留寿都町名所旧跡
 赤い靴公園<2010.11.6> 

 アクセス
 洞爺国道(230号線)を走り、留寿都市内を通過していると、通る度に気になっていた赤い靴公園があり、公園の裏側にある駐車場に車を入れる。駐車場には立派なトイレもある。
 国土地理院地図 周辺地図
=写真をクリックすると大きなサイズになります=
 どうして、留寿都に赤い靴公園があるのだろうと思いながら歩道に出て、公園へと向う。公園の真中に母思像があるので近づいて行く。像の手前に、金属プレートが嵌めこまれている岩がある。字は掠れていて読むのが難儀だった。明治の時代に、ハットを被り、マントを纏いブーケを持った姿は可愛過ぎるのではと思う。女の子の目は、空中をさまよっているようにも見える。
公園 母思像 プレート 何処を見て
 赤い靴の歌詞の下に書かれていた由来を何とか読むと、厳しい開拓時代に生きた人達に頭が下がる。それにしても、社会主義って、独裁国家を生んだだけではないのだろうかと、歌詞とは似つかわしくない思いが湧いてきた。
              赤 い 靴
赤い靴 はいてた 女の子

異人さんに つれられて 行っちゃった

横浜の 埠頭(はとば)から 船に乗って

異人さんに つれられて 行っちゃった


今では 青い目に なっちゃって

異人さんの お国に いるんだろう

赤い靴 見るたび 考える

異人さんに 逢うたび 考える

 この童謡は留寿都村に実在した女性の娘をモデルに、大
正10年、詩人野口雨情が作詞、11年に本居長世作曲発表
された。
 物語は明治38年、幼い娘を抱いた未婚の母が木枯の吹く
函館にたどり着いたことに始まる。母は静岡県有渡郡不二
見村(現清水市)出身の岩崎かよ、娘はきみ。
 当時台頭しつゝあった社会主義運動の一つ「平民農場」が
原子基を指導者として留寿都村八の原に開かれ、運動に情
熱を傾けた青森県出身の鈴木志郎がこの農場で岩崎かよと
巡り会い、結婚する。厳しい開拓地へ幼な児を連れて行け
なかったかよは、この子の養父安吉と相談の上、きみを函
館の米人宣教師C・ヒュエット夫妻に預けた。が、その後
母と子は二度と会うことが無い。
 平民農場は厳しい気候や重なる災害に遭い、明治40年に
閉鎖。鈴木夫妻は札幌に出、志郎は 北鳴新報に入社して、


野口雨情一家と共に一つ屋根の下で暮らした。かよは娘の
きみがヒュエット夫妻と一緒にアメリカに渡ったと思い込
み、雨情夫人に境遇を 語ったことが後年雨情の作詞につな
がる。
 娘の安否を気にしていた岡そのさん(志郎とかよの娘)が
昭和48年、童謡のモデルは実姉であると新聞に投書、報道
機関は協力して発掘に乗り出した。特に、北海道テレビの
菊地寛氏はアメリカまで赴き調査をして結果、きみは病の
ために渡航せず、明治44年 9月に東京麻生の施設で9才の
命を了えたことが判明。
 当時の開拓生活は大層苦労が多く、きみと同様の人生を
送った子どもがたくさんいたと思われる。「赤い靴」はその
鎮魂歌ともいえるだろう。

             1991年11月
         留寿都村村長 上木 大五良

 留寿都開村記念碑<2010.11.6>
石碑 碑文
 公園の一角には、尖った石碑があり、近づいて見ると「留寿都開村記念碑」だった。 
 開拓の母<2010.11.27> 

 アクセス
 洞爺国道(230号線)沿いに、道の駅230ルスツがあり、その裏側にふるさと公園が広がっている。
 国土地理院の地形図 周辺地図
子供の方を向いて 碑文
 ふるさと公園の一角には、開拓の母の銅像っがり、留寿都市街を挟んで、赤い靴公園にいる子供の方を向いて立っている。
 碑文を見ると、赤い靴公園の碑文とほぼ同じ内容だった。
 銅像の回りには、4つの石板が配置され、国内に4体ある赤い靴の銅像の場所を示している。
 
清水市 麻布十番 留寿都村 横浜市
 黒田農場開放記念 黒田重兵衛翁頌徳碑<2014.4.8> 

 アクセス
 洞爺国道(230号線)の留寿都市街から黒田方向へ入る。
 国土地理院の地形図 周辺地図
羊蹄山と石碑 頌徳費 貫気別山を
 黒田の十字街の一角に会館があり、その敷地に羊蹄山をバックに建立されている。
 碑陰の文字は、達筆の上掠れて読めない文字が多い。
 会館から、貫気別山も見え、その山陰に重兵衛沼がある。
 会館の建物に時計があるが、おとけいだった。
意●●●拓●●      明治三十四年九月開墾着手
●為國●●●●      明治四十三年九月開墾完成
●●千●●●●      昭和十七年七月農場開放
創成二十七農家      昭和四十四年九月頌徳碑建立
                 農場開放當事者
録                村    長 金野真夫
黒田重兵衛情翁農場    農場管理人 故 鈴木安次郎
開放記念●詩         小作人代表 故 遠藤三司郎
留寿都村長●●●●●   二七●  石工 森熊市

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