富士山の名所旧跡石碑
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北口本宮富士浅間神社 Google マップ
 神門から参道を100m位入った所に角行の立行石と仁王門礎石が解説板と共に鎮座している。
参道 角行の立行石と解説板 仁王門礎石解説
 奥に入って行くと大鳥居が現れ、その傍に百度石がある。鳥居をくぐり参道を辿ると本宮が見えて来る。
大鳥居と解説板 百度石 北口本宮
 村上清光の上部を木で作った灯籠が鎮座している。灯籠には解説板が添えられている。二本の木が寄り添った富士夫婦桧見えて来る。
灯籠 灯籠の解説板 富士夫婦桧
 記念碑は掠れてよく見えないが「本殿改修諏訪神社再建」の文字が刻まれている。碑陰には昭和51年11月建立と刻まれている。句碑「登山杖/神より我に/さづかりし」碑陰には「深川正一郎/昭和62年建立」等の文字が刻まれている。修築記念碑の碑陰には「大正八己未年八月竣工/大正十四年乙丑年九月」と刻まれている。比較的新しいが碑陰のような改修記念碑がある。その記念碑には「平成二十六年六月十二日/冨士山大鳥居式年大改修理事業記念碑」と奉賛者氏名が刻まれている。
修築記念碑 句碑 修築記念碑 記念碑
 大鳥居調装大改修記念碑の碑陰には「東京都麺類協同組合有志/昭和48年20日/奉納者の氏名」が刻まれている。大鳥居調装大改修記念碑の前には、「奉寄附永代灯籠/江戸小傳馬町●●町●村上光清」「●●●年●六月三日」と刻まれた石柱がある。「御大典記念/大鳥居建設/記念碑/濱口雄幸書」と刻まれた記念碑もある。碑陰には「冨士山/大鳥居額面/梨本宮殿下/御染筆」「昭和五年八月竣工」と刻まれている。富士浅間神社」「正三位子爵秋元興朝謹書」と刻まれた石柱もある。
記念碑 石柱 大鳥居建設碑 石柱
 
富士山小御嶽神社
鳥居 忠魂碑
 富士山小御嶽神社の鳥居前では登山者が準備をしていた。境内に入ると、「明治三十七八年戰没/忠魂碑/元帥侯爵大山巖書」と刻まれた忠魂碑がある。
 忠魂碑の向かって右には昭和●十年十七日竣成の「冨士山大社/小御岳神社奉賛会」の碑が添えられている。前には「晴山講/大平十三年六月一日」と刻まれた石板、左側には「神忠●●/佐野文炳翁年十九継小御嶽神主家/時●受社殿炎上之●翁一意專心以計/●●●遂至得呈今●●盛觀翁當奉仕/六十●于茲信信徒●●議建碑社頭以欲/●●●●於後世為●和歌自詠去/●  ●六百年」と刻まれた碑がある。真ん中の碑は「東京・・・黎明・・」が辛うじて読み取れる。●●講社の碑には「横浜市鶴見区生麦町/・・・福太郎/・・冨士乃道●●之命/明治三十四年八月吉日建」の文字が刻まれている。
小御岳神社奉賛会 晴山講碑 神忠の碑 ●●講社碑
 
浅間大社東北奥宮(吉田口)
 浅間大社奥宮には一対の狛犬と木製の鳥居がある。狛犬の前には掠れて読めない石板と富士山三十三度登頂記念碑がある。奥宮は屋根の上まで石で固められ要塞にようだ。その前には「冨士山頂上浅間大社奥宮」の石柱が立っている。奥宮からは石で囲われた銀明水が見える。
奥宮 登頂記念碑 奥宮 銀明水
 
剣ヶ峰と浅間神社奥宮(御殿場・富士宮口)
 剣ヶ峰の山頂には三角点とその解説板、電子基準点が設置されている。
山頂 三角点 三角点解説板 電子基準点
 山頂には「日本最高峰富士山剣峰三七七六米」と刻まれた山頂標識が立っている。御殿場・富士宮口には「頂上浅間大社奥宮」の標柱が立っている。六角形の讃紀元二千六百年歌碑には五面に歌が刻まれているようだが判読できない。登拝50回記念碑もある。
山頂標識 奥宮標柱 歌碑 登拝50回記念碑
 鎮國之山銅碑は「明治三十一年歳(止が山)次戊戊七月𠮷之日肥前國/鎮國之山/梧竹中林隆(糸平に土)富士山時年七十有二書立」と刻まれ、台座に副碑、碑陰には再建の辞、碑側には製作者名が刻まれている。日本山脈縦走記念碑や50回登頂記念碑もある。
鎮國之山銅碑 銅碑陰 縦走記念碑 50回登頂記念碑
台座
鎮國之山銅碑

 この銅碑は中林梧竹(1827年~1913年)が明治31(1898)年、72歳のときに建立したものです。
名は隆経といい名付は母になります。備前國小城郡(現在の佐賀県小城市)に小城藩士の子とし
て生まれ、二度中國に渡り、本場の書を学びました。生涯自分の理想とする書を追い求め書聖と
呼ばれました。
 ●●は梧竹が●●した書法を日本一の富士山山頂に建てて不朽に伝えようとしたものです。その後、
厳しい環境と落雷により碑は破損しましたが、カルピス(株)創業者である三島海雲氏により昭和
42(1987)年に修復され再建されました。鎮國之山とは國を鎮める山という意で、富士山のことを指
します。
 この説明板は平成25(2013)年の梧竹没後100年を記念し設置しました。
                        平成27年7月吉日
                         佐賀県小城市教育委員会
銅碑陰
再建の辞

