物語2 ラッコ岳物語     
(1) ビオロコタン

 昔、ピオロ(広尾)と呼ばれたコタン(村)があった。そのコタンは北海道中から老若男女が集まり、活気に満ちていた。その中に、異彩な二人がいた。

 その一人はウスキシ(函館の1地名)からきた日焼けして健康そうなツクチが、もう一人はサツポロペツ(札幌)からきた韋駄天のノミカンであった。この二人はとにかく人間離れしていて。呆れの的、いや、憧れの的だった。とにかく登りの早いこと、飲ませても右にでるものがいなかった。
 この二人はなぜか、左肩を向け合い、ハスになって飲んでいた。

 コタンコロニシパ(村長)はカミイと言って、いつも、笑っていた。そのためか、コタンの中は明るいムードが一杯であった。すこし、薄いので、照り返しもプラスしているようだ。髪とは言ってないよ、カミイさん。

 学校の先生はひどく山好きなチャタアで、アイヌ語の基本のイキケシネルや、イナンカルテを熱心に教えていた。しかし、どうもウスキシの方言には、閉口しているようだった。ツクチの発音するチャベタンラチャベタデチャベラレッペ・・が良く聞き取れなかったが、この機会にものにしようと一生懸命だあった。一生懸命でひげを剃る暇を惜しんで、赤ワインを飲んでいた。

 学校の窓にはいつも、オジンが二人しがみついて覗いていた。一人は歯が抜けていて、何かを言うとキュー ファー ノー となるので、ファノキュと自分で言っていた。もう一人は力の無いくせに、先生の足を揚げ、つまり、揚げ足とりで、駄洒落好きのトマサであった。

 チャタア先生の授業を受けず、学校の壁を登っているのもいた。お転婆娘のヌプリマッとイッケイだった。
 まだ、変なのがいた。一人で、香澄山に高山植物を見に行ったり。バードウォッチングをしたり、鳥の声を聞いたり、動物の足跡にすごく興味があるサシリだった。スズのジャラジャラ音やオバンガラの鳴き声が大嫌いだった。ロクジュウガラは好きらしい。

 また、この学校にはなぜか、花が多かった。どうやら、生徒の中に、すごく花好きなラムピリカのヤシュミがいたためだった。希少価値のペトル松も多い所だった。

 カムイコシカ(神主)のシハヤは、今日も、コタンの平安のため、イノンノハウ(祝詞)をあげていた。良く聞くと、糞は持ち帰れ、花は食べるな、私は食べたが、蕎麦粒山だ、壁だ壁だ、少し太ったが、冬山には良いぞ、SMはイザリだ、花見はいつだ、先に楽古は登ったぞ、伊豆はイイズラ、蝦夷はなおエエゾ、など真剣に瞑想していた。

 みんな仲の良いウタレ(仲間)、いや、ナカマタった。こんなコタンである事件がおきた。
(2) コタンに事件が発生

 その前に、壁が剥がれてしまった。ナヌ、それは化けの皮でないかい。完璧だと思ったのに。「お転婆娘のヌプリマッとイッケイ」それにしても、お転婆はヌプリマッだけでしょうね。イッケイないこと言ってますよ。イッケイない男のひがみでないベカ。

 また、イッケィはニックネームのイケロポロ(イの2号)と呼ばれていた。実はもう一人イさんがいて、こちらはイフンナケロケロ(イの1号)と呼ばれていた。日本名はどうも旧日本軍のサブマリンのようだが、アイヌ語ではイはすごく神聖で大切なのだ。イナンカルテのイなのだ。

 さて、本題だ!ここから、二元中継でと?

 今年は例年になく、雪が多く寒い春を迎えていた。海にもまだ、北の海のフンペ(鯨)やラッコ(海獺)が泳いでいた。ラッコはフンペに乗って北のほうからきたようだ。ラッコはどうやら家族(シネチセウタリ)のようだった。おとうさん(アチャ)、おかあさん(トット)、と双子の兄弟(ユピ、カルク)で、フンペは二頭で遊んでいた。

 フンベは潜ってラッコを頭にのせ、ラッコはフンペの背中を滑って行く、フンベの背中はつるつるで良く滑る。滑りたく無いときは反対に向くと、シールの原理で滑りが止まる。たまに、尾ひれに激突して、みんなを楽しませていた。まるで、ツクチの山スキーだ。

