:東扇島38-1<未踏>
 19-3.川崎の海苔づくり資料室:東扇島38-1(川崎マリエン2F)<未踏>
 19-4.川崎もなと祭り:東扇島38-1(川崎マリエンとその周辺)<未踏>
 19-5.東京電力東扇島火力発電所:川崎区東扇島3<2015(H27)年5月16日>
発電所
 LNGの火力発電所
 19-6.東扇島西公園:東扇島<未踏>
 19-7.東扇島西公園:東扇島58-1<未踏>

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