宗谷岬・宗谷岬平和公園 =宗谷ヒストリーロード= 日本最北端の地の碑 間宮林蔵の立像 宗谷岬音楽碑 宮沢賢治文学碑 平和祈念碑 ラベルーズ海峡の碑 あけぼの像 旧海軍望楼 宗谷海域海軍戰没者慰靈碑平和の碑 祈りの塔 世界平和の鐘 子育て平和の鐘 宗谷岬灯台 |
アクセス 稚内から国道238号線を東に辿ると宗谷岬があり、広場の前に広い駐車場がある。丘の上の「宗谷岬公園」にも駐車場があるが道は急で狭いので注意しながら上って行く。 国土地理院地図 周辺地図 稚内市役所観光交流課HP |
日本最北端の地の碑 |
宗谷岬に向かうと、一番先に目に付いたのが三角形の形をした「日本最北端の地の碑」だった。この形は北極星の一稜をかたどったものらしい。早速、観光客が居なくなったので記念写真を撮す。塔の裏にはNの文字が浮いていた。(丘の上の宗谷岬平和公園から見る宗谷岬は、ただの海岸線に見てしまう) |
宗谷岬 | 最北端の地の碑 | Nの文字 | 望楼から |
間宮林蔵の立像 |
立像い近づくと、大小二本差しで武士の装束をしてはいるが、肩に縄索をかけている。弁天島(日本が実効支配している最北端)をバックに視線は樺太を向いて凛々しい姿に見えた。 台座の裏に回ると酷く掠れてしまった碑文があり、まともに読めない。学生時代に培った山勘をまじえて解読するが、自身はない(誤読の場合はお許しねがいます)。 |
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宗谷岬音楽碑 |
広場の東側にある岩と岩を繋ぐようにして建てられた石碑に近づくと、聞きなれた「宗谷岬」の曲が流れていた。石碑には、歌詞と楽譜が刻まれていて、後に回ると碑文がある。この歌碑は昭和55(1980)年11月に建立されて、平成14(2002)年には30周年を記念して「30周年記念音楽碑」が建てられたようだ。暫し、青い海に目を遊ばせ、海明けを思い浮かべ、心に染みるメロディーに洗われる。 |
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宮沢賢治文学碑・平和祈念碑 |
車に戻り、丘の上の公園に上がって行き、先ず目に付いたのが宮沢賢治の文学碑だった。碑文は「はだれに 暗く 緑する 宗谷岬の たゞずみと 北はま蒼に うち睡る サガレン島の 東尾や 宮沢賢治詠 東大寺長老 清水公照書」と彫られていた。愛棒がポツリと「樺太」を「サガレン島」って言うんだと、怪訝そうに読み終わる。サガレン島とはロシアの古い呼び名のようだ。 後に回って、びっくり、「平和記念碑」となっている。長文の碑文の終りには「宗谷要塞重砲連隊宗谷会一同」とある。軍隊の方々も文学を愛されていたと思うと、少し、何故かほっとする。 |
シベリア抑留で、軍人としてではなく罪の無い文人として、多くの方々が亡くなられた史実には全く正義を感じられない。ロシアの真似だけはしてはいけないということか。 |
ラベルーズ海峡の碑 |
西洋の墓の様な形に薄い石板が2枚立っている石碑があり、近づいてみると、ラベルーズ海峡の碑と言うことだった。碑文は左がフランス語、右が日本語で刻まれていた。フランス語の横には外人のレリーフが嵌め込まれている。余りにも、平らなので、覗き込まないと見えない。レリーフは更に覆い被さるように覗き込まないと顔がわからない。 |
ラベルーズ海峡の碑 | 碑文 | レリーフ |
碑文を読むと、西洋人として始めて宗谷海峡を通過したので、世界的にはラペルーズ海峡言うらしい。やっぱり、世界は西洋中心で回っていると実感する。2つの薄い石板は2隻の帆船をイメージしているようだ。 |
ラペルーズ に 1785年、フランス国王ルイ16世は 世界海洋科学調査航海 を命じます。 二隻の艦艇司令官として ラペルーズ伯爵、ジャンーフランソワ ド ガローが この航海の指揮にあたります。 1787年、日本海探索後、 日本海とオホーツク海を結ぶ 海の存在を確認しました、 同年8月、二隻の艦艇と共に、 宗谷海峡の沖にひろがる この重要な海峡を渡り切りました。 従って、太平洋に合流する この航路を通過した 最初の欧州人なのです。 1789年、オーストラリア出航後行方不明となり、 この勇敢なる英雄は故郷フランスの地を再び踏む ことはありませんでした。 この航海者の功績と発見を讃えて 世界海洋界はこの海峡を次のように命名しました。 ラペルーズ海峡 |
あけぼの像 |
透けて見えそうな薄着姿の男女が海を背にして立っている。台座には牧草を反転・集草するアクロバットレーキや馬橇のレリーフが嵌め込まれ、後には、厩舎に使っている閂が見える。碑文は部分的に掠れていて解読不能な所があった。北の地に農業関係の銅像は珍しく思う。 |
あけぼの像を西から | あけぼの像を東から | 碑文 |
あけぼの像碑文 ここ宗谷は、日本列島最北端の土地であ り、古く幕政時代からソウヤ場所と して知られている所ですが、その気候 風土の条件に阻まれ、ながく未開の処 女地として忘れられていました。 北海道の開拓が進むにつれてこの地北海道 酪農の一大拠点としてあれと蜜の流れる 日本の大食料基地の一つに躍進しても いりました。木もなく実のらなく 夏なお寒く風吹きすさぶ熊笹の荒涼 地が開拓者の手によってその面目を改し たのであります。 有名無名幾多先人の限りない実験挫折 、犠牲によるとはいえ、この希望に満ち た大地の●●を開拓の子孫の一人と してともどもに喜び合いたいと思いま す。私達は北海道牛乳生産も百万トン及 乳牛五十万頭突破記念を機に●ここ 宗谷に一つの記念像を建立して、先人 の偉業と未来へのロマンを永く後世 にしるしたいと思います。 それは列島の北の果てに住み、遠く南 を見渡しながら日本歴史に一ページを 書き加えつつある道民一同の心を象徴 するものであります。 昭和四十六年七月十七日 あけぼの像建立期成会 |
