古平の名所旧跡 |
丸山烽火所跡<2002.5.6> 国土地理院地図 周辺地図 |
古平から積丹に向かうと、港町を過ぎた当たりに信号があり、左に曲がる。すぐに、山側に上がる道がある。左に琴平神社を見てさらに上ると、ふるびら温泉に着く。温泉の裏側に丸山自然歩道の入り口があり、登り切ると烽火所跡に辿り着く。革靴では厳しい。 |
遊歩道入口 | 山頂(大×) | 説明板 | 烽火所跡 |
丸 山 烽 火 所 跡 この烽火所は、標高192mにあり、西辺 の警備のため、寛政2年(1790年)頃 松前藩の命により、古平場所請負人岡田弥三 治(8代)が岩盤を直径2m、深さ3mに堀 り、その上に薪を5m四方に高さ3mに積み 置き、郡内の異変、又は異国船を発見した時 これに火を放ち烽火を挙げ、美国、余市方面 へ知らせ、更に松前へ急使をたて防備に当っ たものである。 |
吉田一穂生誕百年記念碑<2012.6.29> 古平文化会館敷地内 周辺地図 |
|
碑文には「白鳥/古丹/一穂」と刻まれている。古平町指定史跡第一号にしていされている。 隣に、副碑があり、その解説がなされていた。 |
水見周悠々子句碑<2012.6.29> 古平文化会館敷地内 周辺地図 |
|
古平町指定史跡第二号に指定されている。 碑文は「鶯や/昔本陣/今番屋/悠々子」と刻まれている。碑裏は光って良く見えなかった。 |
古里は往古、古都と云ふ名を用 ひたのを目にした事がある。 僧円空留錫の作品も殘り、又 鰊の千石場所としても文化の中心地 であった。 鶯や昔本陣今番屋悠々子 の句の如く産業交通の近代化と 鰊の漁獲の変化等によって本陣 が番屋となり現在は観光の為に 大盤振って居る 古平の積丹文化の誇るべき歴史 をなつかしみつヽ今後の町の産業 文化の発展を烈々と願ふのを覚 えるのである。 平成三年七月七日 歌風法人日本伝統俳句協会副会長 伊藤柏翠 |
高野素十句碑<2012.6.29> 古平文化会館敷地内 周辺地図 |
|
古平町指定史跡第三号にしていされている。碑文には「ふる/さとを/同う/したる。/秋天下/素十」と刻まれている。 |
野村泊月句碑<2012.6.29> 禅源寺境内 周辺地図 |
|
古平町指定史跡第五号にしていされている。 碑文には「蝦夷の/古都/古平濱の/盆の月/泊月」と刻まれている。 |
今中素友歌碑<2012.6.29> 禅源寺境内 周辺地図 |
|
禅源寺境内に石碑が鎮座している。 碑文には「山葡萄/もみぢてりはえ/きてはみる/蝦夷のくにはら/にしきをなせり/素友」と刻まれている。 碑裏には「今中素友先生ハ福岡の生れ川合玉堂に・・」と刻まれているが、楷書で無いので私には読めない所がある。 |
たらつり節発祥の地<2012.6.26> 周辺地図 |
|
古平町の街中に、「たらつり節発祥の地」碑がある。1990年8月に古平町文化団体協議会1が建立したようだ。 |
散歩路もくじ1へ 次観音滝へ 北の探歩訪へ |
二人の散歩路記録 2012.6.29 2012.6.26 2002.5.6 |