 ラッコは寝る時も海の上に例の可愛い仰向けの態勢で浮かんで寝る。そのくらい臆病なので、滅多に砂浜(オタ)にはオタオタして上がってこなかったが、この双子の兄弟はかなり悪ガキだった。親の言うことを聞かず、砂浜で遊んでいた。

 チャタア先生もこの双子のラッコを教えるとしたら、かなり手古ずり、ラッコ(楽)にはできないだろうと思う。レキ(髭)なんかはやしていたら、キレいに抜かれるだろうね。

 一方、村ではいつものことながら、サシリは山に行き、鳥の声を聞いたり、雪の上の足跡を探して、鑑定していた。トマサが大きな犬とは爪が全くちがうと言っていた、丸い足跡も少し気になっていたようだ。

 今日は体重を推定するために、道具を用意していた。道具と言っても、面積の分かった数種類の木のブロックだった。

 トマサの言うまあるい足跡を見つけた。まだ新しい足跡だった。やおら、木のブロックを出して数種類のブロックの上にのった。どうやら、足跡と同じ沈下深さのブロックを見つけたようだ。

   自分の体重÷木の面積×獣の足跡の面積×2=100kg

     (2を×のは、4本足の動物が並足で歩くと、
      常に2本足で体重を支えることになるので。)

 こんな体重熊しかいないんでないかと考えてた。とその時、サシリの目に飛び込んで来たのが、今まで、あまりに大きいので、気がつかなかったが。長さ30cm以上あろうかという馬鹿でかい足跡だった。と言っても馬や鹿では無い。さしものサシリもびっくり。

 さっそく、また、測定をすると、なんと500kgはくだらない、明らかにキムンカムイ(熊)だ。その足跡は村へと続いていた。慌てて、村へ帰ると、どうやら、村をかすめて、浜の方へ行ったようだ。

 校舎の壁にはヌプリマッとイケロポロが青い顔して凍り付いていた。どうも、酒とたばこをのみすぎたかと思ったら、泡を吹いていた。ビールを飲んだかと思ったら、目が点になっていた。

 しかし、窓にぶら下がっているファノキュとトマサのオジン二人は、まだチャタア先生の授業を熱心に聞いていた。今日は赤ワイン醸造の話しだったので、興味があり熱心に聞いていたと思ったが、どうやら、見本のワインをたいらげて、寝ていただけだった。チャタア先生はちょっぴり泣いているようだった。どうやら、高級ワインだったらしい。この低級野郎と言いたいが、生徒がいるので。なんとか持ちこたえていた。

 何奴も此奴も使い物になりそうもないので、仕方なく、サシリは鳥の鳴き声で、壁屋サンの目を覚まさせた。もちろん、サシリは俗っぽくていやだったので、英語でcock-a-doodle-dooと鳴いた。

 すると、ギャーギャーギャーとデュエトで、叫び始めた。鳥が二羽だとコケコッコだが、女が二人だとこうなるのかと、たじろいだ。

 これを聞いて、村中の者が集まった。よくよく二人の話しを聞くと、見たことも、食べたこともないコンヌマコロカムイ(金毛熊)が彼女達のお尻(オシヨロ)にタッチしていったらしい。タッチされた時にびっくりして、なにかが無意識のうちにでたらしい。熊はこらえきれず、退散したようだ。これで、村が救われたようだ。ヘーそんなことがあったんだ。ヘーそうなんです。

 これはセクハラ事件だ、あの大阪の海坊主のように告訴しなければとカミイ村長は真剣に怒っていた。ポンメノコのことになるとどうもむきになるようだ。

 村長は浜の方へ追っ手を差し向けた。これに選ばれたのは、もちろんあのシクチとカンノミの異星人コンビ、二人だった。

 また、浜の方を見てみよう。

 熊は山の方へ戻ったつもりが、浜の方へ来てしまっていた。先ほどの一撃で、目がしょぼしょぼになって方向感覚が失われためだった。

 相変わらず、双子のラッコはじゃれ合っていた。それを見て熊は、急に腹が空いてきた。冬眠あけて、ふきのとうや水芭蕉を食べたが、今年はあまり生えていなかった。

 うまそうな、脂ののった柔らかそうな二匹のラッコに近づいていった。
(3) 海辺の出来事

 熊は空腹に耐えながら、二匹のラッコに近づいていった。あまりにも腹が減っていて、食べたらうまいだろうな、なんて考えながら近づいたので、ついついグーグーと腹が勝手に大きな音を立ててしまった。
 
