東京中央区の風景
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 新川の跡碑<2019(R1).5.16> 周辺地図
 新川公園に鎮座していて、碑文には「新川之跡/萬治三年(一六六〇)河村瑞軒傳開墾此地/昭和二十三年(一九四八)以戦災焦土埋之」と刻まれている。解説板も添えられている。傍には、橋の親柱と思われる石柱がある。
新川公園 石碑 解説板 親柱?
 永代橋<2019(R1).5.16> 周辺地図
 永代橋は隅田川に架かる土木學會選奨土木遺産に指定されている。現在は、工事中で全景を見ることはできなかった。江東区側の橋の袂には石碑とレリーフが嵌め込まれた石碑が一つづつあり、中央区側には1つある。レリーフの付いた石碑は肉眼では掠れて読めない状態だった。
永代橋 江東区側の石碑 レリーフと解説碑 中央区側の石碑
永   代   橋
 永代橋(えいたい)の名は深川に造られた永代寺の名に由来する。
 元禄十一年(一六九八年)、日本橋と深川を結ぶ橋として、上野
寛永寺本堂の余材をつかって永代橋がかけられた。
 その場所は、現在の橋より一〇〇メートルほど上流で●●深川
の大渡し●があったところである。
 橋の脇には船手番所があったために大船の通行を考えて、橋脚
を高くしてあった。
 はじめ幕府直轄の橋であったが、後には住民にまかされて、橋
賃を徴収して管理と維持にあてた。しかし、文化四年(一六〇七
年)八月の深川八幡の祭礼に、欄干の一部が崩れし多数の死者を
生じる事件がおこっている。
 その後、数度のかけかえが行われたが、明治三〇年(一八九七年)
になって、鉄製のトラス橋がつくられ、橋の位置も現在地に移さ
れた。しかし、関東大震災(一九二三年)には、橋床の木造部分
が焼け、大きく被害をうけたが、大震災復興事業の最初の工事を
して、大正十五年(一九三六年)に重量感あふれるアーチ橋にか
けかえ●●●今日に至っている。
  昭和五年八月三日
 双十郎河岸の碑<2019(R1).5.16> 周辺地図
石碑 日本橋
 日本橋の南側の川岸に少し下がった所には、双十郎河岸の碑が建立されている。ビルと橋の隙間からスカイツリーが見える。
 日本国道路元標<2019(R1).5.16> 周辺地図
元標の広場
 元標の広場には東京市道路元標と刻まれたの街灯がある。その下に、日本国元標の複製があり、両側に里程標が鎮座している。広場に向かって右側に解説板がある。
南の里程標 元標の複製 北の里程標 解説板
 日本橋魚河岸跡<2019(R1).5.16>日本橋室町1丁目8 周辺地図
 日本橋の北側の乙姫広場には、乙姫の像と日本橋魚市場発祥の地碑がある。乙姫像の台座には解説板が埋め込まれている。像の前には解説板も設置されている。
乙姫広場 解説板 台座 日本橋
 

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 二人の散歩路記録
 2019.5.16