山梨の名所・旧跡

 アクセス
 2015年5月27日は、岩殿山に登った時に見かけたので、位置は山の地図帳「2015.5.27」
 2016年5月24日は、高川山に登った時に見かけたので、位置は山の地図帳「2016.5.24」
 2018年5月5日は、扇山に登った時に見かけたので、位置は山の地図帳山の地図帳「2018.5.5」
 2019年5月13日は、百蔵山に登った時に見かけたので、位置は山の地図帳山の地図帳「2019.5.13」を参考に。
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大月市
 鳥沢のコノデガシワ <2018.5.5> 周辺地図
コノデガシワ 解説板
 国道20号線(下鳥沢宿、甲州街道)沿いの鳥沢小学校の校庭に大木が鎮座している。解説板を見ると、大月市指定文化財第二十七号天然記念物(植物)鳥沢のコノデカシワと記されている。
 
 道祖神 <2018.5.5> 周辺地図
道祖神 バス停
 中野神社バス停付近に石仏群があり、その中に道祖神もある。
 
 富士見台 <2018.5.5> 周辺地図
富士見台 富士山
 山谷バス停にベンチがあり、座って富士山を眺められる。
 
 馬頭観世音碑 <2018.5.5> 周辺地図
馬頭観音世碑
 富士見台の道路を挟んで反対側の法面に馬頭観音世碑が鎮座している。
 
 石仏群と祠 <2018.5.5> 周辺地図
 富士見台の馬頭観世音の碑から小道が延びていて、辿って行くと石仏群と祠があった。石碑は、既に、表面が融けていて何が刻まれているのか分からない。
石仏群と祠 石仏群
 追分の碑 <2016.5.24> 
追分の碑
 大月橋の袂には3基の追分の碑がある。一番大きな石碑には、「左富士山道/南無阿弥陀仏/右甲州道中」と刻まれている。
 大月防空監視哨跡 <2016.5.24>
むすび山 解説板
 むすび山の山頂奥に「大月防空監視哨跡」の解説板がある。平成3年に建てられた解説板には山口隊長の苦悩がにじみ出ているように思えた。富士山を目標に北上してくるB29爆撃機の監視に女子隊員が当たっていたようだ。
 防空監視彰哨跡には、B29の音を聴く円い聴音壕の石垣が残っている。眼下には大月市街地と岩殿山が、振り返ると富士山が見る。山頂には平成24年7月1日に建てられた大月防空監視彰哨跡の棒杭もある。この山はカタクリの群生地のようで、咲き終わったカタクリの葉だけが見える。その中にイカリソウが咲いていた。
防空監視彰哨跡 岩殿山 富士山 イカリソウ
 おてんじんさん <2016.5.24>
峠の西側 峠の東側
 天神(尾曽後)峠を挟んで祠が2つある。西側の祠には「おてんじんさん」と書かれた板が添えられている。
 馬頭観世音 <2015.5.27>
馬頭観世音 隣の石碑?
 道路沿いの林の中にひっそりと鎮座している。隣の石碑は何が刻まれているのか分からない。二つの丸い石は何か意味があるのだろうか。
 馬頭観世音 <2015.5.27>
馬頭観世音
 碑文には「明治三十五年十月十日/馬頭観世音/●●・・●」の文字が僅かに読み取れる。
 廿三夜塔 <2015.5.27>
馬頭観世音 反対側に
 月待供養の石碑らしい。反対側に花咲山の道標がある。
 祠 <2015.5.27>
 浅利川沿いの林道に苔むした小さな祠がある。
 祠 <2015.5.27>
 天神山の山頂に鎮座している。
 乃木将軍歌碑 <2015.5.27>
  乃木将軍歌碑が岩殿山の展望台に鎮座している。碑陰が、硬いもので引っ掻いた跡があり残念だった。
岩殿山展望台に 歌碑 碑陰
 乃木将軍は旅順要塞(203高地)で、ロシアのステッセル将軍と戦い、勝利して、その後のステッセル将軍にとった接遇が有名です。
 何事も、現代の物差で見ず、時空を越えた物差もあるのではと思う(乃木神社のHP)。
碑文 碑陰
乃木将軍歌碑
従二位男爵陸軍少将名知●●額

