辨華別(benkebetsu)の碑
    馬頭観世音 開拓記念碑 百年記念碑
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 アクセス
 札幌からは当別町のふくろう街道(道道28号線)を北上したいたら、辨華別神社の境内の外れに、こちらを向いているような石碑があった。気になったので山の帰りに寄ってみた。
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辨華別神社
 馬頭観世音
馬頭観世音 石碑に近づく
 馬頭観音の碑に近づくと、双頭の馬の彫物が見える。一頭は鼻の所が欠け落ちているが、ほのぼのとする雰囲気が漂っている。
 開拓記念碑
 開拓記念碑は昭和初期に建立されたようだが、難解な漢字で埋め尽くされていた。
開拓記念碑
碑文
開拓記念碑

北地元伊達氏開拓經營地之一部也明治十五秊
五月福岡縣人柴藤善三郎氏志くに國体移住就伊達
氏切乞今譲辨華別伊達氏壮其志諒其情容其乞
柴藤氏感激誓成功直歸郷組織國体而十六年移
住者五十戸當時此地森蓊鬱蘆葦竿々殆不見
天日加以南方馴暖身入北地沍寒之境雖有伊
達氏及有志之援助經營之困難在意料答而諸氏
相共激勵伐木墾耕屡遇糧食之缺之不敢屈撓如
此三年事業就緒造一聚落之状辨華別部落之基
定矣爾木各縣諸氏亦遂年來住皆能和襄協同堅
忍持久致力開拓今也其業大進戸下図數百五十耕地
垂一千町歩居然成一大部落可謂盛会今時茲値開拓
五十年諸氏胥謀欲建碑記其頁顚末而傳諸干後昆
求余文乃探奮記叙其梗概云爾
   昭和七年九月    鮎田小隅撰
 開拓百年之碑
 開拓百年之碑は昭和の57年に建立されたので、普通に読める。開拓記念碑と百年碑が建立した年数は、50年の歳月が違うが、物凄い時の流れを感じる。
開拓百年之碑
碑文
辨華別開基百年碑 誌

是れ時昭和五十七年辨華別村邑開基百年の慶事を迎う。
この世紀の春秋は洵に苦澁に満ちた開拓の歴史である。
しかし父祖たちは不屈の開拓者精神をつらぬき、大いな
る理想や覇気を示し如何なる暗く貧しい時代もそれは
いささかも色褪せるものではなかった。
 春風秋雨幾星霜、世代を重ねて今や戸数百二十余戸
五百余町歩に及ぶ豊穣なる耕地を拓き、その生産基盤の
整備とともに農業近代化も着々と進捗し 新しい農村
文化を築きつつある。
 顧みるに当別川右岸に位置する辨華別村邑は筑前の
人柴藤善三郎の尽力により、福岡県団体移住民として
明治十六年一月二十八戸 同年八月二十二戸、併せて
五十戸百四十六名の入地をもって草創とする。
 惟うにこの地、往時は原生林蒼々として天日を覆い
熊笹人蓄を没し熊鹿また跋扈す。加えて沍寒の境、風雪
の中辛酸を舐め巨木に立ち向う。
 幾度か当別川の氾濫冷害凶作に遭遇するも草屋に伏
し雑穀を食し僅かに生命をつなぐ。苦難言語に絶すれ
どひるまず、父祖相扶け相励まし、開拓の成功を信じ
過酷なる労働に耐え希望の鐘を打ち鳴らす。
 今、靜かに草創に思いを寄する時、茫々たる百年の
彼方から鐘の音が響いてくる思いで心高ぶるのである。
 茲に開拓の礎となった父祖達の偉業を偲び、不朽に
讃え限りなき繁栄を第二世紀を生きる人々に嘱望する
ものである。
     昭和五十七年九月四日
 

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 二人の散歩路記録
 2010.7.2