国立千鳥ケ淵戦没者墓苑

 ポイント
 国立千鳥ケ淵戦没者墓苑のHP によると、「墓苑は昭和34(1954)年3月に設立された。大東亜戦争での国内外の戦没者は310万人余で、収集された遺骨は127万柱余、その内の無名戦没者やご遺族のいない戦没者は36万96柱(平成26年5月26日現在)が奉安されている」との旨が記載されている。昭和20年の人口は7215万人余なので、20人に1人が戦没したことになる。
 平和祈念碑(外地からの引揚者)と追悼慰霊碑(シベリア抑留者)は、HPや案内図にも記載がないが、東門近くの黒っぽいゲートの中に鎮座している。

 アクセス
 靖国神社の南側で、内堀通り(410号線)沿いに位置している。
 Google マップ
=風景写真をクリックすると大きなサイズになります=
   <2014(H26)年5月22日>
 千鳥ケ淵公園の中を歩いていたら、ポツリポツリと雨が降り出した。傘を差すまでもないと思い歩いていたら、本降りになりだした。西門から中に入ろうとすると、門の所に掠れて見難い案内図があった。
 中庭には、今上天皇御製碑があり、碑文には「御製/戦なき世を/歩みきて思い出づ/がの難き日を/生きく人々/正仁親王妃華子謹書」と刻まれていた(平成17(2005)年9月27日建立)。
西門 案内図 今上天皇御製碑
 御製碑の傍の植え込みに、葉に一部隠れた副碑があり、解説文が添えられていた。細長い前屋の前を通って、反対側の御製碑に進むと、昭和天皇御製碑があり、碑文には「御製/千鳥ケ淵戦没者墓苑/くにのためいのち/ささげしひとびとの/ことをおもへばむねせまり/くる/秩父宮妃勢津子謹書」と刻まれていた(昭和35(1960)年3月28日建立)。昭和天皇御製碑にも副碑があり、解説文が添えられていた。
副碑 前屋 昭和天皇御製碑 副碑
 本屋は六角堂といわれ、その真ん中に、陶棺が安置されていた。この棺は、戦没者由来の地から小石を集めて焼いて造ったので陶製だとのこと。献花台の傍に、一本100円で菊の花が手配されていた。棺に向かって献花し、頭を下げ哀悼の意を表す。地下納骨堂はバリケードがあり近づけないので覗き見する。前屋の中は、じっくり見ることも無く、東門に向かうと、戦没者の説明板があるが、地図は掠れていて見難い。
本屋 陶棺 地下納骨堂 説明板
 碑文をみる間もなく、本降りになった雨に追われるように、東門を後にする。東門の前には千鳥ケ淵を見渡せるデッキがあり、北側と南側を見る。
説明板 東門 千鳥ケ淵(北側) 千鳥ケ淵(南側)
 平成22年8月に建立された「引揚に伴う死没者の永遠の平和祈念碑(20万人余)」、「強制抑留者の尊い命を失われた方々の追悼慰霊碑(抑留者57万5千人の内5万5千人余)」の場所がわからず墓苑を後にしてしまった。「さざせ石」も探せず、次回の訪問を誓う。 この墓苑は靖国神社と並んで、一回は尋ねてみたいところだったが、靖国神社とは趣が全く違うと実感できた。アメリカ人には分からないだろうと思いながら雨に打たれる。それにしても、樺太、千島、北方領土の遺骨収集の低さが気になってしまう。
 平和祈念碑・追悼慰霊碑<2015(H27)年5月20日>
 墓苑の片隅には対の樺太にも関係する石碑が鎮座していた。石碑には平和祈念碑、追悼慰霊碑と刻まれ、碑陰を見ると平成二十二年八月建立とある。平和祈念碑は、引揚に伴う死没者のため、追悼慰霊碑はソ連に強制抑留され亡くなられた方々のものだった。手前の離れた所にある副碑には、二つの石碑の解説が刻まれていた。
墓苑の片隅に 樺太関係の石碑 引揚者の副碑 抑留者の副碑
向かって左側の碑
      <引揚に伴う死没者の永遠の平和祈念碑>
昭和20年8月、今次大戦が終結し、終戦の大混乱の中、生
活のすべてを失い、苦難の末祖国に引揚げてこられた方々は
約320万人にも及んだ。しかし、終戦の失意と疲労困憊の極
限状態にあった引揚者にとって祖国への道のりは遙かに険しい
ものであり、引揚げの途中、20万人余りが犠牲になった。こ
れら引揚者の過酷な体験を記憶し、後世に伝えるとともに、犠
牲となられた方々へ深い哀悼の意を表し、恒久の平和を祈念し
て、この碑を建立する。

             The monument on your left
     AN ETERNAL PEACE MEMORIAL FOR THE VICTIMS
     WHO DIED DURING THE POSTWAR REPATRIATION
Amidst the chaos that occuried at the end of the last war in August 1945
about 3.2 million people returned to thie home conuntry of Japan while losing
everything they had and rugged and they suffered from postwar despan and
total exhaustion. more than 200,000 people lost their lives on the way home.
This monument was established in order to remember then harsh experiences
and hand them down to future generations and in order to express our deepest
sympathies to the victims and pray for eternal peace.
向かって右側の碑
  <強制抑留者の尊い命を失われた方々の追悼慰霊碑>
昭和20年8月、今次大戦が終結し、武装解除後にもかかわら
ず、旧ソ連は57万5千人もの軍人軍属及び民間人をシベリア
や中央アジアなどに長期にわたり強制抑留し、 鉄道敷設や森
林伐採などの過酷な強制労働に従事させた。栄養失調や極寒
の劣悪な作業環境下で約5万5千人が犠牲になった。この悲惨
な事実を風化させずに、後世に伝えるとともに犠牲となられた
方々へ深い哀悼の意を表し、恒久の平和を祈念して、この碑を
建立する。

              The monument on your right
           A CENOTAPH FOR THE VICTIMS OF
           THE POSTWAR FORCIBLE DETENTION
Although the last war ended in August 1945 and disarimament look place
the former Soviet Union forcibly detained about 575,000 military personnel
civilian military employees and other civilians in Siberia,Central Asia and
other areas for along pend of ume and forced them to perform hard labor
including railroad construction and logging. About 55,000 people died due
to malnutrition and the terrible working conditions in the extreme cold. This
monument was established in order to remember this tragic fact and hand in
down to future generations and in order to express our deepest sympathies to
the victims and pray for eternal peace.

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 二人の散歩路記録
 2015.5.20 2014.5.22