欲問當年遺恨長英雄前後
幾興亡巉巖千尺荒墟上仗
劍悵然見夕陽


 右乃木大将登岩殿古墟之詩
 希典イ至 陸軍砲兵中佐玉木三之謹書
碑詩額明治十二年秋将軍
●陸軍中佐時代東京歩兵
第二聨隊長トシテ演習行
軍ノ途次登臨セラレシ時
詠ニ係ル因シニ篆額筆
者名和田男爵ハ日露戰役ニ
将軍幕下ノ聨隊長トシテ
眷遇特ニ渥ケリシ人詠詩
筆者ハ将軍ノ令甥玉木氏
詩碑建設ニ關シテ渉斡
旋●●ヲ執リタルハ本縣
人宮川照治トス
 昭和十一年七月十三日
 従六位北條明頼記
 岩殿山保勝會建立
 石碑 <2015.5.27>
石碑 碑陰
 岩殿山の下にある丸山には、「乃木/将軍/詩碑/建設/●●/芳名」と刻まれた石碑がある。石碑には後援名士大月町・・・名前が刻まれている。
 碑陰を見ると昭和12年4月11日建立と刻まれていた。
  岩殿城址<2015.5.27>
 アソビホロケール山の別ページを参照ねがいます。
 歌碑 <2015.5.27>
歌碑
 高月橋の袂に歌碑があるが、「螢や旭よ/●●・・●」と何が刻まれているのか分からない。石碑が橋の欄干の外にあるので碑陰も見ることができない。
 
 造林之碑 <2019.5.13>山梨県大月市七保町下和田1225 周辺地図
石碑
 春日神社(春日宮)の鳥居をくぐると右側に鎮座していた。
造林之益世也不竢論自古為政者常奨勵之維新之際林政弛民心懈荒廢之
状無甚於此特其後應政更張百廢倶興當路複以造林為急務本郡山岳四続
之於耕地故林産以補生計之缺而下和田區在百蔵山坤位最得地之利或者
唱造材農亦賛之相區有地花籠冨爾宇智猿山等従事於斯和亥協力終完成
焉其域亘三十五町亦實明治四十一年也昭和三年併山背三十五町歩更請
官經營之其意王在充小學校基本財産同年售木穫臣資因建之御真影奉安
庫尋十一年築小學校曁神社拝殿且設定神社基金以備于昇格之期十三年
購新式消防器其他貯水池里道修繕青年團服等苟開于區之公費者總自此
支辨非據地之利興得人之和安能至此洵可謂義事矣而其唱之者為播野萬
作君君性寛宏年壮志於公益久而不倦又有風簿善十七字詩頃者區民背諮
欲刻石傳其コ徴余文余謂此義舉度足以風世矣乃叙其梗概如此
昭和十三年歳次戊寅四月
 正六位勲五等桂木播野弘毅撰弁書院
 百蔵大明神遺跡 <2019.5.13>   周辺地図
石碑
 百蔵山の山頂に鎮座している。碑文には「明治維新百年祭記念/百蔵大明神遺跡/昭和四十三年三月十四日氏子一同/山梨縣神社庁長古屋新書」と刻まれている。
 祠・お堂 <2019.5.13> 周辺地図
 大月の葛野(福泉寺)登山口から百蔵山(大同山)に登る途中に、祠やお堂がある。
お堂 お堂 釣鐘
 
 馬頭観世音碑群 <2019.5.13> 周辺地図
石碑群
 百蔵山(大同山)の葛野登山口に行く途中に馬頭観世音碑群が鎮座している。
 
 鳥獣供養塔 <2018.5.5> 周辺地図
石碑
 宮谷川に架かる宮谷橋の下流に鎮座している。
 
 日露戦役記念碑・忠魂碑・墓標・祠 <2019.5.13> 周辺地図
 小和田猿橋(県道505号)線の七保町葛野に石碑があり、石段が大洞岩に向かって延びている。向かって左側の石碑は日露戦役記念碑で希典書と添え書きされている。傍に、解説板もあるが掠れていて良く読めない。忠誠通●碑には220名の氏名が刻まれている。
 88段の階段を登って行くと、忠魂碑が鎮座していた。碑陰には「昭和7年3月●●日建立/●●●●軍人會七●●●會/後撰昭和9年●点●●會者/同年●●」と刻まれている。広い道を辿ると国旗が風にたなびき、墓標が整然と並んでいた。その奥に祠も鎮座していた。道は祠で途切れる。
石碑 忠魂碑 国旗と墓標
日露戦役記念碑
 明治37年(1904)2月我が国は当時の大国ロシ
ヤと開戦するに至った。この戦争は我が国の
勝利であったが、その陰に10万余の若い生命が戦
場の露と消えた。とうの司令官乃木大将は●●な
りて万骨枯れると憂い自から責任を感じ命●を
巡礼してその霊に●●した。この●はなき●●●
霊のために●●43年●●●●●●●●●よって
立された。筆跡は武人大将の●●をよく現した
に小さく記された希典書は大将の銘である。
裏面●●●●●●●●とその●●●●●●
78名の氏名が刻まれていて●●●●●●●●
者に一人●●●●●●●●御獄神社●霊験
によると●●●●●●●●●●●●●●らの
例大祭は若者の●●詣●●●●●●●●
留三●仕●●●●●●格式を●●●●い
る。●●●●●●●●●●●●●●●●
●●●●●●●●●●●●●●●●●●群
●●●●●●●●●●●●●●●●●●
●●●●●●●●●●●●●●●●●●
●●●●●●●●まで●●●●●●●●
●●●●●●●●●●●●●●●●てる
●●●●●●保●●館
忠誠通●

