物語4 山の楽しい出会い                
 (1)紅白登山へ

 大雪山は8月の始めに行く計画だったが、食中毒で断念していた。最近、孫も二人できてしまって、てんてこ舞いでもあった。この記念に紅白登山を決行することとなった。きっかけは大雪山の5色で刺激を受けたこともある。

 当日、二人ともなぜか朝早く目が覚めてしまった。昨夜から準備はしていたので、札幌の家を直ぐ出ることができた。おにぎりは途中のコンビニで買うことにしていたので、作らなかった。
 旭川を出たあたりで、おにぎりを買うことにしていたが、見事に最終コンビニを通り過ぎてしまう。
 層雲峡にもよってみたが店は開いていなかった。トイレは開いていたので使わせてもらう。1日1回はでるので、山でなんかたれたものなら山メールを追放されるかと思うと、これで、ほっとした。清潔なトイレであった。

 結局、オニギリなしで銀泉台に着いてしまう。到着が6時前だったが、山小屋は開いていた。
 山小屋に入り、キョロキョロして、飯の匂いを嗅ぐ。不審者と思ったのか、山小屋の人が声をかけてきた。
 「なにか、必要なものがありますか?」と見かけよりも親切なおじさんなので、安心して話しができる。
 「あの、おにぎり売ってないでしょうか?」と聞く。
 「おにぎりですか、ちょっと聞いてきます。」と言って、奥の方へ入って行った。まもなく、「今、炊きあがり、5分くらい蒸してからできます。」ということだった。
 何分ということでもなく、漠然とした時間だったので、少々不安が残るが、「お願いします。」と言って、作ってもらうことにした。その間、登山届けを出したり、その辺をうろうろする。相棒は高山植物の鉢ものを物色している。どうやら、帰りに買って帰るつもりらしい。

 暇だったので、相棒はおじさんをつかまえて、この頃登山者が多いか聞いていた。答えは「花の時期よりも少ないということだった」。相棒はあまり多いのも嫌いだし、少ないのも嫌いなので、今日のような平日はどうかと聞く。すると、おじさんは「山の好きな人は花の時期が終わっても来るよ。」とのことであった。
 それを聞いて、相棒は具体的でない答えではあるが満足そうな顔となった。

 山小屋に戻ると、女性二人でおにぎりを作ってくれていた。そこには、なんとなく、朝のお袋の匂いが漂っていた。
 炊き立てのごはんを茶碗に入れ、塩を付けて握るところだった。海苔を巻いて、容器に入れてくれ、紙で包んでくれた。私は紙はゴミになるからいらないと思って、遠慮したが、「蒸気が出ないように包んでおきます。」と言うことだった。
 何となく、母親にさとされたような気で聞いていた。その好意をありがたく受け入れ、紙に包んでもらった。これが後で食べる時に感激することになる。
 (2)赤岳へ

 無事、おにぎりをゲットして、少し重くなったリュックを背負い、登山口へ向かう。所々に石垣が見受けられる道路工事跡をたどる。その最終地点が登山口となる。ここで、冷や汗のでるような、びっくりする現実があった。
 大雪山横断道路の行く先はイソツツジの群落なのである。

 組織という火薬でぶっ飛んでしまう鉄砲玉のお役人を良く止めることができたものだ。中止させた人に感謝する。相棒の親父が開発局のお役人だったことを考えると複雑だが、気が付くと、二人で腹を立てていた。
 この石垣は歴史遺産で保存する価値があると思った。二度とこのようなことが起きないようにと。お役人が自分でそれに気づき保存するような、時期が来ることを期待したい。

 理屈っぽいようであるが、極めて平均的な一般市民の考えであると思う。
 登って、まもなく、お花畑があり、お花畑でなくても花は咲いている登りが続く。花の時期は過ぎたとは言え、まだまだ花は咲いている。この二人、花の名前は良く分からないらしいが、コマクサ、イワギキョウ、良い匂いのするイブキトラノオ?(SADAKOさんが歯間ブラシと言っている)、ナナカマドの真っ赤な実、真っ赤になりかけのウラシマツツジなど見ごたえは十分ある。

