観音崎(標高73.9m) |
アクセス 全岬が要塞だったようで、至る所に軍事遺跡がある。何処の駐車場を選ぶかで、ルートも決まってくるが、中々一筆書きの様には辿れない。 国土地理院地図 GPSトラックは山の地図帖「2011.5.23」へ 周辺地図 |
<H.23.5.23> |
観音崎園地の駐車場に車を停めて、孫はアスレチック、私は観音崎を目指す。海岸線に出たら案内板がありルートを探るが、余に道が入り組んでいるので決めかねて出発する。岬の石碑が建っていて、その傍にも案内板があるが、要領を得ない。 |
駐車場 | 案内板 | 岬の石碑 | 案内板 |
観音崎の石碑の背後に、灯台かと見間違うような東京湾海上交通センターの望楼が見える。海岸線には岩の上に灯台跡のようなものも見えていた。途中に道標が立っていて、観音崎灯台600mの表示があったので、取りあえず灯台を目指し、海岸線に延びる遊歩道を辿って行く。 |
海上交通 | 灯台跡? | 道標 | 遊歩道 |
岩の上にはハマハタザオの白い花も咲いている。海岸線には小石や砂が全くないので、泥岩の地層が丸見えになっている。海岸線が侵食されていることを実感しながら辿って行くと、寂光土の看板が立っていた。良く見ると、先人の無縁仏だった。 |
ハマハタザオ | 地層丸見え | 削られる岩 | 寂光土の由緒書 |
看板のある所から中に入ると、墓石群が静かに安置されていた。掃除道具もあるので、何方か管理されているようだ。一礼して、寂光土を後にすると。次に洞窟が現れ、中に祠が鎮座し、由緒書も立っていた。少し広い所には、観音寺跡の看板が見えるが、その跡はなにも無い。 |
寂光土 | 洞窟 | 由緒書 | 観音寺跡 |
その広場には、灯台へ上がる道がある。急な道を上がって行くと、故西脇順三郎氏の「灯台へ行く道」の歌碑がある。直ぐに、灯台へ上がる石段があり道標も立っていた。坂道の途中に碑と言うよりは棒杭のような「灯台点燈の碑がある。 |
広場 | 広場から | 灯台へ | 灯台点灯の碑 |
ようやく、灯台の入り口に辿り着くと、入館料500円だったが先を急ぐので、入らずに地層丸見えの切り通しを下って行く。 |
灯台が | 灯台を見上げ | 切り通し | 地層 |
途中で、分岐になり、展望園地に行く前に、東京湾海上交通センターに寄ることにして下って行く。舗装道路に出ると近代的な建物が見える。近づいて見上げると望楼が見下ろしていた。 |
分岐 | 下って行く | 海上交通 | 望楼 |
海岸へ下って行くトンネルの入り口に、砲台跡があり最初の砲台跡なので、興味深く見て回る。中心には欠けてしまった石が鎮座していた。 |
砲台跡 | 交通止め | 砲台跡 | 砲台の中心 |
トンネルはゲートは無いが通行止めだった。その傍に道標があり階段もあったので「戦没船員の碑」方向だと思い荒れた道を辿って行くと階段が現れ、地下が口を開けていた。 |
トンネルを覗く | 道標の傍に階段 | 階段が | 地下が |
その上には砲台跡があったが「戦没船員の碑」では無かったので引き返す。元の道に戻り快適な道を辿って行くと、途中で分岐があり三角点「観音崎」のある方向だったので、登って行くと観音崎警備所(水上見張所)だった。回りは金網が回されていたので、金網沿いに三角点を探す。ここは展望も良く東京湾海上交通センターの望楼も見える。 |
砲台跡 | 道標 | 見張所 | 海上交通 |
金網沿いを辿って行くと、百葉箱の傍に、三角点が見えて来る。灯台の頭も見えてきたら、大砲が3門鎮座していて、いきなり現代に引き戻される。不審者と思われないかと早々に引き返すが、途中で、金網越しに三角点を見る。 |
三角点が | 灯台が | 大砲 | 三角点 |
元の道に戻って、真っ赤なつつじが咲いていて安心する。何かの跡が現れ、また、昔の世界へタイムスリップする。道は分岐するので、海の見晴台へ行くことにする。目の前にトンネルが現れるが、このトンネルは通行可能なので中に入る。 |
ツツジ | 何かの跡 | トンネルを | トンネル |
トンネルを抜けると砲台跡があり、傍に立っている説明板を見たら、旧・観音崎第三砲台で、28サンチ榴弾砲が設置されていたという。海岸沿いの博物館傍にある展望園地に模型が展示されているとも書かれていた。砲台跡を後にして、何かの施設跡の傍を通過して行く。 |
トンネルを抜ける | 榴弾砲 | 砲台跡 | 何かの施設跡 |
海の見晴台を一回りするが、地図に載っているアンンテナ方向には辿ることが出来なかった。分岐に戻って、壁を見ると第一展望台砲台跡と彫られていた。海岸線へ下る道標もあるが、待ち合わせ場所のアスレチックに急ぐ。 |
海の見晴台 | 道標 | 第一展望台 | 道標 |
