江別の名所旧跡
泉の沼公園 石狩川汽船 水道発祥の地 開村記念碑 弾薬庫(神社山) 飛鳥山
=写真をクリックすると大きなサイズになります=
篠津神社境内の石碑群<2024.11.10>Google マップ
 境内には篠津開基百年碑、閉校記念碑、開村記念碑、忠魂碑が並んでいる。
 篠津開基百年碑
石碑 副碑
 江別はレンガの街らしく赤いレンガが敷き詰められていた。副碑には町村金五題額が刻まれていた。昭和五十六(1981)年七月七日に建立されたようだ。
 閉校記念碑
記念碑
 碑には1986.3閉校記念の文字や名前が刻まれた手形がはめ込まれている。手形は碑陰にもある。碑陰の台座にははPTA.1986.3.20の文字が浮彫されていた。
 開村紀念碑
石碑 碑文
 台座には碑文がはめ込まれていら。碑陰には昭和六十二年改建の文字が刻まれている。
 忠魂碑
記念碑
 台座には、日露戦役2名、満州事変2名、大東亜戦争8名の名前が刻まれている。碑陰には大正四年十月建立之と刻まれている。
 不思議な施設 Google マップ
 畑の中に、立入禁止の施設がある。地面から煙突としか思えないものが建っている。
 畜護神之祀<2024.11.10> Google マップ
畜護神之祀
 巣守神社の境内に畜護神之祀と刻まれた石碑がある。碑陰には昭和十年十一月十五建物之と刻まれている。
中津湖(7m 0.0312ku)<2024.11.10> Google マップ
沼を分ける分岐 中津湖 砂取沼
 中津湖は道路で北西と南東に分かれている。北西がが中津湖、南東が砂取沼とか砂取り場と呼ばれている。
 沼を分ける分岐には、「中津湖ふれあい掲示板」がある。掲示板には、「ふるさと再発見/篠津兵村フットパス」の地図(しのつ河畔林 | 公益財団法人草野河畔林トラスト財団)
フットパス 魚たち 特別部門賞 篠津の黎明
篠津川に住む魚たち 
ヤツメウナギ科 カワヤツメ Lethenteron japonicum
コイ科 コイ Cyprinus carpio
コイ科 ゲンゴロウブナ Carassius cuvieri
コイ科 ギンブナ Carassius auratus langsdorfii
コイ科 ギンブナ Carassius auratus subsp.2
コイ科 タイリクバラタナゴ Rhodeus ocellatus ocellatus
コイ科 マルタ Tribolodon brandtii
コイ科 ウグイ Tribolodon hakonensis
コイ科 モツゴ Pseudorasbora parva
コイ科 タモロコ Gnathopogon elongatus elongatus
ドジョウ科 ドジョウ Misgurnus anguillicaudatus
ドジョウ科 フクドジョウ Noemacheilus barbatulus toni
ナマズ科 ナマズ Silurus asotus
キウリウオ科 ワカサギ Hypomesus transpacificus nipponensis
トゲウオ科 イバラトミヨ Pungitius tymensis
ハゼ科 ウキゴリ Gymnogobius urotaenia
ハゼ科 ジュズカケハゼ Chaenogbius laevis
ハゼ科 トウヨシボリ Rhinogobius sp. OR
テナガエビ科 スジエビ Palaemon paucidens
イワガニ科 モクズガニ Eriocheir japonicus 
 着目すべき魚類
今回の調査で確認された18種の魚類のうち、3種はぜつめつのおそれの
ある野生動物として指定された着目すべき魚類です。
これらの貴重性カテゴリー、分布、生態などをまとめました。
 以下省略(ヤワヤツメ、マルタ、イバラトミヨの3種)
 
 
 平成14年1月調査 資料提供:江別河川事務所 制作 (有)アスカ印刷 TEL(011)382-6388
特別部門賞   中津湖
 住所:篠津・中島(しのつ河畔林そば) 活動者:住民参加の川づくり有志の会
2007江別市都市景観賞特別賞受賞

