川崎区の宝物1
地区別 1.中 央 2.大 師 3.田島他

 ポイント
 地元の人に聞いても分からないところが有り、ローカル色が強い。。宝物一覧は川崎市のHPに載っています。
 GPSトラックは「2008.5.27地図帖」へ 周辺地図
=風景写真をクリックすると大きなサイズになります=
中央地区
<1>川崎駅前北
 1-1.川崎宿:六郷橋付近から八丁畷駅付近まで<2008(H20)年5月27日>
川崎宿
 道端に看板が立っている。
 1-2.六郷橋駅跡:本町2丁目<2016(H28)年5月28日>
プラットフォーム跡
 六郷橋の人道橋からプラットフォーム跡が良く見える。
 1-3.万年跡:本町2-11<未踏>
 1-4.奈良茶飯:本町2丁目万年屋跡、川崎グランドホテル宮本町6-2<未踏>
 1-5.川崎稲荷:本町2-10-9<未踏>
 1-6.田中本陣跡:本町1-4-6付近<2008(H20)年5月27日>
田中本陣解説板
 六郷の渡しから川崎に向かって旧東海道が延び、その途中に田中本陣と田中休愚の説明板が立てられてる。
 1-7.一行寺:本町1-1-5<2008(H20)年5月27日>
一行寺
 「一行寺」は閻魔さんや地獄・極楽絵で有名だが、一般公開はされていない。
 1-8.宗三寺:砂子1-4-3<2008(H20)年5月27日>
宗三寺 宗三寺の説明板
 宗三寺は遊女供養塔がるようだ。
 1-9.川崎・砂子資料館:砂子1-4-10<2008(H20)年5月27日>
砂子資料館
 資料館に入ると浮世絵が飾られていた。絵の保存のため暗くしてはいるがカビ臭い。館内は撮影禁止になっている。
 1-10.記念碑モニュメント:郵便差出箱1号<2008(H20)年5月27日>
郵便差出箱1号 解説板
 砂子資料館前にある。もう1基は川崎区日進町20-1の川崎小学校正門前にあるようだ。
 1-11.問屋場跡:砂子1-7-1付近<未踏>
 1-12.崎市役所本庁舎:宮本町1<未踏>
 1-13.かぅひぃ寄席:宮本町6-2<未踏>
 1-14.稲毛神社:宮本町7-7<2008(H20)年5月27日>
本殿 本殿跡の碑
 稲毛公園と地続きで、「稲毛神社」がある。本殿前には本殿跡の碑がある。
 1-15.稲毛神社大銀杏:宮本町7-7<2008(H20)年5月27日>
イチョウの木と十二支 由緒書き
 稲毛神社境内にはイチョウの大木がある。イチョウの大木の周りには十二支を模った石柱がある。
 1-16.稲毛神社手洗石:宮本町7-7<未踏>
 1-17.川崎山王祭:宮本町7-7<未踏>
 1-18.旧六郷橋親柱(稲毛公園):宮本町7<2008(H20)年5月27日>
 稲毛公園の一角には、大正14年から昭和59年まで架かっていたという橋の欄干が移設されている。公園内には「遺芳千秋碑」「平和の塔」もある。
旧六郷橋親柱 遺芳千秋碑 平和の塔
 1-19.川崎菊花大会:宮本町7-7稲毛公園<未踏>
 1-20.川崎ハローブリッジ:国道15号と市役所通りの交差点<未踏>
 1-21.アートガーデンかわさき:本町12-1 川崎駅前タワーリバーク3F<未踏>
 1-22.アゼリア・宇宙カプセル:本町26-2<未踏>
 1-23.かわさき阿波おどり:JR川崎駅東口一帯<未踏>
 1-24.銀柳街・銀座街:本町〜砂子1・2丁目<未踏>
 1-25.銀柳街アーケード:砂子2丁目〜駅前本町<未踏>
 1-26.佐藤本陣・佐藤惣之助の碑<2008(H20)年5月27日>
佐藤惣之助の碑
 小土呂橋」に行く途中に佐藤惣之助の碑をビルの一角に見付ける。
 1-27.旧橘樹郡役所跡:砂子2-10<2016(H28)年5月29日>
繁華街の中に 写真 碑文
 繁華街の中にある。
 1-28.いいじゃんかわさき:JR川崎駅東口周辺の商店街<未踏>
 1-30.シャッター浮世絵ギャラリー:本町1〜2丁目、砂子1〜2丁目、小川町、日進町(東海道)、下並木<未踏>
<2>川崎駅前南
 2-1.川崎能楽堂:日進町1-37<未踏>
 2-2.東京ガスキッチンランドと:小川町6-1東京ガス川崎ビル1F<未踏>
 2-3.ラ チッタデッラ:小川町4-1<未踏>
 2-4.カワサキハロウィン:チネチッタ通りを中心<未踏>
 2-5.銀映会川崎映画街:チネチッタ通りを中心<未踏>
 記念碑モニュメント:石敢當<2016(H28)年5月24日>
 JR川崎駅南口広場に鎮座している。
石碑 碑陰
 記念碑モニュメント:<2016(H28)年5月24日>
 JR川崎駅南口広場に鎮座している。
歌碑 碑文
 2-6.教安寺:小川町6-2<2008(H20)年5月27日>