途中に、戦没船員の碑があり、寄り道する。大きな白いモミュメントが建っていて、目の前に福碑がある。福碑を読むと、6万人もの船員の方々が第二次世界大戦や海難事故で亡くなられたという。傍に、錨があり、阪神・淡路大震災のため、解体された神戸商船大学の進得丸の錨だという。 |
戦没船員の碑 | 副碑 | 錨 | 説明板 |
天皇陛下・皇后陛下御幸記念碑、山型の石碑に皇后陛下御歌が刻まれていた。 |
行幸記念碑 | 石碑 | 石碑 | 石碑 |
見晴台から海が望め、その前に「安らかに ねむれ わが友よ 波静かなれ とこしえに」と彫られた文字が浮かんでいた。見晴台から戻って、アスレチックを目指すと、船守観音の碑がある。石畳の続く道には大きな木が鎮座している。切り通しの石碑が出てきて、目の前に橋が見えてくる。 |
見晴台 | 船守観音 | 橋の下 | 切り通し |
この橋の親柱には「めがね橋」の文字が見える。橋の下を覗くと水は流れていないが、地層の間を枯葉が流れているように見える。 更に、道を辿って行くと、海の子とりでが現れる。もしかしたら、孫がここで遊んでいるのではと思いながら、とりでの奥へと進んで行く。 |
めがね橋 | 橋の下 | 橋の下 | 海の子とりで |
案の定、孫が遊んでいる最中だった。遊んでいる最中の孫が飛んで来て、変な虫がいるという。連れて行かれて見たら、シデムシだった。ここで、まだまだ遊んでいるというので、海岸に下りて来ることにして、一旦、別れる。噴水広場から展望園地を目指す。 |
遊具 | シデムシ | 石畳 | 道標 |
噴水広場は、噴水が止まっているが、電力不足からなのだろうと思いながら下って行く。一般道を渡り、噴水広場を振り返る。目の前には、28サンチ榴弾砲の模型があり、その傍には説明板がある。狙いの方向は何処だろうと思いながら海を見る。 |
噴水広場を | 榴弾砲 | 説明板 | 狙いの方向は |
傍には、台場の説明板も立っている。せっかく、海岸に下りて来たので、花や奇岩・断層を見る。 |
台場の説明 | 可愛い花 | 奇岩 | 断層 |
海岸には、黄色い花、ハマヒルガオ、ハマハタザオなどの綺麗な花が咲いていた。ペリー来航の石碑もある。 |
黄色い花 | ハマヒルガオ | ハマハタザオ | ペリー来航 |
隆起海蝕台の説明板を見て、ビジターセンターの前を通り、ゴジラが上陸したというたたら浜に行き、ゴジラの足跡を見る。 |
隆起海蝕台 | ビジターセンタ | たたら浜 | ゴジラの足跡 |
傍には、ゴジラ上陸の解説板やたたら浜の由来書を見て、たたら浜園地に入る。園地の奥には海賊のことや横穴群の説明板が立っていたが、中に入るにはビジターセンターで受付をすませなければならないという。 |
ゴジラ上陸 | たたら浜由来 | 海賊 | 横穴群 |
横穴群のゲートを横目で見て、丸太の階段を登り返す。途中に、道標があり見晴台があった。 |
ゲート | 丸太の階段 | 道標 | 見晴台 |
尾根道に戻って、進んで行くと、謎の石柱群がある。次に、似たような石柱が立っていると思ったら花の広場だった。道端には、キツネノカミソリと思われる花が咲いていた。東京湾の遠景の石碑があるので、立ち止まって海を見る。 |
謎の石柱群 | 花の広場 | キツネノカミソリ? | スカイツリーが |
東京湾には橋が見えるが、スカイツリーは見付けられなかった。ようやく、森のロッジに辿り着き、アスレチック広場を目指すと長い滑り台で滑るところだった。階段で急いで下りると、滑り台で滑り降りてきた。何度も滑って遊んで、昼になったので、森のロッジで昼食と思っていたら、先ほどまで誰も居なかったロッジは満杯になっていた。仕方が無く、階段で昼食とする。 |
東京湾 | 森のロッジ | 滑り台の上 | 滑り台 |
昼食後、再び、滑り台で遊んで、最後に、沖行くガスタンカーを載を見る。途中で、私だけ三軒家方向へ下ることにして別れる。三軒家砲台跡には園地が広がっていた。砲台跡の説明も石碑もある。 |
ガスタンカーが | 別れて | 三軒家砲台跡 | 砲台の説明 |
弾薬庫跡と思われる謎の扉や砲台跡、砲台の説明など次から次へと現れる。 |
謎の扉 | 砲台跡が | 砲台跡の説明 | 砲台跡 |
砲台跡には地下室もあるようだった。観音崎の位置、第三海堡の説明、砲台跡を見ながら下って行く。 |
地下施設 | 観音崎の位置 | 第三海堡の説明 | 砲台跡 |
砲台跡には決まって真ん中に石が配置されていた。崩れかけた砲台跡にはピノキオのような森の番人が目を光らせていた。最後は近代的な美術館の傍を通り、道端に咲く黄色い花を見て終わる。 |
砲台跡 | 森の番人 | 美術館 | 黄色い花 |
最後に、一般道を歩き、駐車場で合流する。 |
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二人の散歩路記録 2011.5.28 |