 この夫婦のレベルは名前を楽しむと言うよりは、身体全体で楽しむタイプなので、名前は二の次らしい。
 実の付いている花?を見ると、どんな花が咲いていたんだろう、きっとこんな花だったねとか、二人は楽しんでいた。その楽しみの中、凄い音が聞こえてきた。音のする方を良く見ると、自分達も上がってきた砂利道を自動車が上がってくる。バリバリという音に近い音で、なんとも複雑な気持ちになった。

 二人は登っている内に気が付いたのだが、大きな木がないので、初めから展望が良いと言うことである。雲が押し寄せてこなかったら、近くの山がもっと良く見えたことだろうと悔しがる。
 コマクサは登り切った比較的平坦な所に自生していた。盛りは過ぎたとは言え、可憐な花をまだ咲かせていた。一部に川のような湿地があり、春先の融雪期には泥んこになるだろうと思う所を横切る。

 この辺は、山下夫妻、SADAKOさんなどの山メールの仲間がせっせと通った所なのかなと思い、有るはずの無い痕跡をさがす。
 もしかして、カメラのケースがと、今年はそういうケースもあった。
 真っ青な空は大雪山の上だけで、後は雲が押し寄せていた。その青空には数本の飛行機雲が出来ていた。サンマを食べたあとの骨のような雲もあり、盛んに上を向いて楽しみながら歩く。いつものように相棒が「山の上にいると、必ず飛行機の音を聞く。」と言う。
 今日も飛行機が音を出して飛んでいる。これが、頻繁なのでどうも不思議らしい。聞くところによると、日本国は国土保全のため、定時に飛行機を飛ばし、警戒しているようなことを言う人もいるが、まだ、結論は出ていない。
 
 まもなく、赤岳の頂上に着くが頂上という雰囲気がまるで感じられないが、まぎれもなく山頂標識があるので山頂である。一応、記念写真を撮る。
 岩の上に乗ると頂上に感じられるが、わざわざ登ることもないと通り過ぎる。
 (3)白雲岳へ

 次の小泉岳ではなおさらで、分岐点としか感じられない。
 しばし、厭世的な山の玄人のいやがる鈴の音と共に進む。相棒の持論であるが、「熊さん、私達は人間だよ、食べても美味しくないよ、食べたら、熊さんが殺されるよ」と言う。

 つまり、人間の好みで、音がうるさかろうが、熊のことを考えると、ニアミス解消のためには鈴しかないと言うのである。一理あると感心している。さらに、熊はどこの山でもいるんだと続く。山の神には逆らえない。市街地だって出てくるのもまた事実だ。

 これから、真っ直ぐ白雲岳の石室と北海岳の分岐を突っ切って、お目当ての白雲に登ることになる。
 この白雲岳は学生時代の思いで多き場所でもあった。あの時は恐竜の様な岩の上を飛びながら頂上へいったのだが、今、年思うと高山植物を踏んづけていなかったかと、冷や汗が出る。心の中で、踏んでいたらごめんなさいとつぶやく。

 野球場かローマのコロシアムを彷彿とさせる火口に入って、そこを半周する格好になる。なぜか、みんなに見られている主人公になった様な気がする。まんざらでもない、自然と笑みが、顔がバカになっている自分に呆れる。片手を上げなかっただけでもまだましだったかと、赤面する。

 この火口原が春先に水が一瞬溜まって幻の湖となると小宮さんが言っていたのを思いだす。
 また、この火口原を見せたらツドームより良いと、すぐ走りだすものもいるかもしれないとも思った。

 最後の岩を登り頂上に踊り出ると、目の前には学生時代に来た時のように旭岳が残雪の縦縞ドレスをまとっていると思っていた。
 しかし、当たり前のことであるが残雪は無い。だれだろう、今年、純白のドレスを脱がしたのは!きっとこまめなAダッチューノかな?赤ワインで酔わせておいて!だから旭岳の顔はなんあに赤いのかな?

