カムイチャシ(20m) 文学碑散歩 

 ポイント
 たまにヤマから離れて散歩も良いのではないでしょうか。噴火湾の海と岩が綺麗でした。幌扶斯山よりもよっぽど、こちらの方が目の保養になりました。
=写真をクリックすると大きなサイズになります=

 アクセス
 豊浦町の礼文華から海岸線を大岸に向かって走っていると、茶津崎のトンネルの傍に階段が見えた。見晴が良さそうだったので登ってみる。
  国土地理院の地形図 周辺地図
           ←大
茶津崎のカムイチャシ
 カムイチャシ史跡公園
 【由緒書の文面】
 カムイチャシ遺跡
 昭和46年に発見された、この岬の上のチャシコツ(砦址)は、一方が尾根に続き、三方が絶壁の要塞地である。
 長さ16m、幅5m、深さ3mの壕が内陣の形を組んでいる。
 壕の内線に沿って築かれた土塁や、つぶて石と思われる数多くの礫も発見されている。
 このチャシは先住民族の文化を探る貴重な遺跡である。
 豊浦町教育委員会
 入口に立っている由緒書を見て、木段を上がって行く。急な階段なので、上から転げ落ちても途中で止まるように、二段になっているのかと変なことを考えながら登って行く。豊浦町のHPでは153段あると記されているが、数え違えたのか127段で東屋だった。東屋からは有珠山が良く見える。
看板 由緒書 公園の看板と木段 落ちても半分まで?
 【東屋前の由緒書の文面】
 豊浦町カムイチャシ史跡公園
 東にオフケシ(大岸)西にレブンケップ(礼文華
)南に駒ケ岳を望むこのカムイチャシは、原形のま
ま残されている道南随一の史跡である。
 その種類は丘先式、面崖式・丘頂式・平地式・
独島式等およそ四八三基が確認されている。このカ
ムイチャシは丘先式の一つである。
 「チャシ」とはアイヌ語で砦・館・柵・柵囲い
の意味をもつ。
 チャシの建造の目的として壕を掘り、木柵や土塁
をめぐらして、館や砦として利用する場合と、宗教
的行事や会合を行う斎場的な場としての利用に大別
される。
 このカムイチャシ
はつぶて石の発見
から砦を目的として
造られたものと思わ
れる。
 昭和六十三年八月
 豊浦町教育委員会
 東屋の前に由緒書があり読むと、シャシは海側が崖なので、山側に壕を掘り要塞化したようだ。どうやら、丘の先になるので、丘先式と呼ぶらしい。
 東屋から更に海岸側に階段と木道が伸びているので、行ってみる。壕と思われる溝には橋が架かっていて、渡って行く。奥は木道がループ状になっている他は変わったところもないが、一応、奥に進むと綺麗な海が覗けた。つぶてとした石は草の中なのか見つけることは出来なかった。尾根筋には祠らしきものが見えたが、出来ればもう少し上まで遊歩道を作って欲しかった。
 階段の上から覗くと手摺に掴まりながら登って来ていた。東屋からは有珠山が望める。青い海の向こうにも山影があるが、雲がかかっていて良く分からない。
東屋前の由緒書 上から覗くと 東屋から有珠山を 青い海を
 東屋からは少し下がって、木道をまた上がる。綺麗な海岸線を覗いて、木道を辿って行く。
東屋から 木道を 綺麗な海を覗き見る
 豪に架かる橋を渡ると、木道がループになる。ピークには何も無く、回り込んで、また、豪を渡って東屋へ帰る。
壕に架かる橋 木道がループに 豪を渡る 東屋へ帰る
 文学碑
 文学碑公園には斎藤茂吉、与謝野鉄寛、晶子、伊藤整の文学碑がある。海の彼方には駒ヶ岳が浮かんでいる。肝心の文学碑の写真がないが、逆光で真っ黒だった。
文学碑へ 駒ヶ岳 文学碑 礼文華海岸

散歩路もくじ3へ   次百畳敷洞窟へ   北の探歩訪へ

二人の山行記録もくじ3へ   次幌扶斯山へ   アソビホロケール山へ

 二人の散歩路記録
 2003年7月13日(日)
 カムイチャシは127段で上へ