ニセコの碑
平和の碑 秩父宮殿下御登山記念碑 平和之碑 拓秀峰麓郷の碑 斉藤忍隋の碑
=写真をクリックすると大きなサイズになります=
 平和之碑<2010.8.6> 共和町 国土地理院地図 Google Map
 ニセコの長沼が大正時代に造られた人造湖だということはあまり知られていない。この碑があることすら知らない人が多いと思う。一度、ダムの上を歩き、この碑を訪れると納得できる。最初に建立された石碑は左から昭和27年、昭和32年、昭和43年となっている。平和の碑は何時建立されたのか、裏側がハイマツが邪魔で見ることができないので分からない。
平和の碑 昭和27年建立 昭和32年建立 昭和43年建立
 秩父宮殿下御登山記念碑<2010.8.6> 共和町 国土地理院地図 Google Map
記念碑 碑文1 碑文2
 大湯沼の入口に記念碑が建っている。
 平和の碑<2011.6.16> 共和町 国土地理院地図 Google Map
石碑 碑文
 小沢神社の境内に建立されている。碑文には「平和之碑/昭和39年5月●忠魂碑」の文字が刻まれている。
 拓秀峰麓郷の碑<2011.6.6> 倶知安町 国土地理院地図 Google Map
昭和32年建立 昭和43年建立
 倶知安町の岩尾別会館の前庭に羊蹄山をバックに建立されている。
    岩別開基百年碑
 この岩尾別は、明治三〇年代はじめ、成瀬勝次(富山県)、武岡豊太
(兵庫県)が創設した二農場及び個人入植者により開拓された。
 清涼な水と豊かな川の幸、四季それぞれの山の幸に恵まれてはいたが丘
陵と澤深い岩尾別原野で、つましい開拓小屋、粗衣、粗食に耐え、地を覆う
竹、熊笹、林立する巨木を切り拓き、さらに酷寒、猛暑の自然と闘った開拓
先人の労苦は想像を絶した。
 曽って炭焼く煙がたなびき、石切る音がこだましたこの里も、観光地の玄
関として一変した。
 ここに地域開発百年にあたり、故里創成の偉業を讃え、限りない未来に夢
を託して之を遺す。
          平成七年七月
                     倶知安町長 伊藤 弘書
 斉藤忍隋の碑<2011.6.16> 倶知安町 Yahoo Map
石碑 碑文 碑文
 大仏寺初代住職斉藤忍隋が描いた大仏寺本堂天井画が倶知安町指定有形文化財(第1号)に指定されたことの記念碑のようだ。

散歩路もくじ4へ   次ニセコストーンサークルへ  北の探歩訪へ

 二人の散歩路記録 (遊びの時間含む)
 2011.9.14 2011.6.16 2011.6.6 2010年8月6日(金)