浅草の風景

 アクセス
 浅草駅から隅田川公園を目指し、川辺に延びる遊歩道を北上する。
 周辺地図
=風景写真をクリックすると大きなサイズになります=
 スカイツリー<2011.5.25>
 隅田川の川辺に下りると、墨田区役所の左側にスカイツリーが見えて来る。首都高速6号向島線が邪魔して基部が良く見えないので、言問橋方向に北上する。花壇にはアオスジアゲハが飛んできて、あっと言う間に飛び去る。都会の蝶は警戒心が強いようだ。言問橋に近づくとスカイツリーが一段と近くに感じる。
スカイツリーが 墨田川右岸沿いを アオスジアゲハ 言問橋と
 待乳山聖天(まつちやましょうでん)<2011.5.25>
 金龍山大聖歓喜廟碑
 東口の階段は閉じられていたので、向かって左側の階段を上ると、本殿の横に出てしまう。一旦、正門の階段の上まで下ると、石碑が目に留まる。
東口 階段を 正門から 石碑
 近づいて見ると石碑額に「金龍山大聖歓喜廟碑」の文字が刻まれていた。碑文は所々掠れて見難くなっている。特に下部の字が見難い。中にはパソコンには無い字もあるようだ。字は何とか読めたとしても内容がほとんど理解できなかった。
 正門からの参拝者と合流して、本殿を時計回りで一周することにする。待乳山聖天は毘沙門天を祀ているようだ。直ぐに、銅造宝篋印塔が鎮座していた。石の台座には「寶篋印塔」の文字が見える。屋根の四隅に鈴がぶら下がっているのと、本体が銅製なので不心得者から金網で守られているようだ。
石碑額 碑文 復興記念 解説板
金龍山大聖歓喜廟碑
金龍山在武蔵国豊島郡 推古天皇時漁人霊師○三兄弟網●宮●雨得観
音大士金像廟紀寛于浅草寺至今香人●至千載不絶二人傳言先是之●九月
廿日一昔聞●上自地●湧出焉金色神龍自虚空降住鳥山奥龍長留興龍于●地
鎮護大士廟像●山名取於斬一名曰真土山又曰待乳山発●沖謂待乳在下総
者謂実然紀伊近江駿河皆有待乳山僧辨基藤●光俊●歌●云者●在紀之
山也戌曰●在江之山塊 後鳥羽帝釋頓阿各著●謂待乳在駿矣皆不言及
奥在武者按紀江駿皆有菴埼棺關屋里隅田川在●待乳進地興山近地亦有菴
埼閥屋里隅田川此國之川特入在五中将和歌為関●東一大勝地以名偶與
在三邦者相同好事者牽取彼名跡附會此地之山里●●可知也然北山之所
以可貴者豈在于斯哉抑其所以可貴而傳者以有庚聖歓喜天自在天在焉也
縁起日大士出現後九年天大旱炎熱如爆赤池●里●●芸咨于時大士應作
歡喜天始乘跡於其山出拔苦與楽大神力起慈雲洒涼雨●濟有情無情一切衆
生矣後  文徳帝天安元年慈覺大師留錫於此山月昆郡夜釈●一字呪氾浄油
面歡自在像廟中今所有本池佛是也柳歡喜天之為徳也陰陽和合之根元諸
神諸佛之父母一切恒河沙國土人天鬼畜一草一木之微莫非其應作飴将領
九千八百諸大鬼三遊三千世界上奉衛三寶下利益衆生故受持其法者諸
天加護之解聡災害寝苦如求官求福求禄求宮求貴求●求壽求色皆令随其
所願而得満足成有侵?信其法者則諸神震怒壁破之頭脳為七分八●使呪
經説之詳●千柄秋艇深換える歸依此山大聖天募四方信天善男女欲立碑勅神徳
與快山河貴而傳以余郡人債余作記編歡閻浮堤諸信者託余作記以證其信
心三昧時文化元年臘○日記
 謎の石<2011.5.25>
謎の石(↑大)
 更に、本殿の裏手に進むと、保護石に囲まれた石がある、最初は三角点かと思ったが、凄く時代を感じる石だった。戦災で焼け残った大事な何かの一部なのだろうか。
 戸田茂睡の歌碑<2011.5.25>
 本殿の後ろにひっそりと、元禄の歌人戸田茂睡(とだ もすい)の歌碑が副碑や説明板を伴って鎮座していた。碑文を見ても達筆なので私には全部は解読できなかったが、「あはれとは夕越へてゆく人も見よ/まつちの山に残すことの葉」と読まれているようだがとても読めない。碑文の真ん中に刻まれている戸田茂睡は後に恭光と改名したようだ。主碑が金属で、副碑が石で、説明板が木という組み合わせは何ともアンバランスな感じがした。
歌碑と副碑 歌碑 副碑 説明板
 天狗坂と三角点<2011.5.25>
 天狗坂の看板が立っていたが、天狗坂は閉鎖中だった。天狗坂の近くには蓋石に覆われた三角点(待乳山、標高は不明だが10m位)があり、そこからスカイツリーが見える。流石に、前方後円墳だっただけはあると感心する。三角点を振り返り、元来た道を引き返す。
天狗坂の解説 三角点 スカイツリーが 振り返る
 山谷堀公園<2011.5.25>
 山谷堀公園は堀の跡が整備され散策路が延びている。道端に今戸橋の親柱があるが当たり前ながら川はすでにない。最初に、十二支が刻まれた方位石塔があり、回りを回ってから堀の跡を辿って行く。
公園案内板 今戸橋 方位石塔 堀の跡
 聖天橋の親柱があらわれ、案内板があり現在地が分かる案内板が立っていた。小川風にはなっているところもあるが、水は流れていない。道を横切るたびに橋があり、次は、吉野の親柱が建っている。
聖天橋 案内版 小川風 吉野橋
 正法寺橋を過ぎると、堀跡は藪に消えて行くので、山谷堀橋で散策を止める。道路の向こう側には、まだ、堀跡が続いているようだった。
正法寺橋 堀が藪に 山谷堀橋 道路の向こうに
 浅草寺<2011.5.25>
 浅草寺を北側から入って行くと、五重塔が見えて来る。本堂を過ぎるとスカイツリーも見えるようになる。仲見世通りは入り口に近づくにしたがい人混みになるので、裏道に逃げる。
五重塔 本堂 スカイツリー 仲見世
 旧石燈籠(部分)<2019(R1)5.16>
由緒書きと 石燈籠
 老朽化した石燈籠の一部が、惜しまれながら鎮座している。
 添田唖蝉坊碑・文士添田知道筆塚<2019(R1)5.16>
石碑 解説板
 解説板には唖蝉坊碑が昭和30年11月28日、筆塚が昭和57年3月7日建立と記されている。唖蝉坊碑は掠れて何が刻まれているのか分からなかったが、頭巾を被った和服の男性の影が見える。その傍に、唖蝉坊と刻まれている。次に、文字が刻まれているようだが、「つきいだす 鐘は上野」が読み取れる程度だった。台座には、経歴が刻まれていて、昭和19年2月8日永眠とある。
 都々逸塚の碑<2019(R1)5.16>
石碑
 碑文の右上には●歌二六号、左下に亀屋忠兵衛とあるが何のことかわからない。

散歩路もくじ8へ   次浅草橋界隈へ   北の探歩訪へ

 二人の散歩路記録
 2019(R1)5.16 2010.10.5