青森の名所旧跡 |
青森市 |
高屋敷館遺跡と賽の河原跡 6月26日 <2017(H29)年> 国土地理院地図 周辺地図 |
入口に小屋があり、「賽の河原」の看板を掲げた小屋がある。壁には、青銅製と思われる解説板がある。後ろの契約内容部分は緑青を吹いて見にくくなっている。この小屋から奥へと進んで行くが工事中のようで高屋敷館跡跡までは行かなかった。詳しくは青森市のHPに記載されている。 |
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入口の小屋 | 解説板 | 脇のお堂 | 館跡? |
地図を見ると、遺跡を避けるように国道7号線が弓なりになっている。 |
国道七号線バイパス迂回に伴う 「賽の河原」移転経緯 一、賽の河原の由来 賽の河原は、小児が死んでから苦しみを受けるとされる冥 途にある三途の川原であり、石を拾って父母供養のために塔 を造ると鬼が来て壊すため、これを地蔵菩薩が救うという。 高屋敷の地に何時できたのかは不明ながら、樹齢三百年以上 の黒松の存在した場所を古くから「賽の河原」と称して、住 民の信仰の寄り代となっていた。 二、移転の経緯 平成六年に国道七号バイパスに関連して発掘調査をした高 屋敷館跡は、平安時代後半の環濠(防御性)集落として、全 国の注目を浴びることとなった。以後、平成十二年にいたるま での保存運動の高まりとともに、既存のルートを迂回させて 遺跡の保護を図ることになり、同時に「賽の河原」も移転す ることになった。 高屋敷町内会は、浪岡町役場建設課を介して国土交通省青 森河川国道事務所と話し合いをもち、平成十五年九月三〇日 移転契約書に署名することになった。 =以下契約内容略= 平成十六年六月十五日 ●●記 |
城ヶ倉大橋 6月26日 <2017(H29)年> 周辺地図 |
紅葉で有名な所で、大橋の両サイドに駐車場があるが、城ヶ倉温泉側の駐車場に車を停める。道路を挟んで歌碑が2つある。 |
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大橋 | 駐車場 | 歌碑 |
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城ヶ倉渓谷沿いに2.051kmの遊歩道があったようだが、閉鎖されている。 |
田舎館村 |
6月26日 <2017(H29)年> 周辺地図 |
田舎舘村役場で、300円を払って展望デッキに上がると、田んぼアートが見えて来る。7色13品種の稲を使て、神話「ヤマタノオロチとスサノオノミコト」を描いているという。天守閣の展望台へは200円で上がれと言うことが最後まで分からなかった。 |
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天守閣の展望台 | 展望デッキ | 青天の霹靂 | あさやき |
展望デッキからは黒森山を中心に山並みが見える。 |
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黒森山 |
反対側には岩木山も見えていた。 |
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岩木山 |
黒石市 |
九戸家住宅主屋 6月26日 <2017(H29)年> 周辺地図 |
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一般住宅の中に茅葺の住宅がある。 |
旧黒石城址 6月26日 <2017(H29)年> 周辺地図 |
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新境松橋の北側に、石柱が立っている。陣屋跡は一般家屋が建っている。 |
黒石城址 6月26日 <2017(H29)年> 周辺地図 |
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美幸公園の奥の一角に石柱と陣屋絵図の看板がある。 |
弘前市 |
最勝院五重塔 6月26日 <2017(H29)年> 周辺地図 名所なので、最勝院のHPに詳しく載っている。 |
入口に駐車場があり数台駐車できる。駐車場から中に入ると、三十三観音が一番から並んでいる。新仁王門から五重塔が見え出す。門の両脇には仁王が睨みを利かせている。門を入ると両脇に三十三観音が鎮座している(一体毎最勝院のHPに解説されている)。高見から見下ろせたり、間近にも行ける。五重塔の他に、聖徳太子堂、薬師堂、庚申堂などがある。 |
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新仁王門から | 新仁王門越しに | 五重塔 |
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二人の散歩路記録< 2017年6月26日(月) 晴れ |