 それに驚いたのが、海にいる両親だった。叫び声を上げるが、子供達には届かない。フンペも驚いて、潮を高々と噴き上げる。フンペは、耐えきれず、自分がフンペであることを忘れ、奥の手を出し、それでも足りず、奥の足まで出した。それで、浜に上がり、熊とラッコの兄弟の間に割って入った。

 ラッコ兄弟は難を免れたかに見えたが、熊は難なくフンペを飛び越え、弟のカルクを捕まえてしまった。それを見て、もう一頭のフンベが猛然と浜に向かって来た。もう浜は大波を食らって、大荒し状態になってしまった。

 しかし、フンペにはヒレなのでもう手の打ちようがもう無かった。浅瀬に乗り上げ、あまりに重い自分の体を持て余していた。村長が、後に、この状況を見たら、やはり、ダイエットは必要だと再認識することだろう。

 ラッコの両親と兄は、一瞬の出来事で、呆然としていた。しかし、トットの一声で、われに返り、熊を追って、川をさかのぼり始めた。

 一方、村から派遣されたシクチとカンノミの異性人コンビは、あれ、変なことを言っている。なに、私は女でなくて男だって、I have a bat and two balls.英語を習った時に聞いたような。女だったらI have a mitt.だろうか。ああ、字が間違いだ異星人だ。これで、二人はまた男に戻った。
 ところでみなさんどちらが女だったでしょうか。想像してみて下さい。想像つきませんよね。クチでは言えませんよねガーン!

 しかし、これからは外観だけでは男と女の見分けが付かない場合があるので、まんざら、学校の勉強も役に立たなくもないな、時代を先取りした教えに、40年の歳月を遡って感心する。

 こんなことをやっているうちに、異星人コンビは浜に着いた。ちょうど、ラッコ親子と入れ違いだったが、フンペが陸に一頭、海辺に一頭息も絶え絶えだった。
 フンペに聞くと、ラッコ親子が子供を取り返しに、熊を追って川を遡って行ったと言っていた。

 一度、村へ帰って、カミイ村長に相談した結果、ラッコと熊を追って、山を登ることになった。
(4) 追跡

 すぐに、ツクチとカンノミはラッコを追って行った。しかし、この二人はもうウスキシとサツホロベツに帰る時期がきていた。しかし、この二人は底抜けに、世話好きなところがあった。帰りのついでに、ひとっ走り、追っかけて、全てが終わっていれば、山頂で狼煙をあげて、そのまま帰ることとなった。

 お別れに、イケロポロとヌプリマッからツクチとカンノミにハンタコロ(黒百合)1本と赤フンフラッグ1枚がそっと手渡された。さて、どっちになにを手渡したのでしょうか。
 
 一方、熊を追っかけているラッコは、一生懸命川を泳いでいた。海に比べて川は泳ぎにくいので、難儀していた。ラッコに休む時も面倒ですかと聞くと、ハイメンどうですと言ったりして。

 本流を遡って行くと、川が左右に分かれていた。元気の良いユピは右の広い川(パラシペツ)に、もう、くたくたのアチャとトットは左の流れの細い(アネペツ)を遡ろうと決めた。

 今年はメノエバ(寒気年)だったので、ウバス(雪)が振って(どうも振内以来間違う)きて、相談している間に、頭に雪が積もってしまっていた。

 とその時、人間が二人、オユプレラ(疾風)のように走りさった。石をピョンピョンと飛び越えて行った。三匹のラッコの頭にはくっきりと、足跡が付いていた。
 異星人コンビのツクチとカンノミの二人だった。小ラッコも親ラッコも、頭にきて叫んだ、小ラッコ、コラッ、コラッコと!オヤラッコかな?と言って、行ってしまった。
 一方、熊はラッコのカルクをくわえ、右の本流を泳いでいた。熊の頭にも雪が降り積もっていた。そこへ、先ほどの二人がやってきた。やはり熊の頭にもくっきりと足跡がついていた。コンヌマコロカムイ(金毛熊)は大声で怒鳴った。コンナトコロフムカイ、ラマサッペ(サトマサに似ているが、間抜け者のこと)と、しかし、もう遙か彼方に遠のいて行った。

 しばらくして、狼煙が上がった。カミイ村長はこれを見て、深いため息をして、All was over.と、フレアイヌ(西洋人)のように統べてオーバーなジェスチュアで言った。

 しかし、ラッコ達は手分けして川を遡った。夫婦のラッコの方はまた、川が二つに分かれていた。しかたなく、トットの方は左、アチャはそのまま真っ直ぐに、別々に遡った。

 一方、村では、、なにもなかったかのように、学校では授業が始まっていた。チャタア先生は、国語を教えていた。イキケシネルの基本の「イ」「キ」は前に教わったので、今日は、「ケ」だった。