中林梧竹先生は文政十年(一八二七年)佐賀県小城町に生る。名前は彦四郎、号梧竹。大正二年(一九一三年)八十七歳にて
歿す。先生は幼時より天才を藩公に認められ、十八歳の時江戸に出、儒学と書道を学ぶ。明治維新後半鴻章の招きをうけ中國に
渡り、書道の奥義を極め、中國第一流の書家として認められる。明治十七年中國より帰国、名実ともに日本の第一人者となる。
 七十二歳の時、日本の将来を慮り、浄財を募りて古来國の鎮の山と崇められたる富士に本碑を建つ。
先年落雷の為この碑は破壊さる。私は先年の愛國の至情に敬意を表し、ここに碑の再建を行ふ。
        昭和四十二年十二年七月吉日    カルピス創業者  九十● 三島海雲
銅碑側
撰當 菅原大三郎
    天〇〇一
鑄造 阿部繁次郎
日本山脈縦走記念

    正力生
 昭和三十四年八月十七日、読売新聞社は日本山脈縦走の雄図を
ここに完成した 同年七月五日、東隊は青森県八甲田山を、西隊は
山口県秋吉台を出発してから四十四日目である 行程約五千キロメー
トル、東隊三名、西隊二名の縦走者を支持すべく、のべ千八百人の
サポート隊が献身的努力をした 縦走者の困難は言語に絶するものが
あったが、縦走隊の精神力と技術、サポート隊とのみごとなチーム
ワークがこれを克服した
 ここに、縦走隊の栄誉を伝え、かつ、協力後援者へ感謝の意を表
すため、この碑を建てた
     ー本州の縦走図ー
 縦 走 隊
   佐伯富男(東隊長)
   佐伯宗弘
   鈴木良博
   ●●悳夫(西隊長)
   中●文●
   ●・・・・●書
   昭和三十四年●・・・
   讀賣新聞社
   香取正彦作
 「冨士山頂浅間神社銀明水/御殿場口下山道」の石柱、何が刻まれているのかわからない石碑がある。この碑陰には「富岳神明・・」と刻まれている。戰徢記念碑や登山記念碑がある。
銀明水 ?の石碑の碑陰 戰徢記念碑 登山記念碑
?の石碑の碑陰
富岳神明之鍾故世登瞰
者遂年加其多今予動神〇
騰雲〇于石建岳上將俾後
〇登者志氣益壮〇〇〇活
動而有●天一之●也因併
誌〇意之所在焉
●●鈴木●●筆
 明治三拾九年七月東表口
 木柵再造寄附
戰徢記念銀明水東京一心講
 大正五年八月吉日
 鳥居奉納  開山
 登講三拾週年記念 
 千葉縣松戸市丸弘講社
登山記念
 昭和廿四年七月三日 
 お鉢回りの途中で殉難碑を見つける。スバルライン五合目に戻ると富士山の石碑があった。
殉難碑 富士誕生 富士山の概要
「冨士誕生の歴史」

 富士山は 東西方向の古い日本列島と 南畝区の新しい日本列島が
斜交している 世界的にユニークな フォッサ・マグナ(大地裂帯)の
中に誕生した秀麗な成層火山です
今から1,500万年~1,000万年前の激しい海底火山の堆積物や1,000万年~
500万年前の貝 クジラ サメ等の化石も含む砂岩 レキ岩等の地層 それに
地下深部で結晶した石英せん緑岩等からなる新しい大地の上に 70万年~
20万年前 小御岳火山 愛鷹火山が誕生しました
つづいて10万年~1万5千年前 小御岳火山近くに 古冨士火山が誕生し
さらに1万年前~現在までに新富士火山が小御岳火山 古冨士火山の古い
堆積物を覆うように新しい溶岩を流し 火山放出物を積もらせ 三階建ての
富士山が形成されたのです
成層火山の寿命からみると富士山は 現在ー松の葉ー後で 最も美しく
 神々しく輝き 人々に深い感動を与えています
日本の代表的なシンボル「富士山」の概要

  富士山の歴史
 富士山の標高は3,776㍍であり、日本で一番高い山です。
この山は、太古の時代から噴火を繰り返されてできた円錐形の
火山です。
 現在の山の形は約1万年前に形成されたと推定」されます。
記録に残る最後の噴火は1707年におきました」。
  文学や絵画に登場する富士山
 古代の詩集「万葉集」の中に富士山に関する最初の記述」が見え
ます。そして、その後、頻繁に日本文学の中に登場してきます。
 また、富士山は「北斎」や「広重」による作品など、多数の有名
な絵のテーマとなって来ました。
  富士山に生息する動物や植物
 富士山の自然環境は変化に富み、ニホンカモシカ、ツキノワ
クマ、ヤマネコなどの哺乳動物、ルリビタキ、ビンズイなどの鳥
類、ダケカンバ、カラマツ、コケモモなどの植物をはじめ様々
な動植物が生息しています。
 私たちは、今後も、これらの貴重な自然を守っていかなけれ

ばなりません。

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 Uuaの記録
 2025(R7)年7月12日(金)-13(土)  晴れ