小樽街角・祭り・石碑・石仏
 獣魂碑 黒川聚楽園 大山大明神 赤岩稲荷神社 雪明りの路 潮祭り 住ノ江教会 火の見櫓 三角堂 一尊庵跡 潮陵観音 工藤氏遺績碑 手宮線の跡 手宮駅跡 不思議な遮断機 勝内川散策路 JRの橋脚
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 獣魂碑<2018.4.18> 周辺地図
石碑 碑文
 塩谷丸山の登山口へ行く途中に鎮座している。場所は高速道路のアンダーパス右手前になる。
 碑側には「●●●ニ十年九月●●茅根米三郎建立」と僅かに読み取れた。
 黒川聚楽園<2018.4.18> 周辺地図
 塩谷丸山の登山口手前に、門柱があり、その中に石仏一体、「黒川聚楽園」と刻まれたプレートと「信州善光寺/一光三尊阿弥陀如來/御分身御安置所」と刻まれた石柱がある。以前にはプレートや石柱は無かったと思う。春には梅の花が咲くので気になっていた所だ。
門柱 石仏 プレート 石柱
 大山大明神の碑<2022.10.7> 周辺地図
石碑
 塩谷丸山の山頂直下に北を向いて鎮座している。中央に大山大明神、左に金毘羅権現、右に八大龍王神と刻まれている。
 赤岩稲荷神社(山神の碑・馬頭観音・御成婚記念碑)<2014.11.27> 周辺地図
鳥居 拝殿
 赤岩稲荷神社の境内には山神、馬頭観音、御成婚記念の石碑が建立されている。
 山神の碑には、山神の向かって右に明治13年の文字、左側の文字は擦れて判読できない。碑陰にも人の名前と思われる文字が刻まれているが、これも擦れて判不可能だった。
 馬頭観音の碑は建立年も不明だった。
 御成婚記念の碑は向かって右に大正●●孟春、左には七十九捜(手偏なし)渡邉丘四郎謹書印と刻まれていた。
稲荷神社境内 山神 馬頭観音 御成婚記念
雪明りの路
 <2014.2.8> 
 平成11年から始まった祭りは16年目を向かえ、平成26年2月7日(金)〜2月16日(日)の期間中、市内の全域で午後5時〜午後9時に明かりが灯る。運河には浮き玉のキャンドルが綺麗に水面を飾る。小樽のアーケード街の都通りにもキャンドルが灯る。
運河(東:浅草橋から) 運河(西:中央橋から) 都通り キャンドル
 <2015.2.9> 
 今年は、運河沿いの道が混み合っていて、歩くのが精一杯で立ち止まって楽しめる雰囲気ではなかった。帰りに、手宮線跡の会場に立ち寄って見た。
運河(中央橋から) 手宮線跡
 潮祭り<2013.7.27>  
 1967(昭和42)年から始まった祭りは、2013(平成25)年で第47回を向かえ、7月26日(金)から28日(日)に開催された。
山車
都通りアーケード街 屋台小路 ミス小樽
会場 運河 手宮線跡 南樽市場
 住ノ江教会<2011.8.17> 周辺地図
 近くの住ノ江教会には、木製の異国情緒を醸し出している塔がある。
 火の見櫓<2011.8.17> 周辺地図
火の見櫓
 錆びていて、まだ現役なのか分からないが、子供の頃からある火の見櫓だった。上には半鐘も吊るされている。 
 三角堂<2011.9.21> 周辺地図
三角堂 石仏
 入り口に、昭和7年5月建立の石柱が立っている。石仏の台座には子守地蔵尊と刻まれている。
 二つの道に挟まれた三角の土地に合わせて建てられたから三角堂なのかは不明。
 小学校、中学校と通学路の途中に建っていたが、よくよく見たのは初めてだった。
 一尊庵跡<2016.4.12> 周辺地図 おたる坂まち散歩に詳しく記載されています。
 一尊庵の坂の途中に、荒れ果てた一尊庵(尼寺)跡の入口がある。入口には一尊と刻まれた石碑がある。奥へ入って行くと、まだ、冬囲いをしたままの石仏が鎮座している。奥には、萬霊供養之碑が鎮座している。いずれの碑にも建立月日は刻まれていない。おたる町散歩に書かれているお堂は既にない。門柱は見落としたのだろうか。
一尊庵跡 石碑 石仏 石碑
 潮陵観音<2016.4.12> 周辺地図
石仏 裏側
 龍徳寺の境内の一角に石仏が鎮座している。石仏の背中にも彫刻が施され、「●●/石仏師/長岡積慶」の文字が刻まれている。高校の名前が付いた観音さんは珍しいと思う。建立月日が刻まれていないが、2012(H24)年に高校創立110年を記念して建立されたようです。詳細は東京潮陵樽中会のHPを参照願います。
 工藤氏遺績碑<2016.4.12> 周辺地図
石碑
 龍徳寺の境内の幼稚園側に、ひっそりと佇んでいる石碑がある。近づいて行くと額に工藤氏遺績碑と刻まれている。碑文にを見ると、榎本武揚が書いた字のようだ。建立は明治26年12月だが、石碑は確りしていて、刻まれた文字も読みやすい。しかし、私には何と読むのか分からない文字もある。内容も良く理解できないが、工藤多六氏の顕彰碑なのだろうか。碑陰には何も刻まれていない。