 概要
 中津湖は、湖岸線周囲が広葉樹に囲まれ、湖全体が生活や田園空間など、人為的な空間から独立した、静かで
美しい湖水に豊かな自然環境が広がっているところです。
 また、渡り鳥の休憩地となっているため、春先は野鳥観察ができ、さらに、ヘラブナなどの釣り場として愛好家
に知られています。
 かっての不法投棄による廃棄物の山であった無名の沼は、人と人
との幅広い交流の場を目指した環境整備により、地域のシンボルから
江別市のシンボルとして実現しつつあります。
江別市景観委員会の総評
 自然が豊かで地元住民が自主的に環境を守る精神は素晴らしい。
また、野鳥が観察でき、ヘラブナ釣りも風情があり、このような
水辺空間は大事にしたいと感じる。
 かっては、不法投棄で荒れ放題となって
いた無名の沼でしたが、地域住民と釣り人
が団結し、清掃ボランティア活動を行いま
した。
 その後、継続的に活動が行われ、住民参加の川づくり有志の
会のみでなく、自治会、ヘラブナ会等による地域ぐるみの清
掃活動を行い、現在の美しい中津湖になりました。
 また、地域のシンボルとして盛り上げるために、国土地理
院に働きかけ、平成16年に通称中津湖から日本地図に記入
される国土としての中津湖になりました。
※中津湖の名称は、地元住民が地域の愛着を込め、中島・篠津
の1文字をとったものです。
北海道新聞平成17年3月12日記事抜粋
【江別】江別市郊外の、石狩
川沿いにある無名の沼が五年
前、地元住民の強い要望で「中
津湖」と名付けられ、近く発行
される国土地理院の二万五千分
の一の地形図(江別)に初めて、
名前入りで記載される。
国土地理院によると、ダム湖
のようなケースで新たな湖名が
つけられることは時々あるが、
無名だった湖沼の名が新規に記
載されるのは珍しいという。
 この沼は、同市中島地区と篠
津地区の境目に位置する沼。大
小二つに分かれており、面積は
吾輩は湖である。
名前はまだない。中津湖

合わせて三f程度。
 地域住民によると、沼はも
ともと、旧石狩川の河道跡が
湿地化し、一九七〇年代に砂
の採取のため堀削された跡
に、水がたまり、湖沼化した。
江別の無名沼
地形図記載へ

 その後、ヘラブナ釣りの名所
として釣り人が訪れるようにな
り、渡り鳥の休憩地点として野
鳥観察でも知られるようになっ
た。
 二〇〇〇年秋になって、地域
住民の間で「名前をつけて、地
域のシンボルにしたい」という
動きが持ち上がり、中島地区の
「中」と篠津地区の「津」を取
って「中津湖」と命名した。江
別市役所が昨年二月、国土地理
院に「地名記載」の申請をして
いた。
北海道新聞2005(H17)年3月16日記事抜粋
江別の宝に期待
国土地理院が改訂刊行
地図に「中津湖」記載へ

【江別】市郊外、篠津川沿いの沼、通称・中津湖の名が今月下旬、
国土地理院から改訂刊行される地形図に初めて記載されることにな
り、地域らしい名前をーと、五年前に命名した地元住民からは、
沼とつながった篠津川などとともに、「地域の活性化に生かしたい」
などと期待の声が高まっている。かっての無名の沼は、今や地域の
シンボルとして、なくてはならない存在だ。 (黒川伸一)
「ごみの沼」変身、全国へ紹介
 地域活性化に選択肢

 中津湖の名が載るの/は、二十六日に予定され
ている美原大橋(石狩川、/江別太ー美原)の開通に
合わせ、刊行される二万/五千分の一の地形図(江
別)。全国の書店などで/購入できる。
 中津湖周辺は二十年ほ/ど前からヘラブナ釣りの
愛好者らが訪れるように/なっていたが、その後は
粗大ごみなどが不法投棄/され、荒れ放題になって
いた。
 有志の会「意義大きい」
 そんな中、沼の荒廃に/心を痛めた住民らが中心
となり、沼が中島、篠津/両地区の境界にあったこ
とにちなみ、それぞれの/地名の一字をとって、二
〇〇〇年十二月に命名。/その直後に「住民参加の
川づくり有志の会」(桑/原則男代表、二十人)が
発足し、住民と釣り人が/一体となって清掃ボラン
ティアを行うようにな/り、沼周辺に散策路(約
五百b)の整備。最近は/見違えるような美しい景
観となった。
 以下省略

中津湖 湿地/化した旧石狩川/の流れの跡で1
970年代、砂利採取が/行われことにより、篠
津川の水が流れ込むなど/して生まれたとされる。
大沼、小沼の二つに分か/れ、2つ合わせた広さは
約3f
以下省略
制作 (有)アスカ印刷 TEL(011)382-6388
篠津河畔林<2024.11.10> Google マップ
看板 広場
 道路沿いに看板が建っていて、広場もある。広場の中には記念碑がある。創立20周年を記念碑で、1016年7月1日に建立されたようだ。
 