 ケは「ワッカケ」(水をくみ出す)、「ウパスケ」(雪をかき捨てる)のように、仕事の一区切りの終わりや話しの区切り区切りを示す役割語である。更に、軽い打ち消し語、つまり、「ケ」れども、だ「ケ」れどものように使う。羽黒山、月山、湯殿山、出羽三山、デワ、今日はこれまで、明日は「シ」です。予習をしてきて下さい。
 どこかで聞いたツクチ語の「デワ」はこう使う。デワサンザンでした。

 おい、そこの窓際宙づり、宿題だ、何か「シ」を使った「叙事詩」を書いてこいといわれて、トマサはびっくり、食べ物の恨みは恐ろしい、さっき、ワインを平らげたからかと、一生懸命考えていた。

 「シジョシジ」「ジョシジシ」と、エートと始めから間違って聞いていた。「女シ字を描く」でもない、「女子爺を書く」でもない、「女痔尻を掻く」でもないし。ウーン悩むな。どうしよう。
  
 ファノキュはさすがに、素早い、もうどこにもいない。

 あたりを見回すと、シハヤカムイコシカは、ヤシュミ、イケロポロ、ハセペツと、マツムシソウ、シウリザクラ、オドリコソウを熱心に見て楽しんでいた。ソウソウたるメンバーだ。放課後、メンバーに入れなかったタクラケさん、上品にナインソウなんて言っちゃって。
 
 再び、山へ戻ろう、それぞれが、山の尾根へ上がっていた。南から、トット、アチャ、コンヌマコロカムイとカルク、ユピと一線になっていた。どうやら、熊を包囲した格好になっていた。
 しかし、もうとっぷりと日が暮れていた。もうどっちも一歩も引けない状態になっていた。
(5) 山頂での死闘
 ラッコのアチャは熊を後ろから得意の羽交い締めにして、トットは近くにあった、石を掴み、貝を割る要領で、熊の頭を叩いた。熊はたまらず、ユピを離した。ユピとカルカは喜んで抱き合った。

 しかし、折からのウプンコロレラ(粉雪寒波)で、みんな凍ってしまった。アチャとトットは後ろに、熊はひっくり返って、ユピとカルクは一緒に凍ってしまった。

 カミイ村長は、納得が行かず、浜へ行って、陸に上がったフンペと浜に座礁したフンペを見て、川を遡っていった。頂上に行くと、ラッコと熊が一塊りになっていた。カミイ村長はとっても一人ではどうにもならないので、いったん、村へ引き返し、ノツケウシのアタムに応援を求めた。

 そして、二人で、ラッコと熊をそっと離した。親のラッコを置いた所を楽古岳、熊を置いたところを十勝岳、双子の兄弟を置いた所をオムシャヌプリと命名した。しかし、この山々は夏になると、山頂があっち行ったりこっち行ったりしていた。後に、シャモがそれを見て頭を悩ますこととなる。

 帰りに、トットが遡った川をペンケ札楽古川、アチャの遡った川を札楽古川、本流を楽古川と命名した。
 
 一方、チャタア先生は、出来の悪いトマサをつれて、叙事詩の手ほどきをすることとなった。

 まず、浜へ行って、フンペの戦いぶりを見て、川を遡って、山の状況を見させようとした。叙事詩とは天地人のありのままを詠めといった。

 トマサは一生懸命考えた、そうか、テンはオツムテンテンだから「頭」、チは見るのはいやだけれども「血」、ジンは「腎臓」か、最後の腎臓をどうしたら見られるかな。ウーン、どうしようと悩んでいた。

 先生、肝心の腎臓はどうしたら見られますか。とトマサが聞くと、胃いか眼にしなさいと胃われた。先生、地はなくて、海しかありませんがと、胆嚢直腸(単刀直入)に胃うと、海は地の延腸腺だと胃っていた。鼻んだ、ちょっと食道だ、ああ、胃が痛くなった。昨日、宿題になった「シ」を入れなければと考えた。

 まず、天だ

  シクスウエントでペケレチユプの     シクスウエント:曇り空
  一筋の光もない鉛色の空に       ペケレチユプ:太陽
  クンネニスが漂うだけ           クンネニス:暗雲
  ポンパスクルもパスクルもいない    ポンパスクル:渡り鳥 
                           パスクル:里鳥
 次は地だ