 さっそく、頂上の一枚岩に陣取ってブランチの始まりである。なんとも贅沢な山頂レストランであった。お客はわれら二人で、雲のウエーターだ。雲のテーブルクロスはすでに敷いてあった。後は、運んでもらうのは美味しい空気だけで十分だった。

 さっそく、ビールを飲む。山頂で飲むビールは泡がなんてこんなに美味いのか!この贅沢ものめ!と、いつも、飲むときに言う合い言葉になってしまった。早速、おにぎりを包んでいた紙を取り除いて、びっくりした。まだ、今、握ったように温かい。感謝、感謝の一口一口だった。ありがとう。

 目の前には旭岳が雲に隠れ全体をなかなか見せない。二人でなんとか見えるまで居るぞと意思表明し、粘る。お鉢の方は丸見えなので横目で見ながら食べる。去年のお鉢巡りを思い出して、また、話しの中でお鉢巡りを始めていた。
 例によって、この男、ボーットして何を考えているのかわからないところがある。

 また、詩でも頭に浮かんでいるのだろうか?なにか、パートナーの手を取って、ダンスでも始めるような素振りだ。この酔っぱらいめ!すっかりいかれてる。
 相棒は娘に携帯電話をするが、圏外でつながらない。なんどもするが、無駄だった。どうやら、赤岳から白雲岳周辺は圏外のようだ。

 そういえば、相棒はだれも頂上にいない時には、鈴の代わりにカセットテープをつけてと言うのだが、今日は、忘れているようだった。
 (4)楽しい出会い

 しばらくして、背後から鈴の音を付けた足音が登ってくる。これはすごい馬力だ、かなりの健脚の人だと直感する。
 二人で顔を見合わせた。鈴の音がなかったら熊かと思ったほど力強いものがあった。
 
やがて、息づかいも聞こえて来る。
 頂上に躍り出てきたのが、まだ若い女性であった。彼女はわが山メールの山女さんと熊子ちゃんを合わせたような雰囲気があった。遠慮して、離れた岩に陣取って、水とソーセージを食べていた。細身のところは山女さん、ビールを飲まないところは似ていないと思った。

 なんとなく、目が合って、相棒と頂上会談が始まる。
「どこから来たんですか。」と聞いてきた。
「はい、札幌からです。」相手はどうやら登山口を聞いたようだが、相棒は完全に勘違いしていた。これが、導火線となったようだ。相手は思わず笑い顔になった。
「私、生まれは四国の土佐です。6月から道内各地を250ccで回っているんです。6月に来た時に、利尻岳に登って、9合目で雪があって登れなかったんです。」と女性が言う。

「利尻はまだ行ったことないけど、そんな良いとこなの、一度行って見たいと思っているんですが」と相棒は言う。
「それで、また、利尻に行って、登って来ました。おまけに昆布干しのバイトをしてきました。バイト先の人は良い人でした。また、行きたい、出来れば、北海道に住みたい」と矢継ぎ早に言いだす。

 相棒も私も、ただ、うなずいているばかり。
「うにのバイトもやってきました。うにはバフンウニとムラサキウニがあって、トゲの短いバフンウニの方が美味しいです」と続く。
「良い経験をしましたね」と相棒が言う。
「はい、両親も賛成してくれてます。何事も実体験ですから」

「6月の芦別岳の新道では雪渓で30分くらい迷いました。今度は旧道を登ってきます」
「旧道は雨で荒れているようなので、気を付けて行ってください」と辛うじて私の出番だった。山メール仲間の情報を伝えてほっとする。
「実は、トムラウシも行きたいです。これから、北海道は熊のシーズンなので、注意します。林道を走るのは緊張します。谷底に落ちたら探してくれそうにないので」と結構慎重なことを言う。

