早来町名所旧跡
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相馬妙見神社境内 周辺地図
 積善之碑 <2017.11.27>
石碑 碑文
 宇隆自治会が1974(s49)年9月5日建立した頌徳碑。
       碑  文
 大正四年当時宇久留部落部長中田与作
氏は率先して、部落民の恒久的事業とし
ての基本財産計画を樹てられたが、その
実現は容易ではなかった。しかし、部落民
三十九名の協力を得て請願の末、大正七
年に、十五町歩九段歩の財産を見るに
いたった。
 更にその後、部落民の熱意の結果、近
耕地三町九段歩を求めることが出来て、
年来待望の部落財産の造成が実現された
次第であるが、この間中田与作氏加賀谷
助太郎氏の御努力には、敬意を表するも
のである。
 又、将来 われわれをはじめ子孫が永
く和と協力により益々繁栄し、安住安眠
出来るには、如何にすべきかに思いをい
たされ、加賀谷助太郎、田中与作両氏は
一町歩の土地を宇隆部落墓地として寄贈
されたのである。その御厚意に対し部落
民一同感激している次第である。
 ここに永年にわたる先人の功績を讃え
われわれ部落民全員の意志により、積善
の碑を建立し、遺徳を後世に傳えるもの
である。
  昭和四十九年九月五日
            宇隆自治会
 
 顯彰碑 <2015.12.9>
石碑 碑文
 碑文の銅板は錆びて判読できない所がある。1959(s34)年9月5日建立した碑。
       碑      文
そも?当宇隆自治会は明治二十五六年頃青●市三郎氏等が入
地開墾に従事しその後入地者が増加したので明治三十二年宇久
当組合を●●●●●●●●氏が初代伍長に就任して発足した。
その後政代を挙て大正四年申久当部落と改称するに及んで中
与作氏が部落部長を経に就任した 同氏は部落の発展上恒久的事業
として基本●産の建●●●●●●その財源を部落内の国有山林十
五町●●●●●●●●●●●●この運動●●●●●●●●たが実
現は●●●●●●●●●●●●一一九名は●力一致この実
現を期するために請願を●績し遂に●●七年国官●林の払下げ
を受けるに至った。同年部落集会所の必要性を實感しこの立木
を●●して部落経費に充当しその一部を以て集会所の建設費に
充てた。その後もこの立木は●●に亘って部落公共の用に供さ
れ部落の発展に●手して今日に及んでいる。
昭和二十九年には宇久●●●会と改めて自主性を確立し同年十
二年字地●の改正に伴い宇隆自治会と改称するに至った。近時
部落集会の度数は頻繁となり更に●会教育並びに新生活運動の
進展について近代的公民館建設の議がまり同三十五年〇利者
総会が開かれ山林立木の売却費を以て新構想による公民館を建
築し併せて今後この山林より生ずる収益は挙げて部落福祉のた
めに使用することを決議せられた。今や当部落●村内有数の農
耕地帯となり美田連なる平和●が建設されたのであるが憶元は
遠く大正初期における我等が先人の愛情の精神と先見の明が今
日の基●を●●たもので〇に畏敬にたえない。
茲に部落民待望の公民館建築工事の竣工を見るに当りこの構内
の一角に碑を建立●●●八年部落に土●献●●た先記諸氏の功績を顕
彰して偉徳を後代に傳えようとするものである。
右概要を叙して碑文とする。
      昭和二十四年九月五日
                  宇 隆 自 治 会
          記
39名の名前

厚眞神社境内 周辺地図
 消防記念碑 <2015.12.9>
石碑
 厚真消防創立六十周年記念碑で昭和42年4月10日建立。
 
 記念碑 <2015.12.9>
石碑
 碑陰には、1907(M40)年10月19日創立・厚真消防組と刻まれている。
 
 記念碑 <2015.12.9> 周辺地図
石碑 碑文
 碑文には「開基七十周年記念/振内用水組合」、碑陰には昭和49年9月吉日建立と刻まれている。
       碑      文
この地域は葦茂る一面の濕地帯であったが明治初期 先人
達によって開拓の鍬がおろされ言語に絶する苦難の農業経
営が始められた 先人達は灌漑用水の開設によって地域の
農業が一大飛躍することに着目し明治三十八年十月組合長
岡部福太郎氏ほか三十九名によって振内灌漑組合が設
置立されただちに北海道廳長官男爵園田安賢氏によ
り同開設の許可が交付され、直ちに井上歌治を請負人と
して契約がなされ五年の歳月を費やして明治四十二年全用水
路が完成し受益面積三百余町歩となり現在のこの地域の農
業の基礎が出来上がったのである 大正二年厚真川の大洪水
により市街地は勿論のこと農家の流出も数多く農地も一瞬にし
て泥沼と化しこの年大凶作に見舞はれ農業経営は苦難の道
にたたされたのである その後もしばしば洪水に見舞われ
全村民の悲願であった厚真川の改修工事が昭和十一年に始め
られ昭和十八年に完成されたのである 昭和十八年この工
事完了後組合は厚真土功組合に加入 同二十七年土功組合は
第六区と改稱したのである 昭和三十七年国営かんぱい事業
で同年四月六区幹線水路パイロット合併受益面積六百六十
町歩となる この工事と併せ進められていた支線延長五千
米は組合所有地を売却し総工費壱千六百万円を投じ昭和四
十九年に完成を見たのである
ここに先人の遺業を讃え組合創立七十周年を記念してこの
碑を建立したものである。
    昭和四十九年九月吉日
          記
87名の名前

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 二人の散歩路記録
 2017.11.27