手稲温泉「光風館(こうふうかん)」跡(80m)

 ポイント
 誰も訪れない忘れ去られた場所だが、そこにも歴史があるようだ。昔の2万5千分1地形図では約250坪の建物が描かれている。

 アクセス
 富丘6条3丁目は富丘南公園から札樽道を潜った周辺と思われる。
 国土地理院の地形図 GPSトラックは山の地図帖2008.4.4へ 周辺地図
=写真をクリックすると大きなサイズになります=
 昔の手稲山登山口の痕跡を探そうとしていたら、手稲温泉「光風館」が浮かんで来た。とりあえず、光風館を探しに出かけた。富丘の坂を上がり、富丘南公園傍を通り、札樽自動車道を潜ると、目の前に石垣が現れる。石垣から右の道はゲートで閉じられているので、上に続く道を道なりに辿ってみた。
 上には個人の家があり、犬が吠えていた。変なやつが来たと思っているだろうと、恐縮しながら奥へ進んで行くと、自然石で作った石垣やコンクリートの布基礎が雪の中から覗いていた。光風館の跡だろうか、建物の残骸も見受けられる。「北海道造林記念碑」や「土俵」もあると言われているが、大きな岩が傾いてあるのみだった。「球徳稲荷」から距離にして200mとのことなので、この辺りには違いないと勝手に解釈する。
富丘南公園から 光風館石垣? 光風館基礎? 北海道造林記念碑?
 11月28日に再訪したときには、建物の残骸、縁石が並んだ道、中が土管の煙突、大きなコンクリート跡が見られた。
建物の残骸(11/28) 縁石が並んだ道(11/28) 土管の煙突(11/28) コンクリート基礎(11/28)
 一度、戻って、入口の土手側にあった「球徳稲荷」を見に行く。鳥居があり、「球徳稲荷」と染められた旗が風にたなびいていた。
 球徳稲荷の上から見ると山側に林道が延びているようなので、辿ってみる。民家の裏手には小さな池(水溜り)がありその傍に小さな祠があった。光風館由来あのかは判然としないまま奥へ進んで行く。昔の登山道の一片でも見られるかと辿ると、富丘川を堰き止めている砂防ダムで終わりだった。
球徳稲荷の鳥居 球徳稲荷 砂防ダム
 それでも、登山口の痕跡を探そうと、富丘川沿いの雪の上を歩いてみる。右往左往しながら探してあるくがそれらしい痕跡は無い。落胆しながら戻って来ると、方丈位の面積のブロックとコンクリートで作られた構築物があった。屋根は壊れていて、出入り口が無いところから温泉井戸跡かと思ってしまう。隣りにはこれと同じような形をしたミニチアのようなものからパイプが引かれていた。
 戻る途中で、メグ(泉)を見つける。この住人もこの泉から飲料水を得ているのかポンプアップの施設があった。
富丘川 温泉井戸? 温泉井戸? メグ
 次に、昔の手稲山登山道を探しに行く。「手稲峰」の山麓を巻いていた「丸山林道」は、今は札樽自動車道で寸断されているが、富丘6条の住宅奥にあった。入口は、地元の人達の散歩道になっているようで、踏み跡があり、奥に入ると石垣に沿って木で作った階段がある。この辺りは薬草園があったと言われていて「ドクダミ」が群生していたと言う。春になったら「オリンピア通」の駐車場跡まで辿って見ようと思う。
 最後に「手稲温泉(光風館)の道筋にあったと言われている地蔵菩薩が、「祥龍寺」(手稲区稲穂2条1丁目)と「医王寺眞妙寺」(手稲区富丘4条4丁目5-1)に保管されていると言われているので、訪ねて見る。
住宅地の入口 丸山林道跡へ 祥龍寺 医王寺眞妙寺

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 二人の散歩路記録
 2008.4.4 2008.11.28