「気を付けてね」と相棒が言う。
 もう帰り支度をしている。記念に写真を撮って欲しいと、カメラを渡される。山頂標識で横と縦2枚とっていると、旭岳が全形を現した。すかさず、旭岳バックで1枚を撮る。旭岳とお鉢回りはもう済ませたらしい。

「山はかなり登ってんですか。今度また何処かの山で合いましょう。それでは、ヤー早く着くすぎた2時間かからず来てしまったので、緑岳を回って帰ろうかな」と言い残して行ってしまった。

 なぜか、小気味よい話し方は熊子ちゃんに何処か似ていた。元気にしているんだろうな、九州で!
 彼女が居なくなって、二人で顔を見合わせた。ソーセージ1本食べただけで行ってしまった。アー、バナナもゆでたまごも残っていたのに、食べてもらえば良かったと思うが、とにかく、彼女のテンポはわがアソビホロケール隊のスピードでは追いつけない。
 (5)緑岳へ
 なにか忘れ物をしたようで、二人で立ち上がって、コロシアムの入り口に行くまで見送る。その間、われわれも、緑岳に行く、行かないで、揺れていた。
 彼女の姿が見えなくなると同時に、ブランチを止め緑岳へGOサイン

 これから、追跡が始まるが、とにかく彼女の早いこと、早いことったらない。
 わがアソビホロケール隊若干2名、若干とは若さが干せたという意味だが、このときばかりは、若さを取り戻して真剣に石室へ向かって下る。

 しかし、ビールがちょっぴりきいていたので、見る人見たら、千鳥足で、だらだら下りていると思うだろう。だが、当人達はいたって真剣だった。
 途中に紫色のトリカブトがはい松の下で咲いていた。
 はい松と言えば、ホシガラスいないかな、酒井さんが探していたようだ。そういえば、相棒には言ってなかったが、この辺で大きな熊が出たと「大雪山の動物記」で八木良子さんが書いていたが、熊いないかなとキョロキョロして下りていった。
 石室に着くと裏側でかなり登りなれた男性が座っていた。かなり人間嫌いなようだ。あっち向いていたが、軽くあいさつして、そっとしておいた。
 石室にはだれも居なかった。石室の扉には○○コースは閉鎖中、石室は使用禁止の張り紙をしていた。相棒も腰が引けているので、ろくに見ないで、先を急ぐ。と言うのも、彼女はもう緑岳の山頂近くにいたからだ。

 緑岳方向はまだ雪渓があったが、雪渓の端はもう腐っているので、歩くことは出来ない。仕方が無く、石に巻く付けた赤いテープをたどり雪渓を迂回する。横から見ると赤い布きれが着いた杭が雪渓の両端にささっていた。ガスの時には全く見えなくて苦労するかもしれないところだ。

 緑岳と小泉岳の稜線のコルを目指して登っていると、なにやら、後ろに気配がするので、振り返って見ると、石室にいた男性が5m位後ろに来ていた。何時から来たのか分からない、二人にとってこの瞬間がなんとも嫌な時だった。どのくらい迷惑をかけたかわからないからである。直ぐに、道端によって先に行ってもらう。

 鈴を付けていない人なので、私の鈴は止める。相棒はそのままにし登る。
 鈴虫なんかも嫌われてるんだろうな!アメリカ人は虫の声や風鈴の音は雑音でしかないと誰かが書いていたと思う。
 この頃の登山者もアメリカナイズされたのもいるからな!と勝手に皮肉れた解釈をする。なぜか、波松さんが懐かしい。