 このお寺も、入り、「富士講の灯篭」「六字名号碑(金文字)」ることは出来ず。門前にある案内板を見るだけだった。
教安寺 説明板
 2-7.小土呂橋の親柱(擬宝珠):小川町14-1(新川通り歩道)<2008(H20)年5月27日>
 小土呂橋は昭和の始めまで新川用水路に架けられていた橋だったようだ。
小土呂橋 小土呂橋の説明板
<3>宮前・貝塚
 3-1.妙遠寺・記念碑モニュメント:泉田二君功徳碑 川崎区宮前町6-5<2010(H22)年10月4日>
 二年前は境内には入れず、外から覗くだけだったので、北側から多聞天・毘沙門天の銅像がある一角から回り込み寺門の横にでたら広目天の銅像があり、男性がスケッチしていた。邪魔かとは思ったが、横から眺める。門は工事車両が入っていたので、開いていた。中に入らせていただくと、左側に「泉田二君功徳碑」があった。
妙遠寺(’08) 門から(’08)
多聞天・毘沙門天 広目天 功徳碑 解説文
 3-2.大師巻:堂本製菓株式会社<未踏>
<4>八丁畷
 4-1.芭蕉ポケットパーク:日進町24-15<未踏>
 4-2.シベリア菓子:日進町11-7ベーカリーValeur (バルール)<未踏>
 4-3.芭蕉の句碑:日進町11-9<2010(H20)年10月4日>
 京急の八丁畷駅の線路沿いに芭蕉の句碑が鎮座していた。句碑はくっきり白い字が浮き出ているが、見識がないので「麦の穂を たよりにつかむ 別れかな」とは読めず、傍に、佇むのみ。
線路脇 句碑 由緒書き 由緒書き
 4-4.無縁塚:下並木(京急八丁畷駅敷地内)<未踏>
 4-5.かりん通り:下並木<未踏>
 4-6.標柱「国府県道路管理境界標:川崎区池田町2丁目<2016(H28)年5月28日> 周辺地図
花壇の中に 標石
 第一京浜・国道15号線の下り車線の植え込みに標石がある。標石には横濱の文字が刻まれている。反対側には川崎の文字が刻まれているのだろうか。標石は大正時代のもののようだ。
<5>旭港
 5-1.六郷の渡し・明治天皇の碑:旭町1-3<2008(H20)年5月27日>
 慶長5年(1600年)に六郷大橋を架けたが、洪水で流出して依頼、明治7年(1870年)に六郷橋を架け替えられるまで、渡し船だったという。明治天皇が渡御の際には23隻の船で橋を造ったという。その際の状況を表すレリーフが明治天皇碑に埋め込まれている。多摩川は静かにながれ、対岸は東京だった。
明治天皇碑 23隻による船橋 多摩川の上流 多摩川
渡船のモニュメント 川崎大師の灯篭
 六郷橋の欄干には渡し舟のモニュメントが付けられている。欄干の近くには川崎大師の灯篭もある。
 5-2.長十郎のふるさと:旭町1-3<2008(H20)年5月27日>
梨長十郎のふるさと
 六郷橋の欄干の近くには「梨長十郎のふるさと」もある。若宮八幡宮境内には長十郎梨が植えられている。
 5-3.徳泉寺:旭町1-14-13<2016(H28)年5月29日>周辺地図
二基の供養碑 碑文
 徳泉寺の本堂前には、殉職した巡査の供養碑2基と地蔵さんが並んで鎮座している。
 左が明治11(1878)年9月の多摩川の洪水時に住民の救助活動中に命を落とした福田傳四郎巡査の記念碑、右が明治 15(1882)年6月の天然痘発生時に、患者救済活動中に殉職した安井格襌巡査の墓石となっている。井格襌巡査の墓石には明治21年12月建立と刻まれている。
 神奈川縣巡査福田傳四郎記念碑
明治十一年九月大霖六郷川堤壊浸川崎
驛殆二尋居民狼須奔逃巡査福田生挺身
赴援偶爲水所溺而死同僚里民哀其死於
職建碑紀之銘日
 溺者笑  ○然徂
 微斯人  予其魚
      仙○  大田有孚選
      横灣  高野 順書
      鶴見 飯島吉六彫
○はパソコンには無い文字
 5-4.京浜急行大師線港町駅:港町1-1<2016(H28)年5月29日、2018(H30)年5月14日>周辺地図
 港も無いのに、何で港町なのだろうと思っていたら、江戸中期まで果物等を出荷する「津出し」の小港だったという。美空ひばりの港町13番地もここを歌ったようだ。実際は13番地ではないがゴロが良いので13番地にしたという。小樽にも港町がああるので、子供のころ13番地を探したことがあるが、10番地までで13番地は無かった。
港町駅 駅舎の玄関 歌碑
 駅舎の玄関に行けば、美空ひばりの歌碑が見られる。日本コロンビアがここにあったとは知らなかった。
 5-5.川崎河港水門:川崎区港町66番地先<2011(H23)年5月20日>周辺地図