  フンペ遊ぶ、海獺遊ぶ           フンペ:鯨
  ウドラシノッ、穏やかなアドイで      ウドラシノッ:共に遊ぶ
  オタに遊ぶ海獺の双子の         アドイ:海
  幸せな群に                  オタ:砂浜
  なシて、災いが降りかかるのか

 次は人だ

   コンヌコロカムイよなシて、海獺の   コンヌコロカムイ:金毛熊
  幸せを奪う、なシて

  フンペはなシてそこまでして海獺を
  守るのか、なシて
  みんな自分を犠牲にしてなにを守るのか
  なシて
 
  海獺のアチャ、トット、ユピも原始のニタイまで  ニタイ:森林
  遡る気力はどこからくるのか

  勝てる見込みも少しもないコンヌコロカムイに
  なシて、海獺の親子は挑みかかるのか

 なシてはなぜと言う意味と思っていたが、チャタア先生はなして(北海道の標準語:どうして)そんなバカなことを考えるのかと、カンカンだった。

 「シ」とは「気品高く、偉大・最美・豊・上等・すばらしい」に使われる会話の中では「これから語る話しの内容を豊に、楽しく盛り上げる」と言う役割語だ。たとえば、美女は「ピリカ・メノコ」、最美の女性は「シ・ピリカ・メノコ」、大山は「ポロ・ヌプリ」最大の山は「シ・ポロ・ヌプリ」、今日ガンさんがやっている大宴会は「至大宴会」?だと教えてくれた。

 チャタア先生はもうやる気が無くなったようだ。これはまた明日にするしかないか。

 つづく、今日はどうもガン黒だったね、面白くなかったね。
(6) 戦いの後

 昨日は酔っぱらいの訳の分からない会合があって、もう、村にはタクランケばっかりになっていた。

 しかし、今日は全道ウンコセミナーが開催されることになっていた。便座長はうちのチャタア先生だ。今日、先生はだれかの大便をするはずだったが、少々便の立つ雄便家(パルンクル)でも、スラリースラリー(ウンコと小便の混ざったもの)と反論しちゃうんもね。ウンチクは最高だ。紙を使うのは反対だったので、手っ手(テッシュ)で処理するもんね。カミ技だよね。
 だれだそこんで、ウンウン踏ん張っているやつは、なに、紙がないって、手っ手、手っ手でどうぞ。なんと素っ手えことを!

 トマサはチャタア先生が当てにならないので、相棒トッケィとラッコの足跡を辿ることとした。おにぎりを作り、ビールの負荷を背負い出かけた。
 赤フンフラッグはもったいないので家に飾ってある。チャタア先生のプリクラはまだもらっていない。

 今日は、昨日までの天気が嘘みたいに晴れ上がっていた。みんなの目元も腫れ上がっていた。

 トマサ達は沢登りが苦手だったので、山道を行くことにした。まだ、硬雪だったので、なんとか登ることができた。頂上へ行くと、カミイ村長が山の尾根に並べたラッコと熊の頂上にたどり着いた。なんとなく、輪郭がラッコや熊のようでもあるが、真っ白い雪の山であった。

 山の向こうを見るとなんと、見慣れない湖とその側に山が二つできていた。どうやらあの異星人コンビが海に突っ込むところ、急ブレーキをかけたために、湖ができたようだ。

 その掘られた土が山になったらしい。この山は後にアポイ岳とピンネシリ、湖は幌満ダムと呼ばれることとなる。どちらが、どちらの山を作ったかは知らない。

 ついでに、食いついていたダニもたまらず、落っこちてしまって、どうもそれから、ピンネシリ界隈はダニが多くなったようだ。

 ピオロコタンの方を見ると、フンペが乗り上げた当たりに、小山が二つ、一つは陸に、もう一つは浜に見えた。これが後に、山フンペと浜フンペと呼ばれるようになった。

 今日はすがすがしい日で、頂上のビールもおにぎりも本当にうまかった。

 鳥がさえずり、さわやかな風が吹く 暖かな春の日のすぐ側で、ラッコと熊の争いがあったなんて、フンペも怒った争いがあったなんて、とても信じられない。
 鳥の声か羽ばたきか、シューシュルシュルシュルーと小気味良い音が響く、穏やかな山の一日が流れていた。

 それから、時は流れ、サツポロペツの赤フン連中が、この山を訪れようとしていた。

 はたして、楽古岳は、十勝岳は、オシャヌプリは、いずこにありや!