 コルについて、やれやれと思い、緑岳の方を見ると、先ほどの女性がもう下りてきた。危なく、行き違う所だった。すれ違うときに、たたずんで、しばし、にこにこ顔で、お互いにあいさつをする。
「アレー、やっぱり来たんですか」
「はい、来てしまいました」
「また、どこかの山であいましょう」と同じあいさつで、また、別れる。お互いの鈴の音が遠ざかる。チリ−ン、カラーンと・・・約束を一つ果たしたようで、ほっとする。

 この会話のために来たようなもんで、緑岳は惰性で行ってしまう。
 頂上直前でまた違う若い女性にであう。
 緑岳からは高原温泉方向に点在する沼が良く見えた。トムラウシ方向はあまり良く見えなかったが、白雲岳は良く見えた。高根が原の雪渓が丁度、真っ白い犬のように見えました。
 記念写真を撮っていると、頂上にいた老夫婦が、食事をしていた。
「白雲岳は登ってきたんですか」
「はい、登ってきました。あまり、早く着いたので、ここまで足を伸ばしました」
「若いからいいですね。私達はここで終わりです」と言う。
 われわれも、大した差はないが、若いと言われて相棒はまんざらでもないらしい。
 緑岳に着いて、ビールがないことを盛んに悔やむ。ビール1本残してここで飲むんだった。帰りはチンタラ、チンタラ行であった。
 (6)下山
 緑岳の山頂手前で合った、先ほどの女性も小泉岳への稜線をチンタラ、チンタラ帰って行くところだった。小泉岳の稜線は小石がゴロゴロしていて足元が定まらない。相棒は2回転び、足を捻挫してしまった。靴を脱がせ、エアサロンパスを吹き付ける。しばらく、休憩していると、杖の先に付けるゴムを見つける。

 相棒がどうやら、動けるようになったので、出発する。小泉岳まではだらだらと長く感じられた。赤岳は惰性で通過する。何時付けたのか、15cmくらいの間隔でストックの穴が無数に土の上のついている。ソイルエロージョン(土壌流亡)にならなければと思う。高橋さんが心配していたのはこのことかと再認識する。

 チンタラ女性はカメラが趣味らしく、盛んに写真を撮っていた。ついに、追いついて、抜いてしまう。まもなく、われわれを抜いて来る。
 抜き去る前に、「掘った芋いじったな」と日本語で聞く。相棒は時間を携帯の表示で教えてやる。すると、力強くはないが、ちょうちょうのようにファファした感じでスピードを上げて下りて行った。どうやら、バスの時間に間に合わせようとしているようだ。相棒の携帯が10分くらい早いのが気になったが。

 しばらくすると、バスがバリバリという音を立てて砂利道を登ってきて、駐車場に止まっているのが見えた。
 そういえば、朝見たウンコがまだあった。紫色の実を食べたウンコだった。フランクフルトソーセージ2本と茶碗一杯のウンコだった。キツネは紫色の実を食べるのだろうか?サンカヨウかツバメオモトのような大きめの紫色の実だった。茶碗のほうは未消化だった。

 山小屋に着くと先ほどのチンタラ女性が待合室から顔を出して、ぺこんと挨拶をする。間に合って良かったとお互いの挨拶でもあった。
 まもなく、バスの運転手とチンタラ女性がバスへ向かう。彼女の貸し切り状態だった。

 朝に出会った山小屋の人がいて、相棒は2鉢高山植物を買ってしまう。ぼりぼりのお汁もあるよと言われたが、食べないで帰る。
 私は下山の手続きをすると、トイレのパンフレットをくれた。後学のためもあって、トイレに行ってみる。トイレの外観は綺麗だが、ボットン便所で、紙を別にするよう注意書きがしてあった。紙は水洗トイレでいえば、水槽の位置に入れるようにしていた。入れる位置が高いので、あまり機能的ではないと思った。

 帰りの車の中で、おにぎりのお礼を言うのを忘れていたことに気がついた。相棒は足に湿布をべたべたと貼っていた。エジプトのミーラも真っ青になるような貼り方だった。私も1枚膝に貼ったが、以外と心地よい。
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