北区歴史と文化の八十八選(3.森と歴史の道) 51.屯田兵第一大隊第四中隊本部跡の碑 52.篠路兵村「開拓碑」 53.水田開発記念碑 54.屯田兵顕彰之像 55.馬魂之像 番外1.戦没者顕彰碑 番外2.忠魂碑 56.篠路兵村「移住記念碑」 57.屯田開基九十周年記念顕彰碑 58.望郷のアカマツ |
ポイント 札幌市北区役所では区内にある文化遺産の中から88か所を選定し「北区歴史と文化の八十八選」として散策路を作っている。コースは1.文学と学問の道(鉄西・幌北:1〜22)、2.水辺と開墾の道(北・新川・新琴似・麻生:23〜44)、3.森と歴史の道(屯田:45〜61)、4.農村文化発祥の道(太平・篠路:62〜78)、5.藍の道(篠路・拓北・あいの里:79〜88)の5つある。 |
屯田開拓顕彰広場 |
51.屯田兵第一大隊第四中隊本部跡の碑 <’11.9.24> 周辺地図 |
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屯田開拓顕彰広場の入り口に、石碑が建立されている。 |
屯田はかって篠路兵村といわれ、兵籍は屯田第一大隊第四中隊にあった。こ の碑の建立地には第四中隊本部が建ち、北側一円一万坪(3.3ヘクタール)が練兵 場となっていた。屯田開基百年記念事業協賛会が昭和63年(1988年)の入植百年 を機に、中隊本部の建っていた地点を明確にしておくために建立した。 平成15年4月札幌北区役所 |
52.篠路兵村「開拓碑」 <’11.9.24> 周辺地図 |
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真ん中に立つ碑は碑文がほとんど見えないが、上の大きな字は開拓碑と彫られている。昭和3年9月に建立されたと刻まれている。酸性雨で随分と自然石が溶けてしまったのだろうか。 碑文を無理やり解読してみたが、分からないところも多かった。 碑裏もほとんど解読できなかったが、一番上に移住當時戸主人名と刻まれている。 |
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この碑は、屯田地区の開基40年を記念して昭和3年(1928年)に建立された。 約500字に及ぶ漢詩調に碑文は、当時の北大総長であった佐藤昌介が寄稿したも のである。 玉石五段積み、この上に自然石を乗せ、高さ1.8メートルの台座に、高さ2.8メー トル、幅90センチメートルの仙台石の棹石としている。 平成15年4月札幌北区役所 |
53.水田開発記念碑 <’11.9.24> 周辺地図 |
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広場の奥には3つの石碑が並んでいて、一番左側が水田開発記念碑だった。 碑裏には「大正三年/土功組合創立發起者/昭和二十二年七月建立」の文字が刻まれている。名前は残念ながら判然としない状態だった。 |
屯田地区は、当初畑作主体の農業であったが、農家経済が成り立たず、これを 建て直すてめに稲作を目指した。兵村の公有財産を売却して資金を作り、篠路兵 村土功組合を大正2年(1913年)に創設して、新川や創成川から水利をはかって 約670ヘクタールの美田を造成した。多収穫のための研究団体も設立して札幌一 の水田単作地域となった。 この碑は、土功組合が創設されてから45年後の昭和33年(1958年)の建立された。 平成15年4月札幌北区役所 |
54.屯田兵顕彰之像 <’11.9.24> 周辺地図 |
屯田開拓顕彰広場の沖に、銅像が建立されている。 銅像の背後にある鳥居状のものは蜀台なのだろうか。台座には碑文、碑裏には「屯田百年の消長と水のかかわり」が解説されていた。 |
路上のレリーフ | 銅像 | 碑文 | 碑裏 |
屯田地区が屯田兵の開拓によって始まり発展したことから、この功績を讃えて 建立されたものである。屯田兵のブロンズ像は、時の指導者であった中隊長●味 直茂大尉である。 屯田開基百年記念事業の一環として昭和63年(1988年)に建立された。 平成15年4月札幌北区役所 |
55.馬魂之像 <’11.9.24> 周辺地図 |
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屯田開拓顕彰広場の一角に、馬のブロンズ像が駆けている。解説を見ると、礎石は小樽市張碓産とのこと。 |
この駿馬のブロンズ像は、昭和63年(1988年)の屯田開基百年を機に建立され たものである。礎石の下には、屯田にあった10基にのぼる馬頭観音や愛馬の墓碑 を埋設して、農耕に尽くして倒れた馬魂の慰霊碑とした。 礎石は、小樽市張碓産の自然石で、ブロンズ像は富山県高岡市の石塚錦秀堂が 製作したものである。 平成15年4月札幌北区役所 |
番外1.戦没者顕彰碑 <’11.9.24> 周辺地図 |
番外2.忠魂碑 <’11.9.24> 周辺地図 |
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開拓記念碑の横に建立されている。建立年を確認しようと、碑裏を見るが解読出来ないくらい溶けてしまったようだ。 この古さからすると、日露戦争からの忠魂碑に違いないと思われる。 |
江南神社 |
56.篠路兵村「移住記念碑」 <’11.9.24> 周辺地図 |
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江南神社境内の奥に鎮座している。石碑には「移住記念碑」の文字が読み取れるが、碑裏の文字は溶けて判読不能だった。 |
篠路兵村(現在屯田)に屯田第一大隊第四中隊として220 戸の屯田兵が入植したのは、明治22年(1889年)7月15日。 家族も含めると1,056人の集団入植だった。士族屯田とし ては最終の入地で、出身は徳島県から29戸、和歌山県から 37戸、山口県から44戸、福岡県から13戸、熊本県から45戸、 福井県から20戸、石川県から32戸であった。この記念碑は入 植して7年後の明治29年(1896年)に建立された。 平成15年4月札幌北区役所 |
57.屯田開基九十周年記念顕彰碑 <’11.9.24> 周辺地図 |
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この記念碑は立派で、吹田晋平の歌碑だと思ったが、碑文を見て屯田兵の顕彰碑だと分かる。昭和53年7月15日に建立されたと刻まれている。 碑裏には、歴史と吹田晋平の略歴が刻まれている。 |
石碑 | 石碑 | 碑文 | 碑裏 |
明治22年(1889年)7月15日に220戸の屯田兵が入植して 以来、数度の水害や冷害凶作などで、明治42年(1909年)には 70戸あまりの小集落になった。しかし、たび重なる自然の猛 威を乗り越えて一大水田地域となり、昭和40年代に入っ て住宅地として発展してきた。 この碑は、昭和53年(1978年)の開基90周年を記念して建 立された。正面の短歌は吹田晋平の作である。 平成15年4月札幌北区役所 |
58.望郷のアカマツ <’11.9.24> 周辺地図 |
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神社の前庭に植えられている。 |
明治27年(1894年)の春、屯田本部は屯田兵が故郷をい のぶよすがにと、屯田兵220戸にアカマツの苗木各2本、水 松(オンコ)の苗木各1本を「望郷の松」と銘打って無償で 配分した。 屯田兵の定着率を少しでも高めるための思いやりであるが、 屯田兵は喜んで兵屋の前庭に植えた。現在(平成3年)、屯田 にはこの「望郷の松」を含め4本残っている。 平成15年4月札幌北区役所 |
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二人の散歩路記録 (遊びの時間含む) 2011.9.24 |