 終わり

 この物語は、史実などに基づかない全くの空想の産物です。駄洒落は本当に真剣に作りました。
 また、アイヌ語もでたらめのところがありますので、まねしないようにね。 たとえば、海をアドイとしていましたが、正確にはアトの半濁音イです。トの半濁音は表現しようもありませんし、発音もできませんでした。

 久しぶりに青春の帰ることのない春の日を感じました。あのピロオコタンにいた日と同じ感覚が、
 ツクチ・ノミカン・カミイ・チャタア・ファンキュ・ヌプリマッ・サシリ・ヤシュミ・ペトル松・シハヤ・ウタレ(ナカマタ)・イケロポロ・イフンナケロケロ・ハセペツ・タクラケ・アタムのウタレまた会いましたね。

 トマサ&トッケイ

 羽黒山、月山、湯殿山は出羽三山、デワ

 緊急報告です。2000年5月27日の突如出現した楽コタンが28日に突如消滅いたしました。
(7) 現代からの訪問者

 これはきっと、ヤマトラマンがコタンごと時空を越えて、持っていったものと思われます。

 以下、ピオロコタンからの報告です。

 突然、キムンカムイ(熊)よりはるかに大きい、地を這うイザリのような動物が数頭やって来ました。その音は聞いたことのいないほど、うるさく、サシリが聞いたら大変だと思った。

 イザリの行き先いはいつの間にか、建てたのだろうか、アシリピリカチセ(新しい立派な家)が建っていた。コタンのフシコチセ(古い家)と比べると、この世のものと思えないくらい、立派であった。

 カミイコタンコロニシパ(村長)はこの報告を聞いて、びっくりした。コタンのエシカ(長老)を集めて、善後策を練った。取り合えず、彼らの様子を見るため、嵐を起こして、足止めをして様子を見ることにした。

 さっそく、シハヤカムイコシカ(神主)はイノンハウ(祝詞)をとなえた。木の回り、暖かさ、集める、雪を消す、根暖まりだ、日溜まりを、意識した、当て字か、根暖まりよ、千の目となり、彼らを見張れ、イナンカルテ・・・・根暖まりは記憶がうる覚えだ、間違っていたらごめん・・・マサ・

 一方、チャタア先生は、日頃、岩で鍛えた体を張って、自ら、逆さ吊りになって、照る照る坊主の反対のことをした。回りを見ると、抜け落ちた髭が小さなadachanとなり、真似して逆さ吊りになっている。

 山の千の目からの報告で、どうやら得体の知れないウタレ(仲間)は何か小さな目の付いた箱に向かって笑って、チセに入って行ったとのことであった。

 シハヤやチャアタの努力の甲斐あって、ユッケルランペ(激しい雨)とシユッケレラ(激風)になってきた。

 この激しい雨と闇に乗じて、ファノーキュとトマサは見張りを命じられキマイネセタ(猟犬)を従え、ク(弓)とアイ(矢)を携え、恐る恐る、アシリピリカチセに近づいた。キムンカクイも興味深げに木の陰から様子を窺っていた。

 二人はキリを使い、壁に穴を開けて中の様子を窺った。どうやらシャモのようでもあるが、顔色がみんなフレアイヌ(西洋人)のように真っ赤になっていた。わけの分からない言葉を使っているが、どやら、同じことを言っているようだラッコ、ラッコ、テンキ、ザンネン・・・どうやら、ウエンペ(悪人)ではなく、ピリカルク(善人)のようだ。アイにシルク(トリカブト)の毒を塗るのを止めて、家の中を観察した。

 驚いたことに、コタンの住人に皆似たところがあった。あれは、カンノミ、ヌプリマッ、ヤシュミ、ナカマッタ、イケロポロ、イフンナケロケロ、まだまだいる。なんだこの集団、楽古隊とも言っているようだ。とっても、他人とは思えない、みんなの心が見える。カンノミに似ているカムイニシパ(紳士:別人28号)だけが、ちょっぴり心なしか半開きだった。アーデモナイ、コーデモナイ、モーサケナイ、オレモノミテーなどと考えているようだった。

 ファノーキュとトマサが寝ずの見張りをしていたが、ついついいつもの癖で詰めが甘く、寝てしまっていた。

 次の日、見るともうアシリピリカチセもイザリの跡形もなくなっていた。カミイ村長にそのことを伝えると、それはきっと夢だったのだと言っていた。

 それは、またいつの日にか、現実のものとなるだろう。また、楽しみが増えたということかも知れない。

 その夢は2000年10月1日に遂に叶えられたとのことであった。

 また合う日まで、ホンジャマ
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