工藤氏遺績碑

工藤氏遺績碑       従二位勲一等子爵榎本武揚豪額
北海道小樽港人工藤多六新谷喜作欲爲其藩主工藤氏建碑表其遺績千里寄
書請予記之按譜工藤氏之先日忠左衛門曽隷津軽藩松前候之亭封蝦夷也隋
移福山時在草創濱海之地往々棄而不墾候嗜釣遊毎遊使忠左衛門爲導殊蒙
寵遇一日候以釣竿自畫((部首不明))((さんずい))之地((メが品))以賜之忠左衛門就其地剪器闢海營宅以
居而與内地通漕運之利爲今枝个竒(三水)町是也忠左衛門以寛永十九年二月七日
没年八十五子忠兵衛嗣忠兵衛有姉贅塩谷某冒工藤氏稱荘兵衛分産別居實
寛文十一年距令二百十六年実子孫黎稱荘兵衛至八世荘兵衛有器識請小樽
爲西蝦要地以明治四年相居其山之上町而遷爲興其宗在福一者東西共増爲
恢祖業航北海者頼爲東道十一年八月十一日歿年五十九子嗣志幾歿有●育
於其族元兵衛之家興爲十世荘兵衛難幼示能蒙其業而他日家運之隆可期云
北海道之地山冨礦物海鏡魚介而拓地殖産之事漕運爲急工藤氏母管其業其
有功於國回不可((二水))是可表也況多六喜作能不意志譽石紀績以●其徳善足諷
世乎斯一譽也而二美具爲予雖不文安得不嘉而爲之記也
 明治廿六年十二月  従四位勳三等田邊太一撰者書  二亀泉刻
手宮線跡
 手宮駅跡(駅舎と構内・北海道鐵道發祥驛碑・モニュメント)<2014.11.27> 周辺地図
駅舎 構内
 道道454の錦町交差点の一角に手稲駅跡がある。駅舎や構内の回転台などが覗ける。駅前広場にはモニュメントがあり、人差し指が幌内方向を指しているようだった。
 腕には「北海道の鉄道発祥の地」の碑文も浮き彫りにされていた。
 駅舎の横には、北海道の鐵道發祥地の碑も建立され、発祥から廃止になる経過が刻まれている。
 碑陰を見ると昭和24年11月18日建立と刻まれている。手宮駅長官舎は北海道開拓の村に移設展示されている。
回転台 モニュメント 石碑 石碑
JAPAN

北海道の鉄道発祥の地 小樽
先人の夢 希望 願いを乗せ
ここゼロマイルの地 手宮より
切り拓かれていった北海道
今 新たなる起点
未来への翔きとして
記念モニュメントを贈る
1988.9.2

