三笠公園(標高5m)

 ポイント
 軍備は戦争のためではなく、自国を守るためには必要なものだと改めて思う。
 国土地理院地図 周辺地図
 <H.2210.11>
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 猿島に渡るのに時間があったので、隣の三笠公園を覗いて見る。公園に入る入る前から大きな軍艦が目の前の現れる。掠れた案内板の輪郭だけを頼りに中に入る。公園の由来書が彫られた石碑、東郷元帥の銅像、その後ろに旗艦三笠が鎮座していた。東郷元帥がいなかったら、今頃、北海道はロシア領になっていたかもしれないと思うと、自然と感謝の気持ちが沸いてくる。
案内板 公園の由来 東郷元帥の銅像 旗艦三笠
 行進曲「軍艦」の石碑もあり、改めて裏の歌詞を全て読むのは初めてかもしれない。反戦家には受け入れられない歌詞だが、侵略して来る列強諸国に対抗するためには必要だったのだろう。昔は、パチンコ屋で流れてたが、今はどうなんだろう。ミサイルの様な形をした91式徹甲弾も展示されている。
軍艦マーチ 歌詞 91式徹甲弾 説明
 三笠の由来を読むと、1904年(明治37年)8月10日に黄海でロシアの東洋艦隊を撃破したことが記されていた。日本海海戦でバルチック艦隊を撃破したのは知っていたが、学校で日本の近代史を軽視された世代の一員として、改めて知識の欠如に唖然とする。小学生の孫も学校で日本の国歌を教えられず、知らないのだからこの国はどうなんだろうかと思う。傍には、安政元年(1854)11月4日に座礁したロシアの軍艦ヂィアナ号の1848年製30ポンドカノン砲が展示されている。三笠の入口に着くと、有料でもあり時間も無かったので入らず、公園の奥に足を進める。
三笠の由来 30ポンドカノン砲 説明 三笠の入口
 穴の空いた盾の説明があり、読むとロシア巡洋艦(バーヤン)の15cm砲の盾とのことだった。日清戦争で捕獲した清国の軍艦「鎮遠」の砲弾も展示されている。
盾の説明 バーヤンの盾 三笠の側面 鎮遠の砲弾
 三笠の前部を辿って行くと、ようやく船首部が見えて来る。船首には菊の御紋が光っていた。三笠を秋の暖かな日を受けてベンチに座りながら眺めていた老人が印象的だった。
前部 前部 船首 ベンチから
 奥には、きらりと光るメインモニュメントがあり、最深部には階段状の構築物となっていた。その上に上がると海の上に、猿島が見えていた。
メインモニュメント 階段の構築物 猿島を 奥から三笠を
 三笠を見ながら、公園の前に戻ってくると、サブモニュメントが見えていた。SLの展示もしているんだと、説明板を見ると、何と非常用貯水槽だった。容量は100m3とのこと、これで、一日一人当たり3リットルで三日間まかなえるようだ。
奥から三笠を サブモニュメント 非常用貯水槽 説明

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 二人の散歩路記録
 2010.10.11