尻場山霊場・遺跡

 アクセス
 余市湾に突き出た三角のシリパ岬にある余市神社を目指す。余市神社に向って立つと、神社の右横からスキー場の道(廃場なので道標なし)が延びている。少し荒れた道なので、神社前に路駐する。八十八か所(光照院)にも広い駐車場があるが、道が悪いのでクルマの腹擦りには注意。
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尻場山神社
2010(H22)年11月21日
門柱
 門柱に看板が架かっているが、字が掠れて読めない。
 中に入ると、中央に手摺の付いた階段があり、上がると神社の社務所のような機能と思われる建物、広場には石碑が鎮座していた。
 一つ一つ見て回ると、建設時に寄付した人達の記念碑と思われる石碑、青銅龍頭●●と彫られた石碑、菩薩像、出羽三山の石碑、庚申塚、尻場山神社碑があり、山側には石仏が並んでいた。
?記念碑 青銅龍頭・・ 菩薩像 出羽三山
菩薩像 庚申塚 尻場山神社 石仏群
2021(R3)年9月28日
現在の門柱
 門柱に看板は新しくなり、左に「光明余市教会」、右に「天台宗湯殿山」の看板が架かっている。
尻場山新四国八十八ケ所
2010(H22)年11月21日
 スキー場が望める門柱があり、右に「眞言宗 尻場山 新四国八十八ケ所霊場」、右に「光照院」の看板が架かっていた。 中に入ると、水子地蔵が一番先に目に付き、幌葉には石仏群が鎮座していた。
門柱とスキー場 水子地蔵 石仏群 石仏群
 中には、囲われた石仏もある。片隅には鳥獣供養塔があり、ペットの墓で囲まれたいた。
石仏群 石仏群 石仏群 鳥獣供養塔
 八十八ケ所の順路の始めには、弘法大師像があり、直ぐに一番の霊山寺から始まる。参道は遊歩道と言うよりは登山道と言った方が良いようだ。
弘法大師像 一番 霊山寺 二番 極楽寺 三番 金泉寺
四番 大日寺 五番 地蔵寺 六番 安楽寺 七番 十楽寺
 突然、順序不同で35番目が現れる。途中の広場では石仏群があり、お堂に入っている石仏もある。
三十五 奥の院清滝寺 八番 熊谷寺 石仏群 お堂に入った
九番 法輪寺 十番 切幡寺 十一番 藤井禅寺 十二番 焼山寺
八十八 奥院大窪寺 十三番 一宮大日寺 十四番 常楽寺 十五番 国分寺
 16番と17番の間には、真新しい石仏があるが、無名のままだった。
十六番 観音寺 無名の石仏 十七番 妙照寺 十八番 恩山寺
 21番の太龍寺は、太ではなく大と刻まれているように見える。
十九番 立江寺 二十番 鶴林時 二十番奥之院慈眼 第二十一番 太龍寺
二十二番 平等寺 二十三番 薬王寺 二十四番 東寺 二十五番 津照寺
 魚を持った地蔵も鎮座している。
鯖定師八坂寺 二十六番 西寺 二十七番 神峯寺 二十八番 大日寺
 30番目は、一般的には善楽寺だが、掠れて読むことが出来ない。32番は峰が峯と刻まれている。
二十九番 国分寺 三十番 ● 三十一番 五室寺 三十二番 禅師峰寺
三十三番 雪蹊寺 三十四番 種間寺 三十五番 清瀧寺 弘法大師高野山
 37番の石仏は令和3年に訪れた時には横半分に割れていた。
三十六番 清龍寺 三十六番 奥ノ院 三十七番 岩本寺 三十八番 金剛福寺
 39番目は掠れて読めないが、一般的には延光寺になる。
三十九番 ●(延光寺) 四十番 観自在寺 四十一番 龍光寺 四十二番 佛木寺
四十三番 明石寺 四十四番 大寶寺 四十五番 岩屋寺 四十六番 浄瑠璃寺
 47番目は八阪寺と彫られているが、一般的には八坂寺と言われている。参道から外れて少し藪漕ぎになるが、山頂には尻場山の石碑がある。
四十七番 八阪寺 四十八番 西林寺 尻場山 四十九番 浄土寺
五十番 繁多寺 五十一番 石手寺 五十二番 大山寺 五十三番 円明寺
 54番は見落としたようだ。
イサリ松延命寺 五十五番 南光坊別宮 五十六番 泰山寺 五十七番 榮福寺
 58番は、見落としたのか無かったが、一般的には仙遊寺になる。順序も前後しているところもあったかもしれない。突然、順番が違う34番目の石仏が鎮座しているが、掠れて読むことが出来なかった。
六十番 大峰寺 五十九番 国分寺 六十一番 香園寺 三十四番 奥院
 番外の石仏も鎮座していて、その内の一つは掠れて読めなかったが、行場不動尊なのだろう。
西河原地蔵尊 行場不動尊 六十二番 宝寿寺 六十三番 吉祥寺
 66番目なのだろうか掠れて読めない。そうだとしたら雲辺寺になると思う。
六十四番 前神寺 六十五番 三角寺 六十六番 ? 六十七番 小松尾寺
六十八番 神恵院 六十九番 観音寺 七十番 本山寺 七十一番 弥谷寺
七十二番 曼荼羅寺 七十三番 出釈迦寺 七十四番 甲山寺 七十五番 善通寺
 また、番外の63奥ノ院吉祥寺が現れる。
六十三 奥ノ院吉祥寺 七十六番 金倉寺 七十七番 道隆寺 七十八番 郷照寺
 また、番外の66番奥ノ院が現れる。
七十九番 高照院 八十番 國分寺 八十一番 白峰寺 六十六番 奥ノ院
 番外の弘法大師讃岐別院、屏風々浦●●寺が鎮座している。
八十二番 根香寺 弘法大師 讃岐別院 八十三番 一宮寺 屏風々浦●●寺
 番外の生木山正善寺の鎮座していた。
八十四番 屋島寺 八十五番 八栗寺 生木山 正善寺 八十六番 志度寺
 少し掠れていて読めない字があるが、「弘法大師 ●照院」「大師遺●總盛寺」と彫られた石仏が鎮座していた。最後に八十八番目の大窪寺の石仏で終わる。
弘法大師 ●照院 八十七番 長尾寺 大師遺跡總盛寺 八十八番 大窪寺
2021(R3)年9月28日
二十二番 三十五番?
 18番は見落とし、確認しなかった。22番は台座だけがあり石仏は見当たらなかった。35番目は、石仏が台座から外れていた。
 37番は真ん中から折れていた。以前、見落とした54番の石仏を見付ける。草の中に小さな石仏や子供を抱いた地蔵が埋もれていた。
 
