島松の名所旧跡
御大禮記念碑 島松駅逓所 御膳水 駐蹕處 石造蔵品倉 御大記念樹 明治天皇島松行在所 中山久蔵翁頌徳記念碑 水田址と赤毛種見本田 ハス池 暖水路跡 寒地稲作この地に始まる碑 クラーク記念碑 島松川 |
アクセス 島松駅逓所へは国道36号線から脇に逸れた道を辿って行く。無料駐車場が完備されている。 Google Map |
御大禮記念碑<2012.7.24> |
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島松駅逓所の駐車場入口には、御大禮記念碑が建立されていた。碑横には昭和3年11月10日建立と刻まれて、碑裏には「御大典記念事業トシテ本碑ヲ建設シ/神饌田ヲ耕作シ収穫米ヲ伊勢神宮、明治/神宮ニ奉献シ尚ホ唐檜壱百本植樹ス」と刻まれていた。 |
島松駅逓所<2012.7.24> |
道路を挟んで木造平屋建ての建物があり、近づいてみると島松駅逓所だった。片隅に立っている看板を見ると、駅逓所の解説が書かれていた。中には入らずに、玄関を覗くと管理人が座ってこちらを見ていた。玄関先を素通りすると、片隅に石柱があり、史跡島松駅逓所と刻まれていた。裏側に回りこむと、昔ながらのトイレと思われる飛び出た建物があった。 |
道路を挟んで | 道路を渡って | 説明板 | 石柱越しに |
一、名 称 国史跡 旧島松駅逓所 二、指定年月日 昭和五十九年七月二十五日 文部省告示 第百十三号 三、説 明 島松駅逓所は、北海道各地に設置された駅逓の一つで、明治初期の 姿を残す駅舎・施設は、北海道の近代化を識る上で貴重な遺構であ る。 駅逓は、交通不便の地に駅舎、人馬等を備えて宿泊・人馬継立・ 逓送等の便をはかるために置かれた施設である。 北海道における駅逓制度は、古く松前藩時代にさかのぼり、明治 に入り開拓使に直結された形で駅逓業務が継続された。 島松駅逓は、明治六年(一八七三)十二月、箱館・札幌間の札幌 本道の開通に伴い島松川の右岸に設置されたのに始まり、初代取扱 人は勇払場所総支配人の山田文右衛門(明治八年まで)が、二代目 は山口安五郎が務めた。 その後は、明治十年(一八七七)、中山久蔵が請負人となって鶴谷 新次郎が駅逓取扱人となったが、明治十七年(一八八四)八月から 中山久蔵が正式に駅逓取扱人となり、以後島松駅逓が廃止されるま で、この駅逓の業務は中山家によって行われた。 現在の木造平屋建ての建物は明治六-十三年(一八七三-一八八 〇)に建てられた中山久蔵居宅・客室に同十四年増築の行在所が主 体をなし、その後小規模の改築が行われた。 史跡内にはハス池、井戸などの附属施設が保存されている。 ・敷地面積 四,一八〇.三〇 平方米 ・建物面積 三三三.九六 平方米 ・構 造 木造平屋建 木端葺 |
御膳水<2012.7.24> |
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駅逓所の一角には井戸があり、近づいて見ると、石碑と説明板もある。 |
駐蹕處<2012.7.24> |
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駅逓の裏に小路が延びていて、上がって行くと苔むした石段があり、その上に大きな石碑が鎮座していた。 石碑には駐蹕處と刻まれ、碑裏には明治23年11月の文字が見える。 |
石造蔵品倉<2012.7.24> |
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鉄の扉に、南京錠が掛けられ、一見すると祠のように見えるが石造りの蔵だった。明治天皇の下賜品類が納められているようだが、建立年月日も刻まれていない。傍に、説明板も立っていない。 |
御大記念樹<2012.7.24> |
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碑裏には「大正4年11月7日/通学区域一同」の文字が刻まれているが、どの木が記念樹なのか分からなかった。 |
明治天皇島松行在所<2012.7.24> |
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旧石柱の表には「明治天皇行在所」、裏には「昭和三年九月一日建立」の文字が刻まれている。 新しい石柱の表には「明治天皇島松行在所」、横には「史跡名勝天然記念物保存会 ●●/昭和八年十一月●●●●●●」の文字が読み取れた。 |
北海道 指定史跡 島松駅逓所跡 昭和四三年三月二十九日指定 所在地 札幌郡広島村 字島松一・二・一八番地 指定理由及び説明 駅逓は、交通不便の地に駅舎、人馬を備えて宿泊と 運送の便をはかるために置かれたが、その起源は松前藩 時代までさかのぼり、明治以降は官営に切り替えられ て道内百数十カ所におかれたが開拓の進歩につれて次第 に廃止され、昭和二十三年をもって全く姿を消した。 島松駅逓は、開拓使の初期の工事であった明治六年の 札幌本道の開通に伴って、始め胆振国千歳郡島松村( 現恵庭町)に設置されたが、明治十七年に石狩国札幌郡 月寒村字島松に在住の中山久蔵が駅逓取扱を命じられ 同位置に近接する同家が駅逓所になった。 中山久蔵は明治四年、この地方最初の移住者となり 石狩水田の祖とうたわれた開拓功労者で、同家は明治十 四年の天皇行幸に際して行在所となっていら●●●● 北海道開拓を物語る記念物として、往時の駅逓の構造 を残した建物が行在所にあてられた座敷が保存されてお り、附近の水田跡や蓮池とともに貴重な遺構である。 保佐上の注意 一、 遺構及び建物をき損しないこと。 一、 許可なく現状を変更しないこと。 一、 指定地内及び附近では火氣に注意すること。 前記の事項に違反したものは罰せられ●●●注意● ださい。 北海道教育委員会 広 島 村 昭和四三年八月六日 建 設 |
中山久蔵翁頌徳記念碑<2012.7.24> |
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自然石の石碑には「中山久蔵翁頌徳記念碑」、碑裏には大正4年10月4日の文字が読み取れる。 |
水田址と赤毛種見本田<2012.7.24> |
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水田址と赤毛種見本田の看板が立ち、その後ろに水田が配置されていた。 |
ハス池<2012.7.24> |
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このハスは道庁のハスの先祖のようだ。 |
暖水路跡<2012.7.24> |
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一見、畑の畝に見えるが、水を暖める工夫のされた水路跡のようだ。 |
寒地稲作この地に始まる碑<2012.7.24> |
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真新しい「寒地稲作この地に始まる碑」があり、中山翁のレリーフも添えられている。 碑裏には中山翁の業績を讃えた文章が刻まれている。 |
クラーク記念碑<2012.7.24> |
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駐車場入口から道を挟んで、ギリシャの神殿の柱の様な「クラーク記念碑」が見えていた。早速、記念碑と気炎写真を撮す。 改めて、見上げるとクラーク博士のレリーフと有名な「BOYS/BE AMBITIOUS/W.S.CLARK/1877 4 16」、その下には「青年よ大志を懐け/ウヰリアム、エス、クラーク」の文字が刻まれていた。 |
記念碑と | 記念碑上部 | 記念碑下部 | 副碑 |
島松川<2012.7.24> |
傍に流れる、島松川には車用の橋と人道橋があり、人道橋から下流を見ると、昔ながらの流れのように見えるが、上流を見ると壊れかけたコンクリートの橋が見えていた。 |
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まるで川の流れのように、ここは現代から過去へとタイムスリップする場のように感じた。 |
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二人の散歩路記録 2012(H24)年7月24日 |