伊東市の名所旧跡
小室山公園

 アクセス
 国道135号線沿いに西松屋の看板や小室山の総合案内板がある。看板から東側に真っ直ぐ進みグラウンドを回り込んだ辺りに第二駐車場、その先に道標があり右に入ると大駐車場に着く。
 国土地理院地図  Google マップ
=写真をクリックすると大きなサイズになります=
小室山五俳人の句碑
碑文
碑陰
 五人の句碑があるが、達筆で読めないので、誰にでも分かるように解説板を添えて欲しい。
 小室山を詠む
 恋すてふ落暉追ひ落つ寒椿 恭子
 鄙ぶりのくれなゐ強き椿かな  茂雄
 つつじ燃え伊豆の近か富士親しうす 南畦
 人語絶ゆるまで繚乱とつゝし燃ゆ  龍人
 神々の襖をはづす五月富士   器
 碑陰を見ると「伊東市俳句連盟では伊東市文/化協会の主催により例年伊東温泉つつじまつり俳句大会を開催委/しておりますが、本年第五回大/会を迎えるに当りこれを記念し/選者五先生の御執筆により句/碑を建立致しました。/選者名/渡辺恭子 曲 水主宰/島村茂雄 笛 主宰/河野南畦 あざみ主宰/小笠原龍人 塔 主宰/神蔵器 風 土主宰/昭和61(1986)年四月建立」と刻まれている。木が邪魔で見えない所もあった。
愛子様植樹
2025(R7)年2月17日 2008(H20)年3月29日
 葉がまだ無く、花も咲いていないので樹種がわからないが、看板「敬宮愛子内親王/お誕生日記念植樹/平成十四年五月三日」が添えられていた・
 
戦歿殉難者慰霊塔
 戦歿殉難者慰霊塔の入口に向かって左側に石碑はあるが、その碑文は殆ど解読できなかった。「みたまよ麗しくふる里にねむりたまえ」と刻まれているようだ。解説板「平和への道標」にも記載がない。
石碑 解説板
  慰霊の塔
この塔は過去数次の大戦において
祖国の繁栄を念じつつ尊い一命を
ささげた英霊壱千五百柱の遺勲を
たたえその霊を慰めるため市民の
浄財によって建立されたものである
 昭和四十二年四月
           伊東市
 慰霊塔の入口には、左手にプロペラ、右手には錨の墓標がある。プロペラの墓標の前にはシートで覆われた石碑?がある。両側に灯篭を配した石畳を辿って行き塔を見上げ拝礼する。塔の基部には碑文が添えられていた。
左にプロペラ 右は錨の墓標 塔を見上げる 碑文
 忠魂碑
忠魂碑 副碑
 戦歿殉難者慰霊塔の右側の遊歩道沿いに「宇佐美忠霊顕彰会」が建立した忠魂碑がある。建立は大正五年か?碑陰には明治、大正の文字やご芳名が僅かに見て取れる。
 副碑には、宇佐美戦変殉難者之碑と刻まれている。忠魂碑の碑陰の人数よりもはるかに多い200名を越えるご芳名が刻まれている。
 
 忠魂碑
慰霊碑 碑陰
 碑陰には「明治時代の戦没者21名の年月日、場所、肩書、芳名と大正六年十月帝国在郷軍人會伊東町分會建立」と刻まれている。その後、4回にわたり各一名が追加されている。追加された年月日は「大正●年十一月五日/大正●年十一月五日/昭和十年三月二十四日/昭和●年四月十一日」と刻まれている。
 
小室山神社
 里宮2025(R7)年2月17日
入口 リフト乗り場 参道
 リフトの山麓駅横に神社の入口がある。扉を開けて中に入ると、舗装された参道が延びている。
 リフトの横の参道を登って行き、振り返るとリフトが見える。石の鳥居を潜り、奥宮と同じ解説板があり、写真を見る。鳥居の形の絵馬がたくさん吊るされていた。
リフトを 石の鳥居 写真を 絵馬
 
 奥宮
 2025(R7)年2月17日
木の鳥居 由緒書き
 以前来た時とすっかり変わっていた。鳥居も山道も新しくなっていた。小川は無くなっていた。
 2008(H20)年3月29日
奥宮 小川 由緒書き
 小室神社に立ち寄り由緒書きを眺める。境内には参道を横切って小川が流れていた。山頂なのに水源は何処なのだろう。
神祇大社

 アクセス
 国道135号線沿いにある伊豆ぐらんぱる公園の西向かいにある。
 Google マップ
 2025(R7)年2月17日 静岡県伊東市富戸1088-8
 ペットと一緒にお参りできる八百万の神が祀られている。解説板には60の縁起石(象形文字の石)を踏めば御利益があると言われている。境内には大木がある。
入口 解説板 水場 大木
 石碑「神道●は御親に仕へる道を●●候/●●恵一」と刻まれた石碑があり、傍に履歴を刻んだ副碑が添えられている。商売繫盛の神様の立看板があり鈴の下には恵比寿大黒が鎮座している。何となく愛嬌のある狛犬も見られる。
石碑 商売繫盛の神様 恵比寿大黒 狛犬が
 縁起石を探してみるが、戌、とり、清●、蛇の四種類だけが探せた、
とり 清●

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 2025(R7)年2月17日 2008(H20)年3月29日