夕張市の名所旧跡 |
ゆうばりめろん城 <2015.2.21> 周辺地図 |
|
かってはブランデー醸造研究所でメロンブランデーを造っていた。傍にある、夕張観光物産センター「カサブランカ」で、ブランデー、ワイン、リキュール、ゼリーなどの販売や試飲試食も行われていた。今は、札幌にある会社の所有となっているようだ。 |
秋桜塚 <2015.2.21> 周辺地図 |
|
積雪のため近づくことはできませんでしたが、秋桜塚は、昭和59年の炭鉱事故で殉職された方々の慰霊碑として、昭和61年10月1日建立のようです。石碑の両袖には、夕張哀歌という曲が刻まれているようです。雪が融けたら、再訪してみようと思っています。 |
新四国八十八カ所 <2015.2.21> 周辺地図 |
|
富岡の新四国八十八カ所は秋桜塚に通じているようだ。 |
新四国八十八カ所の由来 わが国ではインドから中国を経て巡礼する風俗が伝わってから霊 地を巡礼することが盛んになった。 弘仁8年(815年)に弘法大師が四国霊場を阿波国(徳島県)を発 信の道場二十三カ寺(1番〜23番)、土佐国(高知県)は修行の道場十 六カ寺(24番〜39番)、伊予国(愛媛県)菩提の道場二十六カ寺(40番 〜65番)、讃岐国(香川県)涅槃の道場二十三カ寺(66番〜88番)の八 十八カ所を設定した。 当時は、その国々の政策を他国に知られるのをおそれ、出入の管理 がきびしく、霊地巡拝などままにならない時代であった。 一方信者による霊地巡拝の願望も強く、土佐国第三十一霊場の竹 林寺に新四国八十八カ所と称し、仏像を安置したのが今から160年前 のことと言われている。 この新四国八十八カ所は錦沢公園内に栗山町の栗山寺前住職藤原 秀傅師らの努力により昭和5年10月に建立されたもので、四国本山 から土を持ちより台座の下に敷き、本尊の御詠歌が台石に彫まれて いるのが特徴である。以後、鉄道の廃止、管理者の交替などで昭和 57年10月東山聖苑に移転、平成2年8月ここに安置された。 市内にはこの他、新四国八十八カ所霊場として滝の上の●●●● 内に昭和23年10月に建立されている。 夕張市教育委 |
富岡坑口 <2015.2.21> 周辺地図 |
|
富岡の一角にある坑口と思われる。 |
夕張循環道路開通記念碑 <2015.2.21> 周辺地図 |
|
昭和6年8月13日に、福住、富岡、錦岡、丁未、社光、松を結ぶ循環道路が開通したようだ。 |
夕張礦之爲地挾渓負山境域挾長而多低交通甚不便常 爲喊焉今春開設道路之議熟也居民奮起木拮据用戮力從工事者 通計三千七百三十七人閲四月而成矣一則自福住經富岡錦 岡而到丁未一則自社光到松長三千六百米突名曰夕張循 還道路平坦如砥可以通自動車其便u實不(中棒がY)鮮少矣乃欲永傳 此美擧建碑記其梗概碑面(梯子が口)文字則社長磯村豊太郎氏所書也 昭和六年八月十三日 夕張礦長 藤井陽七郎 撰 |
ズリ山と輪車路跡 <2015.2.21> 周辺地図 |
|
富岡坑口の北にズリ山がある。以前は輪車路があり、坑口からズリ山にズルを運んでいたようだ。 |
人車跡 <2015.2.21> 周辺地図 |
|
輪車路と平行に人車跡がある。人車とは、高低差の大きい住宅地に設置された、社員とその家族専用のケーブルカーのことです。まるで、遊園地状態だったのでしょうか。 |
歌碑 <2013.9.6> 周辺地図 |
|
夕張神社の石段脇に、歌碑がある。達筆なので、私には読めないが「東●/●●●●め/ま●偲び●●/里の友/七十翁魚風営」の文字が刻まれている。 碑陰にも文字が刻まれているが、掠れて読み取れない。 |
馬頭観世音碑 <2013.9.6> 周辺地図 |
|
夕張神社の石段脇に、馬頭観世音の石碑がある。碑陰には昭和十五年九月十七日建立と刻まれている。 |
夕張鹿鳴館 <2012.10.27> 周辺地図 |
道道38号線沿いにある案内板に導かれて、狭い道を上って行くと、道端に「夕張鹿鳴館」の大きな看板があり、その奥に門が見えた。駐車場は道の奥にあるようなので、そのまま直進すると駐車場があった。駐車場から奥の建物に向かって歩いて行くと、前庭越しに鹿鳴館らしい建物が見えて来る。玄関を見ると「夕張鹿鳴館」と「旧北炭鹿ノ谷倶楽部」の看板が架かっていて、メニューもある。メニューを見ると、フランス料理のコースがメインらしい。 |
道端に | 前庭 | 玄関に向かって | 玄関 |
オニギリを食べたばっかりなので、中に入らずに建物の全景を撮して引き返す。 |
夕張鹿鳴館 |
