豊平区の名所旧跡 |
ポイント こりんとめーたんのまちの魅力発見に豊平29、美園7、月寒26、平岸29、中の島24、西岡福住26、東月寒10、合計151か所載っている。 |
豊平地区(1〜29) |
13 中学校前(中学校前通線)<2015.9.1> 豊平5条2丁目1-1 Google Map |
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豊平橋南集会所の隣の市営豊平橋南団地2に、解説板がある。 解説板には「豊平橋から4条通に入り平岸街道に至る約1,300mの道路。昔は旧制北海中学への通学路として、多くの学生たちがこの道を通った。」と記されている。 |
26 豊平町役場跡<2010.8.10> 豊平4条6丁目1-1 Google Map StV |
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豊平村は明治7(1874)年に開村、明治35(1902)年に月寒村と平岸村の2村を合併、明治41(1908)年に豊平町、昭和36(1961)年に札幌市と合併した歴史があるようだ。石碑は新しく、平成3(1991)年10月に建立されたという。 |
月寒地区(37〜62) |
43 月寒神社境内 月寒2条4丁目1 Google Map |
月寒忠魂碑<2015.8.25> |
月寒神社の境内には、忘れ去られたように、ひっそりと石碑が鎮座している。石碑には解説板が添えられている。 |
忠魂碑 | 解説板 | 石碑 | 碑陰 |
開町五十年記念碑・59吉田善太郎功労碑<2015.8.25> |
いずれも、大正時代に建立された石碑で、開町五十年記念碑と吉田善太郎功労碑が並んでいる。 |
並んだ石碑 | 記念碑 | 功労碑 | 解説板 |
月寒開基百年之碑碑<2015.8.25> |
昭和45年9月に建立された石碑で、解説板も添えられている。碑文は陽の光で見えにくいが、しっかりと刻まれている。碑陰には明治4年に月寒草分移住者44戸の氏名が刻まれている。 |
石碑 | 解説板 | 碑文 | 碑陰 |
45 月寒公園 月寒2条4丁目1 Google Map |
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月寒神社の下には、ボート池があり一周できる。 |
北光星第八句碑<2015.8.25> |
月寒公園の一角には北光星第八句碑が鎮座している。平成12年6月25日建立と刻まれている。 |
句碑 | 解説板 | 碑文 | 副碑 |
平岸地区((63〜91) |
63 軟石門柱<2015.8.25> 平岸6条15丁目 Google Map |
個人住宅の門として使われている。 |
門柱 | 解説板 | 朽ちた蝶番 |
79 坊主山(64m)<2015.8.25><2010.12.6> 平岸5条11丁目 ぼうず山公園 Google Map |
坊主山には推定樹齢100年を超えるホオノキがあると言うので、一番高そうな所を目掛けて上がって行く。山頂は長い石垣で囲まれているので、石垣の切れ目から山頂に上がろうと思ったら、ここも石垣とフェンスでガードされていた。仕方が無く、石垣沿いに辿って行くと。「坊主山公園」のプレートが出てくる。公園沿いに下がって見ると、坊主山の全体が見えて来る。坊主山だと確信して、公園の一番高い所を目指すと東屋があった。 |
ホオノキ | 公園のプレート | 山の全体 | 東屋 |
東屋からは藻岩山、奥三角山、円山、市街地が一望できる。角度を変えればテレビ塔やJRタワーなども探せる。 |
←大 |
藻岩山 円山 JRタワー('10) |
←大 |
藻岩山 奥三角山 手稲山('15) |
肝心の東山遺跡と湧水跡がどこにあるのか探せなかった。 |
80 ピラ・ケシ・イ<2010.12.6> 米里行啓通 平岸1条3丁目 Google Map |
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道端に、看板がある。 |
81 天神山チャシ跡<2010.11.18> 平岸1条18丁目1 |
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天神山はアイヌのチャシ跡で、約5千年前の縄文文化中期頃遺跡でもある。天神山の別ページあり。 |
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