三十七番 五十四番 延命寺 小さな石仏 子供を抱いた
 
旧ヤマウス稲荷社石垣階段
2021(R3)年9月28日 Google Map
 入口は、夏草や蔓で覆われ、足元が見えす、溝に落ちたり、石に躓いたりして、石段に辿り着く。転ばなかったのが、奇跡だった。石碑の前に、あった石柱には何が刻まれているのか判別出来なかった。石碑の真ん中には、弓矢を背負って、刀を携えた男性の像が刻まれていた。台座には由緒書き、像の左右上下には、松浦武四郎の詩、像のタイトル等が刻まれていた。
入口
彫られた像
ここ清き社
ひま奈くつとふ
餘市乃海
里乃名志るき
  衣とも
忘れさる
北海道人松浦武
四郎
日本書記によって傳えられ
る齊明朝5(西暦六百六拾壱年)
阿部引田臣比羅夫は大和朝
廷の命を受け船師百八拾艘
を卒いて渡島に来り
とき蝦夷胆鹿えぞいが
島兎穂名しまうはなの二人進んで
いわ後方羊蹄しりべしを以って
政所まつりどころすべし焉胆鹿だいか
島等しまらことばしたがついぐん
●●いてかえるとあり
この後方羊蹄なる地の解明
については長い間歴史家の
課題であるが明治大学法史
学研究地方史研究室長滝
川政次郎博士同理事島田正
郎博士の現地調査報告並び
に余市郷土研究会の研究調
査の結果後方羊蹄はシリパ
ヨウチ即ちシリパ山のある
ヨイチとなるとの結論を得
た依って政所を置いた地は
余市と想定し北海道文化財
保護協会理事今善作氏の幸
唱醵出金により、ここに阿
部引田臣比羅夫の記念像を
建立する
阿倍引田
臣比羅夫
之像
宣言
後方羊蹄
此地也
二代余市郷土研究会長
今 善 作
北海道
 最古之都
十一代余市町長
 坂本角●郎
 日本書記
時問兎蝦夷胆鹿島
兎穂名二人進曰可
以後方羊蹄為政所
焉随胆鹿島等語遂
置郡領而帰
 石垣の傍にある棒杭には、昭和51年18日に史跡に指定されたと記されている。それにしても、この荒れようは尋常ではないと思う。石碑に到着すると、上から木々が覆いかぶさっていて、全容が見えなかった。仕方がなく、石碑の部分部分を写真に修める。
石垣と棒杭 石碑 台座 左上
 碑の上にも石垣が見えるが、辿る気が起きなかった。
右上 右下 碑陰 奥の石垣
シリパケールン群遺跡(未踏)

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 2021(R3)年9月28日(火) 2010(H22)年11月.21日(日)