 多摩川の右岸沿いに延びるサイクリングロードの終点から辿って行くと、水門が見えて来る。近づいて、頭頂部を見上げると、川崎の名産品のブドウ・梨・桃をあしらった装飾だと言うが、どう見ても怪獣の頭にしか見えない。河港水門のプレートの上に「近代化産業遺産」のプレートなどが嵌められていた。
水門が 頭頂部 解説板 プレート
 水門の基部から見上げるが頭頂部はよく見えないが新しい金属製のゲートが間じかになる。水門のプレートを見る大正15年11月に起工、昭和3年3月竣工、昭和61年3月に改修されたと記されていた。型式は鋼製ローラーゲートと呼ぶようだ。改めて南側から水門に近づく。
水門を見上げ ゲート 名板 南から
 やはり、頭頂部はよく見えないが、水門の下部や潮位メーターが良く見えた。驚いたことに、カラスアゲハが一匹舞っていた。どこから来たのか分からないが、見るだけにしておいて欲しいと思う。
頭頂部を レンガの水門 潮位メーター カラスアゲハ
 5-6金床(福嶋鐵工所):川崎区港町10-18<未踏>
 5-7味の素(株)資料展示室:川崎区鈴木町1-1<未踏>
 5-8道明寺甕(味の素):川崎区鈴木町1-1<未踏>
 5-9京浜急行大師線鈴木町駅:川崎区鈴木町2-2<未踏>
<6>富士見・中島
 6-1.川崎競馬場:富士見1-5-1<未踏>
 6-2.富士見通り:宮前交差点から塩浜交差点まで<未踏>
 6-3.無尽灯型街路灯:宮前交差点から富士見公園付近<未踏>
 6-4.日本冶金工業歯車モニュメント:富士見公園内<2010(H22)年10月2日> 周辺地図
 富士見公園の片隅に、保管されていた。
側面 解説板 後面 前面
 6-5.富士見公園:富士見1・2丁目他 <2010(H22)年10月2日> 周辺地図
 富士見公園の片隅に、不思議な形の防火水槽がある。説明板には100tが貯水されていると言う。
説明板 全景 正面 側面
 6-6.かわさき市民祭り:富士見2丁目(富士見公園一帯)<未踏>
 6-7.川崎競輪場:富士見2-1-6<未踏>
 6-8.川崎沖縄芸能研究会:中島2-3-3沖縄労働文化会館内<未踏>
 6-9.沖縄民俗芸能:中島2-3-3(沖縄労働文化会館内<未踏>
 6-10.中島八幡神社の祭囃:中島2-15-1<未踏>
<7>大島
 7-1.追分まんじゅう:大島2-1-2<未踏>
 7-2.大島劇場:大島2-16-1<未踏>
<8>渡田・京町
 番外.皐橋の標石:新川通り 渡田1<2016(H28)年5月29日>周辺地図
さつき歩道橋 標石
 さつき歩道橋の傍のバス停近くに標石がある。新川通りは江戸時代の新川堀の跡で、皐橋が架けられていたようだ。この上流に小土呂橋跡がある。
 8-1.田島郷土資料館:渡田1-20-1田島小学校内<未踏>
 8-2.新田神社:渡田2-14-8<2010(H22)年5月21日>
 新田義貞を祀る神社で義貞の像や家臣の亘新左衛門尉早勝の墓もある。境内の一角には、川崎大師平原寺にもある力石が目に止まる。
境内 新田義貞 亘新左衛門の墓 力石
 8-3.成就院:渡田3-8-1<2010(H22)年5月21日>
成就院 石仏
 成就院の正門は閉ざされていて入ることが出来ないので、正門前の石柱を撮し、傍にあった石仏を見る。
 8-4.圓能院:小田-1-25-12<2010(H22)年5月21日>
 圓能院は門が開放されているので、境内に入れてもらう。右側には六角堂があり、本殿には真新しい額が飾ってあった。延命地蔵尊も鎮座していた。
圓能院 六角堂 真新しい額 延命地蔵尊
 8-5.小田の赤飯まんじゅう:小田1-20-7<未踏>
 8-6.畑家墓所と頼政塚:小田1-20-25<2016(H28)年5月28日>周辺地図
墓所 お堂
 住宅地の奥まった所に墓所があるが入ることはできない。墓所の前にはお堂もあるが中は良く見えない。
 8-7.庚申塔と出羽三山巡拝碑:小田1丁目18番地<2016(H28)年5月28日>周辺地図
庚申塔 庚申塔と巡拝塔
 左が庚申塔で、「青面金剛(しょうめんこんごう)像」、右が巡拝塔で湯殿山の文字が見える。
 8-8.京町緑地と川崎運河の遺構:川崎区京町町2〜3丁目<2016(H28)年5月28日>周辺地図
京町緑地
 道路の両脇に京町緑地が延びているが、川崎運河だったようだ。大正時代の防潮壁が現存すると言うので探すが見付けることが出来なかった。

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 二人の散歩路記録
 2016.5.28 2016.5.24 2011.5.20 2010.10.4-10.2 2010.5.21 2008.5.27