記念碑 碑陰 看板群 河畔林の説明
しのつ河畔林環境緑地保護地区
 この地区は、財団法人草野河畔林トラスト
財団が所有する河畔林を江別市街地周辺の環
境緑地として保護しています。
 面積は約8.5haで、ハルニレ、ヤチダモ、
オニグルミ等の天然林やイチイ、サクラ、
ヤマモミジ等の植栽木が生育しています。
 また、オオワシ、オジロウワシ、オオモズ等
の希少な野鳥も見られ学術的にも貴重な林と
なっています。
 平成8年7月26日指定 北海道
自然を大切にしましょう ゴミは持ち帰りましょう
泉の沼公園<2010.11.17>Google マップ
北口 案内板
 なんとか、北口に着いて、案内板を見ると、南側の駐車場があるようなので、南口に向う。
 レンガ造り風のトイレに寄ろうと思ったら、もう、閉鎖されていた。次に四阿が見えて来たので、近づいて見たら、水は流れていないが、せせらぎと呼ばれる小川風の遊び場がある。
 北口に続く橋を渡って見ると、カモがいた。沼の西側と東側を見ると、弓形になっていて千歳川の河跡沼だと分かる。
トイレ 四阿 沼の西側 沼の東側
 石狩川汽船<2010.11.17> Google マップ
 江別の駅前通りを東に辿ると、千歳川にぶつかと、川の辺に史跡「石狩川汽船 江別の水運と倉庫群」の棒杭が立っていた。傍には、赤レンガの倉庫が二棟建っているが、外から見るだけのようだ。こちらの岸辺に江別橋の痕跡を探るが、改修された岸辺が続いているのみだった。
史跡の棒杭 倉庫 対岸
 対岸に目を転じれば、江別河川防災ステーションが見えていた。大川通りに繋がっていた江別橋の痕跡はと探すと、ステーションの左側にそれらしい盛土の部分があるが。
 水道発祥の地<2010.11.17> Google マップ
水道発祥之地碑(↑大) 水飲場
 江別市水道庁舎前には、井戸の形をした石碑状のものがあり、近づいて見ると水道発祥之地碑だった。
 上を見ると蛇口が二つ付いていた。どうやら、水飲み場のようで、洒落た石碑だと思った。昭和56年の水道庁舎を建設したときに同時に建てられたようだが、由緒書はない。
 開村記念碑<2010.11.17> Google マップ
 水道庁舎に何で裸婦像かと思いながら奥を覗くと、石碑が鎮座している。近づいてみたら開村記念碑だった。
裸婦像 開村記念碑
 碑文は難解で「北海道廳長官従四位勲三等澤田牛麿題額 北海道帝國大學總長正三位勲一等農學博士佐藤昌介撰 江別町左石狩國札幌郡距幌部東六里面積十二平方里地勢東平野西望●●●●●・・・・・
昭和三年●●」と彫られているようだ。
神社山(19.4m 萩ケ丘)
 火薬庫のある山は萩ケ丘、または、神社山と呼ばれ、古砂丘だったと云われている。このピークには三角点江別が設置されている。
 火薬庫<2010.11.17> Google Map
 江別小学校の前に赤レンガの建物が建っている。傍には、説明板には江別市指定文化財第二号火薬庫(屯田兵第三大隊本部跡)と書かれている。説明板が立っていなかったら、ただの赤レンガの建物に見える。その上には、台座に勤●刀行と彫られた二宮尊徳像が道行く生徒を見守っているようだ。
火薬庫 説明板 火薬庫 二宮尊徳像
飛鳥山(17m)  国土地理院地図 Google マップ
 飛鳥山は低山マニアの中では有名な山で、「地図に記載されている山で、日本で15番目、北海道で4番目、江別では一番高い山」となっているようだが、実際は神社山の方が高い。この山も古砂丘だったようだ。ピーク付近には江測協の三級基準点がある。
 飛鳥山公園<2010.11.17>
駐車場から(大×)
 駐車場に車を停め、高そうな所を目掛けて、辿って見ると、トイレの奥に石碑が見える。きっと、あそこが一番高い所だろうと思い芝生を登って行く。
 山頂には解説板があり、内容を読むと歴史が良く分かる。看板の隣には、「史跡飛鳥山(旧競馬場)野幌丘陵に残る古砂丘」と書かれた棒杭が立っていた。
 山頂には石碑や歌碑が建っていたので見て回ると、住宅の奥に白く煙がなびいている工場の煙突が見えた。
 再び、山頂を目指すが、石畳の南側が正規の道のようだ。
石碑が 解説板 工場の煙 山頂へ(大×)
 開村記念碑<2010.11.17>
記念碑
 飛鳥山の山頂には、台座に江別兵村と彫られた開村記念碑が鎮座している。
 兵即農の碑<2010.11.17>
兵即農の碑
 飛鳥山の山頂には、兵即農の碑が建っているが、碑文は昭和18年5月27日建立とあり、カタカナ交じりの難文だった。
 殉役忠魂碑<2010.11.17>
忠魂碑
 山頂から少し外れてはいるが、一番展望の良い場所に殉役忠魂碑が建っていた。碑の横には軍国主義は当たり前だった昭和15年10月建立とある。
 台座の片隅には江測協の三級基準点もある。
 歌碑<2010.11.17> 
歌碑 碑文
 「石狩の原に 一すじ雪のみち 晴れりや 馬橇の鈴が つづいた 音治一郎 ●●具晴夫書」としか読めないが、伊藤音次郎の歌碑らしい。

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