旧海軍望楼 |
一際、異彩を放つ建物が目に付く。近づいて見ると「大岬旧海軍望楼」だと言う。螺旋階段が付いていて屋上に上がれる。結構年代を感じる腐植しかかった鉄の階段を上がると、樺太が見えていた。下りて望楼の北側に回り込み、屋上を見上げると、見張り役が目を光らせていた。きっと、軍人の生れ変りなのかの知れないと不思議なキタキツネを見上げる。 |
望楼 | 説明板 | 樺太が見える | 望楼の見張り役 |
振り返ると、現在、日本が実効支配している最北端の弁天島が見える。望楼を一回りして、次に進む。 |
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宗谷海域海軍戰没者慰靈碑 |
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この碑は、望楼防備隊を含む宗谷防備にあたり殉職した人々の鎮魂のために建てられました。 特に、終戦直前の昭和20年7月、米潜水艦の魚雷攻撃を受けた稚泊航路連絡船「宗谷丸」を守るため、身代わりとなって爆沈した望楼防備隊所属の「第112号海防艦」の乗組員152名の霊を慰めるため、昭和55年9月に建立されたものです。 ※稚内市のHPより抜粋 |
平和の碑 |
平和の碑の左右にポールがある。何故だろうと、近づいて碑文を見ると日本語と英語で書かれていた。その内容はUSAと日本の関係者が合同で建立したと言う。ポールは星条旗と日の丸を揚げるためのものではと思う。碑文の下には、撃沈された船舶、位置、犠牲者人数などが記されていた。 |
平和の碑 | 平和の碑(横から) | 撃沈された内容 | 碑文 |
平 和 の 碑 1943年10月11日 宗谷海峡において5時間に及ぶ日本海軍と アメリカ合衆国海軍との間で悲痛な戦いが繰り広げられた。 この場所により、北東12マイルの宗谷海峡にアメリカ潜水艦ワフー SS238号乗組員80名のアメリカ人が眠っている。また、この戦い より多くの日本人の戦死者が日本海に眠っている。 この碑は、日本側の人々とワフー号に眠る乗員の家族とによって 設立されたものである。 かつての敵は、今日、兄弟として出会い、両国の平和が尽きるこ とのないよう、また、我々が今あたためている友情が決して再び壊 れることのないよう、献身したい。 PEACE MEMORIAL On October 11,1943 the Japanese Navy sank the American submarine Wahoo SS238 in a five hour air and sea attack. ship in a two week raid. When the Wahoo was lost it was the highest scoring submarine in the US Navy. Eighty Americans sleep in the Soya Strait 12Miles nroth-east of here. Many Japanes sleep in the Sea of Japan from Wahoo attacks. This monument was erected by members of the Japanese. Attack Group and relatives of Americans lying in Wahoo. Old enemies met as brothers to dedicate that our countries shall friendship we now enjoy today. |
祈りの塔 |
一段と高く聳え立つ塔があり、近づいて見ると、昭和58(1983)年に起きたソ連の戦闘機による大韓航空機撃墜事件被害者の慰霊と世界の恒久平和を願って、昭和60(1985)年に建てられた塔だった。 |
祈りの塔 | 祈りの塔 | 事件の碑文 | 愛と誓いを捧げる |
改めて、撃墜の内容を思い浮かべるが、既に26年の年月が流れてしまった。毎年、遺族の方々が海に向かって、肉親の名前を呼んでいる姿を見るにつけ、ロシアが平和的な国家になることを願って止まない。 |
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世界平和の鐘 |
琉球風の建物の中に鐘を見つけて、近づいてみたら、碑文があり読む。どうやら、鐘を3つ打てば良いようなので、鳴らしてみた。私に続いて、愛棒も打ち鳴らす。 |
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子育て平和の鐘 |
隣りにも鐘があり、碑文を見ると、この鐘も3つ鳴らせば良いようなので、二人で鳴らしてみる。 |
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宗谷岬灯台 |
宗谷岬灯台を遠望しながら車に戻る。途中サハリン(旧樺太)43kmの矢印を見上げる。 |
宗谷岬灯台 |
最後に、沖に浮かぶ樺太(サハリン)の島影を見て、公園を後にする。 |
樺太の島影 |
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二人の散歩路記録 2009年8月26日(水) 晴れ |