フランス料理とおにぎりでは随分差があるなと思いながら振り返る。本館と別館の間に渡り廊下があり、その下に柵も見える。この施設は「夕山荘」なのだろうかと思いながら、門に向かって歩いていると、藪からエゾリスが出てきた。なんとかエゾリスを撮し門を振り返り駐車場に戻る。 |
振り返る | 渡り廊下 | エゾリス(大×) | 門を |
志幌加別川の滝 <2012.10.27> 周辺地図 |
栄橋から三角形の三角点「福住北608.9m」を見ると、志幌加別川に架かる赤い欄干の思い出橋が見える。橋の下に志幌加別川の滝が見えていた。滝つぼが無いので、地図には載っていない。 |
、三角点:福住北 | 思い出橋 | 志幌加別川の滝 | 市街の紅葉 |
ポンポロカベツの滝 <2014.7.24> 周辺地図 |
|
夕張市役所の目の前にあるが、対岸から見ることが出来なかったので、橋の上から覗く。 対岸の博物館は解体工事(?建設工事)中だった。滝つぼが無いので、地図には載っていない。 |
白糸の滝(小鳩の滝) <2012.10.27> 周辺地図 |
郷愁の丘の駐車場に辿り着くと、施設は既に営業が終わっていて、観光客が不満げに右往左往している。白糸の滝は看板が無いと言うことだったので、沢沿いに上流を目指せば辿り着けるのではと思って荒れた沢の左岸沿いに延びる遊歩道を登って見る。沢を良く見ると、石炭で真っ黒な中に橋脚と思われるコンクリートが埋まっていた。 ここからはテープが張られ立ち入り禁止になってしまうので、一旦、北の零年のロケ施設まで引き返し、冬支度をしていた男性に聞いて見る。幼稚園児が遊んでいた滝なんだけど、知りませんかと言うと、男性は小鳩幼稚園がそこにあったので、白糸の滝かどうかは知らないけれど、遊歩道を登って行けばあると言う。とにかく、この沢の上だと言い、沢沿いにテープを気にしないで行けば行けると言う。 再び、523m峰を仰ぎ見て遊歩道を上がって行くことになる。 |
荒れた沢 | 土砂が流れた跡 | 北の零年 | 523m峰 |
遊歩道を登って行くと、真っ赤な紅葉が綺麗で見上げていると、青空に真っ白な飛行機が真っ白な雲を引っ張って飛んでいた。遊歩道の奥から沢に向かって踏み跡を辿ると、コルゲート管を半分に割った水路があり、小さな橋を渡り右岸に移ると、目の前に、アーチ状の構築物「旧北炭夕張炭鉱高松ズリ捨線拱橋」が現れる。 |
紅葉 | 氷付いた飛行機(大×) | 旧北炭夕張炭鉱高松ズリ捨線拱橋 |
真っ黒なズリの川原を上流に向かうと、円筒状の構築物が現れる。その奥に滝が見えて来る。円筒の中を覗くと、地下まで続いているようで、水が勢い良く流れ落ちていた。滝を正面から見には流れを跨がなければならないので、一番狭い所を探して飛び移る。角度が変われば、滝は二段だと分かる。川原には、塊炭が黒く光っていた。 |
空気孔 | 滝が | 白糸の滝 | 塊炭 |
滝の横を見ると、脆そうな岩盤が剥き出しになっていた。滝つぼが無いので、地図には載っていない。 |
黒い川原を振り返り、ズリ山を見上げながら、コルゲート管の小川を渡り、紅葉した山々を見ながら引き返す。 |
黒い川原 | ズリ山 | コルゲート管の小川 | 紅葉した山 |
再び、北の零年に戻って、石炭の歴史村にある天龍の滝はどの辺ですかと聞くと、知らないと言う。地元の人が知らないようなので、天龍の滝は次回に回すことにする。ポンホロカベツの滝はと聞くと、市役所の前にあると言う。 |
天龍の滝 <2014.7.24> |
|
石炭の歴史村入口の土手に階段があり、上がって行くと、柵越しに見られる。滝つぼが無いので、地図には載っていない。 |
厳島坑口 <2021.10.25> 周辺地図 |
|
冷水山の登山道の途中にある。看板も無く、夏草に覆われているので、知らずに通り過ぎてしまうかもしれない。 |
馬頭観音碑 <2021.10.25> 周辺地図 |
|
碑文には「昭和貮年十月/馬頭觀世音/建立」、台座には「發起人/新夕張/有志/一同」と刻まれている。 |
細田彌太郎君の碑 <2021.10.25> 周辺地図 |
|
馬頭観世音の斜め上に天然石の上にコンクリートの物で白く塗られた石碑がある。草木で覆われ忘れられた様に佇んでいる。 碑文には「昭和七年二月二十五日戰死於上海郊外呉家宅/歩兵上等兵勲八等功七級細田彌太郎君の碑/陸軍少尉 谷 實夫書」と刻まれている。 |
常盤の産業遺跡 <2012.10.27> 周辺地図 |
|
常盤の山中に産業遺跡がある。何に使ったのかは知らない。 |
散歩路もくじ6へ 次ポンソーカムイコタンへ 北の探歩訪へ |
二人の散歩路記録 2015.2.21 2014.7.24 2013.9.6 2012.10.27 |