物語3 ホームページ開設の軌跡
(1)坂口さんのビラ

 私たちのホームページの道は坂口さんから頂いた一枚のビラから始まりました。それは、1998年11月8日(日)のことでした。私たちは始めオロフレ山を目指したのですが、当日はオロフレ山のゲートが閉じていて、かなり歩かなければならなかったので、来馬岳に変更して、スキー場の駐車場に着くと一人の男性が先にいました。それが坂口さんだったのですね。

 先に坂口さんが出発して、われわれアソビホロケール隊若干2名もその後に出発しました。景色を見ながら火山灰の幅の広い道路を登って行くと、リフトの山頂駅に到着しました。
 ここで、坂口さんが、他の登山者と話しをしていたので、追い越す形になりました。つまり、亀が兎を追い越したわけです。

 頂上に着いて、われわれは昼食を食べている間、坂口さんは、無線で交信していましたが、帰りがけになって、なんと、山頂でビラ配りをしているではありませんか。パソコンが無いとだめなような話しでしたが、居合わせた人達は全員もらって、得したような気持ちで帰って行きました。
 私たちも時間が来たので、下山しだしましたが、軽く坂口さんに追い越され、それから会うことがなくすぎていました。
(2)パソコンを買う

 ワープロが壊れ、年賀状を作ることが出来なくなったので、仕方なく、代替えを買うことにしたが、息子に言われて思い切ってパソコンを買ってしまった。

 それがどうもインターネットやEメールも出来るらしかった。そこで、思い出したのが坂口さんのグリーン色のビラだった。坂口さんのホームページにはアクセス出来た。次に何回か坂口さんにEメールもを送るが、帰ってくる。ようやく坂口さんに接続できた。本当に嬉しかった。
 そこで、坂口さんからHYMLなる怪しげな集団に誘われた。訳もわからず。とにかく申し込んだ。
(3)HYML仲間との乱取り

 その集団はなかなかおもしろい面々が揃っていた。山を愛する仲間だけあって、みんな真面目だったが、一人異彩な人物がいた。それがひげのADACHI氏だった。クールな様で、物知りで、その人物の夢まで見る乙女(山女)まで現れるしまつだった。

 どうやら、その人物、ゴミや駄洒落が食える強靱な胃袋を持ち合わせているようだった。
 しかし、赤ワインで少々消毒しながら食べていたようだった。その人物にメールの乱取り相手をしていただいて、ゴミメールの中から、詩が生まれるようになった。
(4)詩を楽しむ人たちの出現

 私の詩を見ている人がいることがわかった。YOSIOさん、AOIさん、193さんに代表される英数字グループ、漢字グループ、平仮名グループの人たちでした。ひぐまさんのように作曲する人まで現れた。
 さらに、私の詩を見たいと言う人が現れ、ホームページがないかと聞かれた。この人物が津田さんだった。わざわざ、自分のホームページに掲載もしてくれた。
(5)ホームページ作成へ

 私はとまどったが、息子に話しをすると、ある日、ホームページビルダーなるものを持ってきた。
 それから悪戦苦闘のホームページ作りが始まった。職場のイナンカルテの先生大和田さんの、適切なアドバイスがあってようやく動くようになった。なにか、電気の配線のような感じで、なかなかおもしろかった。

 それを見て息子が、もう公開してもいいからと、プロバイダーなるところへ繋いだしだいです。
 これが、まだみなさんに言っていないのに、私がアクセスする以上にカンターが上がるのですが、だれか、見ていたのでしょうか。
 また、作れたってもう同じ物は二度とできませんね。どうやって作ったかとんと、覚えていないものですから。
 本当に、最後は軌跡でなく奇跡でした。これもみなさまとの付き合いが無ければ、今私のホームページはなかったと考えると不思議な気持ちがします。

 このように、「豚もおだてりゃ木に登る」の例えのように、人に影響されやすい性格ですが、今後とも、末永くお付き合いお願いいたします。
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