大正の中期北国行脚の旅僧が聖徳太子像
を背にして洞爺市街松橋宅に逗留した
旅立ちの朝旅僧曰く 昨夜像が夢に現れ
「この地に祀ってほしい さすればこの地の産業
は振い村は栄えるであろう」と告げられたの
で祀って信仰するようにと言い残し去った
その後住民有志の発願によって昭和十一年
浮見堂を建立安置され現在に至っている
昭和五十四年七月建之 洞爺観光協会 |
浮見堂・聖徳太子像の沿革
大正の初め、北国行脚の旅の僧が聖徳太子像を背にして
洞爺村を訪れ、市街の松橋亭にしばらく逗留したのち旅
僧曰く 「この太子像を大切に祀れば産業は栄え豊かな村
になるであろう」と言い残し太子像を託して村を去った。
その後松橋家は転出し、太子像は法昭寺に祀られていた
が、住民の発願によって、昭和12年に二重塔「浮見堂」を
建立し安置され毎年7月下旬、聖徳太子祭が催されている。
その浮見堂は平成15年10月18日夕刻、落雷の直撃を受け、
太子像もろとも焼失してしまいました。
太子像が住民の身代わりになられたものと住民有志が立
ち上がり浮見堂再建期成会を設立、村内外の多くの方々
がら心温まるご協賛をいただき、平成16年7月太子像と
浮見堂が見事に復元再建された。
洞爺観光協会
浮見堂再建期成会 |