志苔館(sinoritate)    

 アクセス
 恵山国道278号線の志海苔漁港と海上保安庁函館航空基地に挟まれた所に位置している。駐車場が無いので、路駐することになるがそのスペースも少ない。少し距離はあるが、海上保安庁横の志海苔ふれあいひがし広場に駐車場がある。
 国土地理院地図  周辺地図
=写真をクリックすると大きなサイズになります=
和人殉難御霊・阿伊努悵魂御霊慰霊碑
 入口の坂を上がって行くと直ぐ右に慰霊碑の解説板と柵の中に慰霊碑が見える。良く見ると、二つの石碑が一つの台座に鎮座していた。
入口 慰霊碑の解説 左:アイヌ、右:和人
 左が阿伊努(アイヌ)、右が和人の石碑のようだ。戦った相手同士の慰霊碑が同一座にあるということは珍しいと思った。坂の奥には志苔館跡の石碑がある。
史蹟志苔館跡
 坂の奥には志苔館跡の石碑がある。中に入ると志苔館の解説や志苔館の保存についての解説板が設置されている。順路が無いので、勝手に辿ることにする。館の正面と思われる所から戻って入り直す。
石碑 志苔館の解説 志苔館の保存 正面
 土塁に架かる橋を越えると郭外遺構の解説板がある。門があったと思われる所から中に入る。真ん中には郭内遺構の解説板が設置されていた。
郭外遺構 内部 郭内遺構
 建物の跡は遺構の位置を解説した石板にが設置されている。芝生を眺めると柱の位置に石柱を埋めたようだ。井戸跡は力が入っているようだ。
遺構の位置 井戸跡 土塁の隙間から
 館跡からは津軽海峡を挟んで下北半島、函館山、その奥に松前半島が広がっていた。
                     ←大
         下北半島               津軽海峡          松前半島  函館山         
 山側には庄司山、横津岳、蝦夷松山が見えていた。
                     ←大
                            庄司山 横津岳   蝦夷松山 
 北から東側は建物があり展望は無いが亀田半島の一部が見える。
                     ←大
                                               亀田半島
志苔館墟碑
石碑
 志苔館跡の広場には2基の石碑が鎮座していた。大正時代に建立された碑文は風化が進んでいて良く判別できなかった。

千 秋 不 ●
志苔館墟碑
志苔之館●●荒廃久埃初爲陸軍用地後轉皈于民有宇賀同窓會憂其遺跡之●滅●方●●
●●其●●●●●●保存焉頃議●●將●碑表之●會長中宮亀吉氏●我●事一●長●●●
次郎氏表田志苔●者●起●●●●●禄老年小秋●●●●●夷酋●奢●之●●戰不●死子
良定亦俄遭夷虜虜猛襲錐防戰厄力●●不敵遂屠両死館●●●●實永章正二年之春●小松●台
臣事松前●子孫相承十有八●●●●●維新●嗚呼古英雄之遺跡 ●●于寒畑荒草之中不●
●志●●●●舎戦適會●本道開拓軍十●●興乃欲●●警蹟村石以傳于●●●文之余田善
哉會●表章之擧荳●●●其時者哉●悪可●●乃摩●享併記當●●●●一首代銘

 宇●●●●  志苔●館 ●  阿登斗遍婆  ●●●●氏  雨●●栄利
  大正●年●月●●
                       函館支廰長
                         北●道廰支廰長從二位勲四等河毛三郎撰書
正二位●●●
留目政治先生頌徳碑
石碑
 もう一つの石碑は頌徳碑だった。碑陰には宇賀同窓會建設の文字が刻まれていた。
名存久地
   留目政治先生頌徳碑
先生南部大向村人也執教鞭於宇賀校舎有五
年諄々不倦夙肇同窓會指導青年而専盡瘁智
コ向上興習俗改善又克繹史蹟勗之保存焉爾
來會運月進教化歳顯師恩寔大也浴薫陶者景
慕轉難止万勒事績報鴻恩以傳是後人矣
  大正八年九月     宇賀同窓會
●●●●
 

散歩路もくじ4へ   次函館の石碑へ   北の探歩訪へ

 二人の散歩路記録
 2017(H29)年10月3日(水)  曇り