按スルニ満州友支郡事変竝ニ
太平洋戦争ニ従ヒ殉役セル本町
出身勇士ハ亮ク難苦●之ニ耐ヘ
惡戦苦闘セルモ遂ニ戦陣ニ殪シ或
ハ病ニ死シ護国の神トナル
偶々時運ニ稽ヘ昭和二十年八月十
五日兵ヲ戦メ千才ヲ復スルニ至ル
虚シ戦果空シカラズ東南亜細亜
諸国ノ独立ヲ●ス是偏ニ諸士ノ
偉勲ノ然ニシムル所ニシテ共ノ功績
ハ燦然トシテ永ク青史ヲ飾ル
嗚呼偉ナル哉飜ニ現世ノ道義
見ルニ頽廃ソノ極ニ達シ眞ニ●
嘆ニ堪ヘサリモノアルノ秋●々戦没
将士・忠烈ノ偲ヒ追慕ノ念●シ難
ク●ニ●戦為●者●家族●授●
後世ニ傳ヘ具ハ道義昂揚ニ資モ
ントス
我等念●●志ノ固クン聖者ニ適ヒ
ヲ誉ヒ以ニ平和日本再建ニ●致
●言●勇魂ニ對ヘンコトヲ期ス
不肖●●●●●會長ノ故ヲ以テ
茲ニ其ノ來由ヲ叙ス
 昭和参拾壱年九月弐拾日
 七保●●者●家族
  會長小維徳謹書
 
 石仏群 <2019.5.13> 周辺地図
石碑群
 中央道の葛野川橋の下に、石仏群が鎮座している。
 
 宮谷白山遺跡 <2018.5.5> 周辺地図
 大月市指定文化財第十四号史跡になっている。縄文時代の竪穴式住居を復元している。
解説板 茅葺 内部
 
 馬頭観世音の碑 <2018.5.5> 周辺地図
石碑
 国道20号線の宮谷入口を上がった所に鎮座している。
 
 甲斐の猿橋 <2018.5.5> 周辺地図
 国道20号線から猿橋に下って行くと、石碑があるが達筆なので何が刻まれているのか分からない。猿橋を渡り笹子川を見下すと、ゴムボートがゆっくり動いていた。八ツ沢発電所の水路橋も見える。水路橋は明治時代に建造されたようだ。
石碑 猿橋 ゴムボート 水路橋
 猿橋を渡り切り横から見る。渡り切ると石碑があるが達筆で読み取れないが、「甲斐の根や●/●茶?の●●」と辛うじて読み取れた。桂川渓谷を見に川辺へ下って行こうとしたら猿橋の構造が良く分かる。
猿橋 石碑 猿橋
 解説板を見る。桂川渓谷を見に川辺へ下って行くと、奇麗な流れが見られた。
解説板 桂川渓谷
 橋の袂には、ゴムボートの案内板、名勝猿橋架替記念碑(昭和27年4月17日建立)、明治天皇御召換所址の碑(昭和13年11月3日建立)、猿橋の碑がある。
ゴムボートの案内 記念碑 明治天皇の碑 猿橋の碑
 我大日本橋梁之奇巧者周防之算橋岐岨之懸橋峡之猿橋是己
 馬頭観世音の碑 <2018.5.5> 周辺地図
石碑
 国道20号線沿いに交通安全の碑と共に石碑があった。
 
上野原市
 旧甲州街道 <2018.5.5> 周辺地図
入口 石畳
 県道30号線から旧甲州街道の入口があり、入って行くと石畳になっていた。石の上は、意外と歩き難い。
 
 恋塚一里塚 <2018.5.5> 周辺地図
解説板 恋塚一里塚
 県道30号線沿いに一里塚がある。山梨県指定史跡になっている。
 
 白龍山白馬不動明王の碑 <2018.5.5> 周辺地図
不動明王の碑
 県道30号線沿いに、白龍山白馬不動明王の碑がある。道標「←扇山 犬目宿→」の看板があるが、これから君恋温泉から登る登山者には大迷惑だと思う。
 
 白馬不動の滝 <2018.5.5> 周辺地図
 君恋温泉跡からは道標は無いが、少し荒れ気味の扇山の登山道に入ると、沢に下りる工事現場風の階段がある。階段を下りると不動の滝がある(正式な滝の名前は不明)。反対側の階段を上がると道標があり、白瀧山白馬不動尊がその上に見える。反対側の瀧松苑の鳥居からも来れるようだ。
谷に下る西側の階段 不動の滝 道標 白瀧山白馬不動尊
 
 石仏群 <2018.5.5> 周辺地図
石仏群 丸い石碑
 白瀧山白馬不動尊の入口から扇山の登山道に入ると、石仏群が鎮座していた。何が刻まれているのか解読できないが智光の文字が読み取れる。
 

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 二人の散歩路記録
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