 第37回北海道地区会員大会記念事業
主催 (社)日本青年会議所北海道地区協議会
主管 (社)小樽青年会議所

碑文
北 海 道
鐵道發祥驛

北海道の鐵道發祥地は手宮驛である その由来は明治六年に北海道開拓長官黒田清隆が幌内
煤田採掘の計畫の下に技師を派遣して調査研究させた結果に基づきまづ幌内幌向太間は鐵道
を建設し幌向太からは石狩川を船で川口に下り小樽に運送する計畫を樹てた事に始まる 明
治十二年三月に線路の測量が開始されたが偶々冬季河水の凍結石炭積替の手数等のため不利
であるとの意見が出で鐵路により直接小樽港手宮に運送する事が最も有利であると認められ
幌内手宮間五十六哩の一部手宮札幌間の鉄道が敷設される事となった 明治十三年十一月十
八日遂に手宮かるい輕川間が開通し列車は辧慶号機関車をもって運轉された ついで同月二十四日
に札幌まで開通し更に明治十五年末に札幌幌内間が竣工しここに手宮幌内間が全通した 以
後鐵道は遂次延長されて今日の發展を見たのである その第一歩は正しく手宮驛からであっ
て北海道の鐵道發祥地と証する稱する所以である しかるにこの由緒深い手宮驛の旅客取扱が太平
洋戰争酣の昭和十八年十月に國策によって廃止された 以来市民は尠からず不便を感じてる
たが二十年八月終戰を迎へると共にこれが復活の聲は油然と起った ここにおいて有志は手
宮驛旅客取扱復活期成同盟會を結成し會長に西富士松を推して運輸當局に復活請願を續け幾
多の紆餘曲折を經て二十三年十一月十日に列車は漸く南小樽驛まで復活した しかし乗換の
ための不便が頗る多く重ねて直通列車運転を要路に懇請した結果二十四年九月から岩見沢驛
まで二往復の直通列車の運轉を見るに至ったのである これを機會に手宮驛の由来に併せて
長年月に亘り献身的の努力を尽す盡した西會長の偉大な效績を勒し碑を建立して記念とする
                                平 塚 常 次 郎     書

碑陰
昭和二十四年十一月十八日建立
手宮驛旅客取扱復活期成同盟會
第三十六代手宮驛長
古畠 芳太郎撰
設計施工
     小樽上本石●工
 総合博物館裏<2023.8.28> 周辺地図
 マックスバリュ手宮店の駐車場から懐かしい車両が覗ける。
                     ←大
マックスバリュ手宮店の駐車場から小樽市総合博物館裏を
 寿司屋通り側 <2011.4.6>
手宮方向 由緒書 札幌方向
 線路跡には「H. K. Porter, Inc. 」のプレートを模した由緒書がある。札幌川には高架だった跡も見られる。
 日銀通り側 <2011.4.6>
手宮方向(大×) 手宮方向 札幌方向
 浅草通りから日銀通りの堺に手宮線跡がある。
 中央通り側 <2002.10.28 2011.8.31>
札幌方向 手宮方向 札幌方向
 「TEMITYA LINE」と彫られた車輪型のエンブレムの様な標識がある。 
 船見坂延長道路側 <2011.8.31>
手宮方向 札幌方向
 船見坂から中央市場を左に見ながら、市場の中を通るか考えているうちに、手宮線の廃線跡を通過する。
 花園橋<2002.10.27> 周辺地図
 公園通りを水天宮に向かうと、花園橋があり、橋から線路を覗くと、小樽方向にも南小樽方向にも手宮線の跡があります。
花園橋 小樽方向 南小樽方向
 南小樽駅<2014.9.18> <2014.2.8> <2002.1.23> 周辺地図
 南小樽駅舎横に架かる量徳橋の上から金網越しに撮してみたら、手宮線跡は空き地になっていて線路は撤去されていた。手宮線跡を跨ぐ通路も随分古くなってしまったようだ。量徳橋の橋脚に小樽運河の壁画があったが、今は無い。
小樽側 東小樽側 通路('14) 壁画('02)
 不思議な遮断機のある南樽駅跡<2014.9.18> 周辺地図
 南小樽駅は、今も十分古いが、その昔には踏み切りの近くに駅があった。昔は手宮線がメインだったのかプラットフォームも手宮線沿いに造られたと思う。手宮線の線路は草生してはいるが健在で、南樽駅側のプラットフォーム跡まで線路は延びている。だが、その線路の真ん中に遮断機が鎮座している不思議な光景がある。
踏み切り 手宮線 駅跡 遮断機
 勝内川散策路<2014.10.23> 周辺地図
 旧南樽市場の傍に架かる真砂橋の袂に、勝内川散策路が延びている。真砂橋から左岸を遡り、国道5号線の高砂橋まで行き、右岸を下って真砂橋に引き返す。左岸には池田バンビの工場の幻影を見る。右岸からは、上流に天狗山が見えていた。
遊歩道案内 南樽市場 鉄橋 天狗山
 JRの橋脚<2014.9.18> 周辺地図
 旧南樽市場の傍に架かる真砂橋の袂にから勝内川の左岸沿いに真栄橋の方へ下って行くと、JRの鉄橋が見えて来る。鉄橋を潜って振り返るとレンガ造りの橋脚が良く見える。石で造り替えたり、鉄枠で補強されてはいるが、心もとない感じがする。
勝内川 鉄橋 橋脚

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