三笠山(138.3m)地鎮山(50m)船取山(211.2m)

 ポイント
 三笠山の山麓にストーンサークル、地鎮山(じちんやま)の頂上に巨石記念物がある。船取山には名前は何か古代のロマンを語りかけているようだが登山道はないただの藪山か。

 アクセス
 北後志広域農道(愛称:フルーツ街道)を塩谷方面から余市町方向へ車を走らせ、忍路(おしょろ)に入る。
 三笠山(忍路環状列石:oshoro)  国土地理院地図 周辺地図

 アクセス
 北後志広域農道(愛称:フルーツ街道)を塩谷方面から余市町方向へ車を走らせ、忍路(おしょろ)に入る。三笠山を過ぎると、綺麗な直売所の看板と忍路環状列石の縦看板がある。この種吉沢沿いの道を左折すると、また、縦看板があったので、駐車スペースを見つけて停める。ここから、徒歩でストーンサークルに向かう(周辺には駐車スペースがない)
三笠山と看板 左折する
 「三笠山の北側麓、標高20mの河岸段丘上にある」と小樽市の資料にあるが、行ってみると平らな農道の傍にあった。ストーンサークルの中には、何故か、本州でよく見る赤松が生えていた。ストーンサークルの前には案内板があり、その傍にリーフレットが入っているポストがあり、一枚ありがたく頂く。
ストーンサークルの前 説明板 ストーンサークルの中
国指定史跡   忍路環状列石
                                        
所 在 地  忍  路  2 丁 目
指定年月日 昭和36年3月10日
管 理 者  小    樽    市

 忍路環状列石(ストーン・サークル)は、およそ3,500年前の縄文時代後期の遺跡です。
 ゆるやかな斜面を平らな面に造成し、南北33m、東西22mの楕円形に石を配置して造ら
れています。近代になって一部手が加えられ、造られた往時とは異なっているところがあ
りますが、隣接する忍路土場遺跡の関係から、縄文時代の生活を知ることができる重要
な遺跡です。
 この頃の東日本では、石を円形に敷きつめたり、あるいは石を環状に配置したお墓、い
わゆるストーン・サークルが造られており、その技術と文化が北海道にも入り、その後独
自の変化をとげていきます。
 ストーン・サークルの用途については、各地での調査例から日常の生活空間と区別され
た墓地で、死者を弔う儀式も行われた場所であると考えられています。
   なお、貴重な遺跡保護のため、柵内への立ち入りはご遠慮ください。

小樽市教育委員会
 周囲にはストーンサークルの名前の通りに、石が列状に円く配置されていたが、真ん中には少し尖った石や標柱のような四角柱状のものが見える。
                      ←大
ストーンサークルの全景(手前から)
                     ←大
ストーンサークルの全景(奥から)
 地鎮山(jichinyama:巨石記念物) 国土地理地図 周辺地図
 看板から左折するが、道は少し笹に覆われて来て車がこするので、途中でバックする。バックがなかなか上手く行かず、愛棒に何度かやり直しがかかる。ようやく、民家前までバックして来ると駐車スペースがあったので、家の人に了解を得て停めさせていただいた。今度は、徒歩で農道を歩くと左側に縦看板があり、立派な階段を上る。階段を登り一汗かくと、看板が見えてきた。
関口花園と看板 農道から階段を登る 階段を登りきると 説明板
北海道指定史跡 地鎮山環状列石じちんやまかんじょうれっせき(地鎮山ストーンサークル)

所  在  地 忍  路  2 丁 目
指定年月日 昭和25年8月28日
管  理  者 小    樽    市

 地鎮山環状列石(地鎮山ストーンサークル)は、およそ3,500年前の縄文時代後期の遺跡です。
 頂上(標高約50m)の平らな地点に、高さ1mほどの立石を12個使い、長径10m短径8m
の楕円形区画をしています。昭和24年(1949)に行われた発掘調査では、中央付近の石を
敷き詰めた部分の下から、縦横2m、深さ1mの四角い墓穴が見つかりました。
 この尾根には小規模なストーンサークルが他にも存在し、周辺にも忍路、西崎山などの
ストーンサークルや忍路土場遺跡など同じ時代の遺跡が多く知られています。
 なお、貴重な遺跡保護のため、柵内への立ち入りはご遠慮ください。
小樽市教育委員会
 柵の中には発掘のため作ったコンクリートと思われる四角い枠が埋まっていて、それを取り囲むように数個の石が配置されていた。
墓穴をコンクリートで 取り巻く石
 
                     ←大
全景
 船取山  国土地理院地図 周辺地図
 地鎮山の階段を下りたところで、ハウスの作業をしていた農家の方に話を伺う。船取山へは5〜6年前に採石のため、ブル道が上まで付けられ、採石されるところだったが、住民の反対で中止になったようだ。山頂は岩らしい。このブル道は今は藪だと言っていたが、行けるところまで行くことにした。案の定、最後には廃車となったバス(銀鱗荘)があり道は無くなっていた。あっちこっち探すが、道らしいものはなかった。山側へ入って見るが、貯水池があるだけだった。
 戻って、民家の人にお礼を言って、さらに、余市側へ移動すると、チエーンの張っている林道を見つける。車は危険だから入るなと書いてある。
船取山を望む 農道の最後 藪から船取山 林道から山へ
 ここから、船取山へ上って行くが、すぐに、別荘?や不思議な建物が現れ、行き止まりだった。灯篭や東屋、立派な石碑まである。気味が悪いが、写真は必要最小限撮る。東屋の天井にはノグチイサム風の立派な照明が付いていると思って見たら、スズメバチの巣が2つぶら下っていた。蜂の活動期でなくて良かったと胸を撫で下ろす。
 りんごの木には収穫しなかったりんごが揺れていた。この地域はスズメバチの巣があるので入らない方が良いようだ。
直ぐに船取山を 船取山が近づく 道の終わり 照明のような蜂の巣

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 二人の山行記録(遊びの時間を含む)
 2002(H14)年11月10日(日) 曇り 実際はこの逆のコースを辿った。