品川区の風景

 ポイント
 しながわ百景の紹介 | 区制70周年記念しながわ百景〜魅力ある品川の風景新東京百景 - Wikipediaを参考にしています。
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大井地区
 55.鈴ケ森刑場跡と大経寺(2010.5.18) Google マップ
 国道15号線沿いを、自転車で北上していると、都道316号線が分岐地点に三角形の公園が見えたので寄る。
公園のような 由緒書
 看板には「都旧跡鈴ケ森遺跡」とある。この道は東海道だったようだ。中には、石碑、地蔵、刑場で使った石造りのものなどが見られ、今でも野花が添えられている。
 八百屋お七を火炙りにした支柱を支えた四角い穴の開いた石を見たときに・・ワーッおとうさんそんな所から覗かないで!
 興味なある方は、行って見てください。これ以上は遠慮させていただきます。
品川地区
9.品川神社<北品川3-7-15(2025(R7)年5月4日)> Google マップ
 鳥居前
 道路を挟んで神社を見ると、富士塚があり登っている人達も見える。鳥居前はにぎやかに石碑や由緒書きがある。社号碑の碑側には「正二位勲一等伯爵清浦奎吾謹書」と刻まれている。
品川神社の遠景 鳥居前 社号碑
 しながわ百景・新東京百景・新東京八名勝の碑(30番)
 しながわ百景(9番)の看板、新東京百景の碑、新東京八名所の碑(30番)の後ろに寄付金の碑「〇北品川宿共有地/金壹萬五千圓/大正十一年八月」がある。
しながわ百景9番 新東京百景の碑 新東京八名所の碑 寄付金の碑
 双龍鳥居
降り龍 鳥居 昇り龍
 双龍鳥居に向かって左の柱に降り龍、右の柱に昇り龍のレリーフが見られる。
 12.東海七福巡り
 鳥居の左側には、「しながわ百景K東海七福神めぐり」の看板があり、その近くには大黒天の像がある。階段をあがった境内の右側には発祥の地碑「立春初詣/東海七福神めぐり発祥の碑/大いなる希望に歩め立春の碑/昭和二十六年西暦一九五一年」がある。「千客万来/〇・・・〇/商売繁盛/〇・・・〇/立春初詣東海七福神めぐり」と刻まれていると思われる七福神めぐり碑がある。
しながわ百景12番 大黒天 発祥の碑 七福神めぐり碑
 浅間神社
浅間神社
 石段を上りきると、左手に芳葉岡浅間神社がある。
 石坂の石碑群
一千年紀念碑 石段再建の碑 寄進の碑
 石段の途中に「清P/天満宮一千年紀念碑」がある。
 石段再建の碑「石段(石亶)再建/火防稲荷講社中/明治十年第六月/嶺沖正脩謹書/世話人●●・・」や寄進の碑「石坂/再建/寄進/連名」が鎮座している。この碑は金5円から寄贈した名簿。
 入選記念碑
 階段を上がると鳥居の奥に拝殿に見える広場になる。「祝八名勝入選」と「江戸消防/第二區/第七區」の石柱があり、その横に記念碑がある。碑文は石碑の全体を写したつもりが少し欠けていて最初の文書が分からない。
消防の碑 入選記念碑
記念碑
〇・・・・〇
第三位に入選した記念に
吾々の先人が時の協賛者
と共に建立したもので
丁度60周年の節目を
期に常夜灯と記念碑を
建立し品川神社の敬神
のメ揚と境内の景観に
粋を添え先人の鎮魂の
意も含め更に社会に役
立つ心の地形をなし人
の和を基本としながら
江戸町火消しの永い歴史
によって培われた伝統
文化の灯を消す事な
く之を後世に伝承せ
んとするものである。
平成三年十一月吉日
 恩賜養老杯
恩賜養老杯碑
 その左手に恩賜養老杯(木辺に否)碑が鎮座している。
恩賜養老杯(木否)碑
今上天皇陛下萬世一糸
ノ寳祚ヲ践マセ給ヒ今
茲本日ヲ以テ登極ノ大
典儀ヲ行ハセラルルヤ
帝國臣民中八十歳以上
ノ長壽者ニ對シ天端杯並
ニ〇肴料ヲ賜ヒ吾等四
十四名亦齋シク這ノ光
ニ感泣ニ堪へサルナリ
爰ニ同慶相諮リ記念ノ
為メ特ニ之ヲ碑ニ刻シ
以テ養老奨孝ノ叡(上日)ヲ
後昆ニ傳ヘ併セテ
聖壽ノ無疆ヲ奉(示壽)
昭和三年十一月十日
 包丁塚
 包丁塚は内閣総理大臣三木武夫書、その右には石碑「包丁塚建立十年祭/昭和六十一年四月吉日/宮総代勲五等永原徳」が傍にある。左手には包丁塚の由来碑がある。
包丁塚 包丁塚の由来
包丁塚の由来碑

