物語5 犬と私
        私は4匹の犬と付き合ってきた。それぞれ個性的な犬達だった。
(1)1匹目はアカ
 私は小学校時代に、親父に泣いて頼んで、犬を手に入れた。この犬はアイヌ犬で雌の成犬だった。名前はアカ、毛色が赤いからアカだった。実はこの犬には前の飼い主がいた。この飼い主はアカをえらく可愛がっていたらしい。犬を我が家に連れてくるときには一家総出で来た。どうして、手放すのか不思議だった。

 アカが来てからは、学校から急いで帰って来て、楽しい犬との散歩をしていた。しかし、ある日、散歩を終わっても悲しそうに泣くので、庭に放してやった。庭は一応、柵をまわしていたので、逃げられないはずだったが、あっさり、外へ出てしまった。

 私は帰っておいでと言いながら、後を追ったが、後ろを見ながらどんどん何処かへ行こうとしていた。私は必死になって追いかけたが、気がつくと元飼い主の家の前だった。私は呆然とした。こんなに可愛がっても、元の飼い主には及ばなかったんだと、そして、半分べそをかきながら、一人で家に帰った。

 まもなく、アカは元の飼い主に引き取られた。私はほっとした気分になった。その後、数年して、アカが死んだと聞いて、一人で泣いた。
(2) 二匹目のチビ
 兄がどこからか見付けてきたが、この犬もアイヌ犬で雌だった。子犬の時に来たから名前はチビだった。外見は美犬で、犬の品評会でも賞をもらうくらいの犬だった。

 しかし、チビは美犬の割には、小さいときから気が荒く、気に食わないと見境なく噛み付いた。こんなチビにも子供が生まれた。どこかのバカが来て、チビの小屋をゆすったときに、チビがすごい形相で怒った。

 次の日、小屋の中がみように静かだったので、覗いてみたら、生まれた子犬の頭が無かった。どうやら1匹だけ生きていたが、足が動かなかった。この1匹もまもなく死んでしまった。小屋をゆすったバカをずいぶん憎んだ。

死んだ子犬は兄がどこかへ埋めたようだった。チビも気が荒すぎて、だれかに、毒を盛られて死んでしまった。
(3) 三匹目のオッチ
 妹が友達からもらってきた雑種の雄で、名前はオッチだった。これが性格の良い犬で、みんなに可愛がられた。中学、高校、大学と進んで行く内に、気にはなっていたのだが、オッチからだんだん遠ざかっている自分があることを感じていた。そのうち就職し、オッチと別れるときがきた。半分見捨てるような形となり、その後、親父が面倒を見たようだ。

 たまに、家に帰ると喜んで出迎えてくれた。親父が死んだ時に家に帰ると、下腹が異常に膨れていた。元気がなく、頭をなでてやると、毛の弾力がなくざらざらだった。昔のつるつるした毛並みが失われてしまっていた。もう、死ぬかもしれないと思いやりきれなくなった。
 親父が死んでまもなくオッチも死んでしまった。あの時の目は今も忘れることができない。半分見捨てたような私の目の中を覗きこんで、なお、私に尻尾を振っていた。それも楽しそうに振舞って、それが最後だった。

 私は何か悲しみというよりは、自分が世話できなかったので、安堵感に襲われた。私も、就職してからやらなければならないことが多かった。結婚して、仕事に追われ、子供ができて、オッチどころではなくなっていたと、言い訳をしていた自分を見つけていた。
(4)4匹目のニーナ
 息子と娘にせがまれて飼うことにした。どこかで聞いたような話の展開に苦笑した。兄に頼んで、子犬を見つけてもらい、夫婦で旭川まで連れに行った。シェトランドシープドック(シェルティ)の雌だった。愛棒は犬が苦手だったが、小さな子犬を見て安心したのか、自動車の中では膝の上に置いていた。

 この犬は気立てがやさしく、器量良しだったが、少しオッチョコチョイだった。名前は7月7日に連れて来たので、ニーナ(7が2つ)と名づけた。
 はじめは家の中で飼っていた。小さな小屋の2段しかない階段を下りるのがおぼつかなかった。夜は私達の寝室で一緒に寝た。夜泣くので、タオルに時計を包んで母犬の心臓の音だぞと思わせた。やがて、ベットに飛び乗れるようになり、何時の間にか、私の首の上で寝ていた。始めは窒息しそうで目覚めた。

 それがさらに大きくなって、家の階段を上がったり、しているうちに秋になり、このまま家の中で飼うか、外で飼うか決断するときが来た。犬にとってどちらが良かったかはわからないが、獣医の意見で外で飼うことにした。家で飼うと毛並が良くならないと言う。それから、小屋を作り外にだしたが、始めは泣いてばかりいて、近所迷惑だったと思う。

 毎日、毎日、雨の日も、風の日も吹雪の日も一家で散歩をした。一家がまとまって行動できたと思う。海水浴にも連れていった。あまりに暑いので、砂を掘って体をもぐらせたりして遊んでいた。泳ぎはあまり好きでないようだった。
 夏には三角テントを持って、千尺スキー場で1日過ごしたこともあった。小樽の天狗山にも連れていったが、リスが怖がっていると、係員に注意され、しょんぼり帰ったこともあった。

 やがて、子供が大きくなると、ニーナから気持ちが離れて行くようだった。その分夫婦で可愛がった。
 しかし、ある日、散歩に連れて行こうと、玄関サッシに入れて準備をしていると、血のような小便をして、腰が抜けてしまった。すると、すまなそうな、ばつの悪そうな目で私達を見上げていた。
 すぐに、バスタオルで包んで近くの犬猫病院につれていった。その間私の顔をじっと見つめていた。今もその重たさが手の中にある。

 犬猫病院ではすぐに診てくれる様子もなく、順番を待っていたら、先にいた人が急を察して、順番を譲ってくれた。やがて順番が来て診てくれたが、診断はフェラリアということだった。私は旭川にはフェラリアがいないので、札幌もいないのかと思っていたが、寄生したらしい。すぐに、入院ということになった。
 次の日、病院に行くとすでに死んでいた。あれだけ、何かあれば連絡して欲しと頼んでおいたに、なにもしてくれなかった。その上、すぐに引き取ってくれという。
 なにも用意していなかったので、自動車のシートに敷いていた長いクッションに載せて引き取った。もうこの犬猫病院は行かないと、二人で憤慨しながら家に帰った。

 段ボールで棺を作り、火葬場を探した。望来に火葬場があったので、家族で行った。人間と同じように火葬して、骨を拾ってやった。なんとも、尻尾の骨の小さいこと、なんともいとおしかった。骨を骨壺に入れて、納骨堂に安置して帰ってきた。
犬と子供達と友達
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