コース | 登山口 | BA文学台 | KB伏古斎場 | CC馬追温泉 |
縦 走 | 長沼スキー場→BA→KB | CC→新道→BA→送電線下→KB |
ポイント 馬追山は南北に大小のコブが連なった長い丘陵になっている。その丘陵は馬追自然の森と呼ばれ、遊歩道が延びている。長官山の登り口は長沼スキー場やマオイリゴルフゾートを経由する文学台BA、伏古斎場・送電線下KB、馬追温泉・新道CCがある。主なピークは長官山と文学台で、低山の割には花が多い。 国土地理院地図 周辺地図 |
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馬追温泉CCコース |
アクセス 長沼から道道3号線(札幌夕張線)を由仁方向へ向かうと、「馬追温泉」に遊歩道がある。 |
9月2日<2008(H20) 往復3.519km 登り47 下り21> GPSトラックは山の地図帳「2008.9.2」へ |
馬追温泉の門の右側に馬追自然の森の看板と案内板が立っている。遊歩道の入口が見当らないので、右の土手を上がり奥へ進むとトイレが見えて来た。近づくと、遊歩道に入口だった。入口から遊歩道に入ると大きなナラの木があり、その奥に夏草が茂った道が延びていた。イラクサがあったのか足が痛痒い。夏草も何時の間にか無くなると、杯の様なキノコが顔をだす。 |
馬追自然の森案内図 | 馬追温泉 | 右の土手の奥へ | キノコ |
道端には小さな白い花、ツクバネソの黒い実、マイヅルソウの赤い実が見られる。アップダウンを繰り返すと、山頂の櫓が見えてくる。 |
小さな白い花 | ツクバネソウの実 | マイヅルソウの実 | 山頂の櫓 |
櫓の基部には新しくした由緒書きが立っていて、内容は以前のものより少々簡潔になっていた。櫓に登り辺りを見回すが「子午線標」は階段側の稜線伝いのようだ。階段を下りて行くと北海道の文字が入った境界標が頭を出していた。そこから、稜線を下るが笹薮の下を見ると踏み跡状態になっていた。稜線は元道路だった雰囲気があり、大きな木が無い。幹にはテープが巻かれ、境界の赤い棒がある所を見ると、林業関係者が行き来しているようだ。地図では高さで10m、距離にして50m位下る位置だったので、藪をこいで下って行くと、笹に隠れて子午線標があった。 |
由緒書き | 子午線標のある稜線 | 境界標 | 藪の中に子午線標が |
長 官 山 名前の由来: 明治二十四年九月、渡辺千秋第三代北海道庁長官が全道巡視の途中、この峰に登り、石狩平野開拓の構想を練った。これを記念して長官山と名付けた。 |
懐かしい友人に会ったように、小躍りして駆け寄る。目の前の子午線標は瀞台にある天測点の相棒なのに、今にも崩れそうにひび割れしていた。子午線標を一回りして見ると、粗悪な材料を使ったらしく、54年前のコンクリートとは思えないくらいひび割れしていた。外れかかった正面のプレートを見ると第一号子午線標 地理調査所と彫られていた。天場の子午儀を置く台座も外れかかっている。天測点の台座は丸かったが、子午線標の台座は南北に長く、その中央に+が彫られていた。 |
子午線標の正面 | 子午線標の側面 | 子午線標のプレート | 子午儀の台座 |
子午線標の痛みは深部にまで達しているようで、痛ましい。最後に周囲の笹を抜いて、撫でて帰る。瀞台を探すが、今は木立の隙間から僅かに見える程度だった。再び、櫓に帰りベンチに腰掛けて、テーブルの上にカップを置き、ココアを飲む。ココアを飲みながら、HYMLの菅原さんの情報に感謝しながら、小立ち越しの平野の風景を見る。さわやかな風が良い香りを運んでくるので、見回すとクサギ:marikka氏同定が咲いていた。帰りは、時折、オオカメノキの赤い実が目に入る登山道を、何か充実した気持ちになり下って行く。 |
子午線標の痛み具合 | 平野が | クサギ | オオカメノキの実 |
=温泉考= 遊歩道入口の「馬追温泉」は大人450円、固形石鹸あり、湯壷1坪程度だが、明治41年一月創業だ。泉質は単純硫黄泉の16°で、毎分15リットル湧出、加温循環とのことだった。 |
コース | 登山口 | BA文学台 | KB伏古斎場 | CC馬追温泉 |
縦 走 | 長沼スキー場→BA→KB | CC→新道→BA→送電線下→KB |
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二人の山行記録(遊びの時間を含む) 2008(H20)年9月2日(火) 晴れ(単独) 往復3.519km 登り47 下り21 12:43駐車場→13:00長官山800m→13:30頂上13:52→14:13駐車場 |