浮見堂(標高84m)

 ポイント
 洞爺湖の南に位置するチンコ島は、細い砂洲で繋がっている陸繋島だが、浮見堂は人工的に岩で繋げたようにみえる。

 アクセス
 洞爺湖の西湖畔に延びる道道578号線(洞爺虻田線)の北に位置する道路沿いにある。
 国土地理院地図  周辺地図
=写真をクリックすると大きなサイズになります=
 浮見堂公園の外れにある駐車場から歩きだすと、中島や有珠山を屏風にした洞爺湖が広がっていた。水辺には白鳥が羽を休めていた。
                     ←大
中島           有珠山
 公園の中に入り亀を潰したような鉄の造形品(胞:掛井五郎作)の横を歩いて行くと、浮見堂が見えて来た。公園の真ん中には鉄で造られた輪舞(国松明日香作)がある。そのモニュメントをやり過ごすと、石のアーチ(夢洞爺:空充秋作)が出て来る。
造形品 浮見堂が 輪舞 夢洞爺
 浮見堂に行こうと思ったら石碑があり、昭和54年建立とあった。夢洞爺をくぐると浮見堂に繋がっている2本の道があった。行きは左側から行こうと岩の道を辿る。二重の塔の横にも説明板があった。読んで見ると、昭和12年に建設された浮見堂は平成15年に落雷で焼失、平成16年に再建されたようだ。この看板を見て、碑文と看板の両方がある分けがわかった。
浮見堂の説明 二本の道 浮見堂 浮見堂の説明
碑文 看板
大正の中期北国行脚の旅僧が聖徳太子像
を背にして洞爺市街松橋宅に逗留した
旅立ちの朝旅僧曰く 昨夜像が夢に現れ
「この地に祀ってほしい さすればこの地の産業
は振い村は栄えるであろう」と告げられたの
で祀って信仰するようにと言い残し去った
その後住民有志の発願によって昭和十一年
浮見堂を建立安置され現在に至っている

  昭和五十四年七月建之 洞爺観光協会
     浮見堂・聖徳太子像の沿革
大正の初め、北国行脚の旅の僧が聖徳太子像を背にして
洞爺村を訪れ、市街の松橋亭にしばらく逗留したのち旅
僧曰く 「この太子像を大切に祀れば産業は栄え豊かな村
になるであろう」と言い残し太子像を託して村を去った。
その後松橋家は転出し、太子像は法昭寺に祀られていた
が、住民の発願によって、昭和12年に二重塔「浮見堂」を
建立し安置され毎年7月下旬、聖徳太子祭が催されている。
その浮見堂は平成15年10月18日夕刻、落雷の直撃を受け、
太子像もろとも焼失してしまいました。
太子像が住民の身代わりになられたものと住民有志が立
ち上がり浮見堂再建期成会を設立、村内外の多くの方々
がら心温まるご協賛をいただき、平成16年7月太子像と
浮見堂が見事に復元再建された。

    洞爺観光協会
    浮見堂再建期成会
 何も考えずに、素直に有珠山と浮見堂、中島と有珠山、そして、浮見堂と記念写真を撮して岩の道を辿り、振り返る。
有珠山と浮見堂 中島と有珠山 記念写真を 振り返る

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 二人の散歩路記録
 2009.9.9