抑もここ品川の地は 往昔より江戸出入
の要宿にして 近代となりてその地域広
大となるも、まことに殷賑をきわめ、ゆ
えに調理をなりはいとする店多く、また
それらに使用されし包丁数知れぬなり。
このたび品川区鮨商組合連合会発足二十
五周年を記念し、ここに縁りの地品川神社の
神域に包丁塚を建立、調理に役し、使い
古されし数多包丁を納め、とわにその労
を謝すと共に、同じくそれら包丁により
調理されし鳥獣魚介の類、はた又蔬菜等
を慰霊し、併せて業界の発展を期し、と
こしえに連合会の隆昌を願うものなり。
昭和五十一年四月二十七日
  品川区鮨商環衛組合連合会
    会 長 永 原  徳
 忠魂碑と祖霊社
忠魂碑と祖霊社
 神楽殿の傍に祖霊社があり、その横に砲弾を連想させる忠魂碑がある。この碑は日清日露戦争時代に建立されたようだ。台座に嵌め込まれた碑文は掠れて良く読めないが、乃木大将の揮毫、占領軍の命令の文字が読み取れた。
 御嶽神社
鳥居 改築記念碑
 御嶽神社の境内には石柱があり、その正面に神社佛閣碑「四國四拜」側面が「天地開闢/大日本大社廻/応需 勝安芳〇〇」と刻まれている。碑陰には明治26年7月建立と刻まれている。品川三笠山元講の碑も鎮座している。
神社佛閣碑 天地開闢碑 碑陰 品川三笠山元講
 L字鋼とボルトで補強された石碑は八海山、御嶽山、三笠山と刻まれているようだ。御嶽神社碑の上に文字が刻まれているようだが、掠れて読めない。碑陰には昭和4年5月建立と刻まれていた。その碑の裏側には蓋をした井戸がある。改めて、浅間神社を眺める。
ボルトで固定された 社号碑 井戸 御嶽神社
 
 解説板「江戸・東京の農業 品川ネギとカブ」
解説板
 鳥居の手前に「江戸・東京の農業 品川ネギとカブ」の解説板がある。
江戸・東京の農業 品川ネギと株

 品川は江戸湾に面し、中世以来の港町、宿場町として栄え、町をささえる漁業や農業も盛んでした。とくに、農業は、目黒
川、立会川流域の低湿田地帯と荏原台地に広がった畑地で、年貢のための稲作を中心に麦や雑穀を作る粗放的農業が行われて
いましたが、野菜は荏原郡の中でも最も早く産地として発展しました。
 江戸にネギが入ったのは天正年間(1573?92)に大阪方面からの入植者によって、砂村(現在の江東区)で栽培されたのが
始まりですが、品川も同じで、入植者が持ち込んだネギの栽培は品川宿の周辺から広がり「品川ネギ」として産地化しました。
 また、文化元年(1804)に著された『成形図説』には越冬用漬物として栽培された長カブ「品川カブ」が記され、天保14年
(1843)の「東海道宿村大概帳」によると、品川ネギ、大井ニンジン、戸越のタケノコが名産として記されています。
 その後、江戸市中へ出荷する野菜の生産地は江戸市街地の発展により、大井、大崎地区を中心に移っていきました。
                                         平成9年度JAグループ
                                         農業協同組合法施行五十周年記念事業

THE AGRICULTURE OF EDO & TOKYO
Shinagawa Negi and Kabo
 Facing to Edo Bay,the people here in Shinagawa lived on fishing and farmig.
 Negi(welsh onion) was introduced to Edo during 1573-1592 by the setters from Osaka districts.Its culture started
in and around Shinagawa post town and won the brand name 'Shinagawa Negi'.The record around 1804 describes
of the Shinagawa Kabu(turnip) which was grown fir preserved food in winter.The center of vegetable productin
gradually moved to Oi and Osakai areas.
 拝殿
 鳥居の奥に拝殿があり、その横に改築記念碑がある。碑陰には昭和四十二年十二月吉日建立と刻まれている。神楽殿もある。
鳥居 拝殿 改築記念碑 神楽殿
 品川神社文書、品川拍子、石造鳥居並水盤、品川神社石造り灯龍、神輿などの解説板もある。水盤では金魚が泳いでいた。
文書 品川拍子 文化財 水盤
 阿那稲荷講社
 上社の参道には、朱色の鳥居がずらりと並んでいた。参道の途中で、鳥居も下りだすのでそれに連れて下って行くと横に祠がある。
上社 鳥居群 下へ
 下社の額には「一粒萬倍」の文字が書かれていた。一粒万倍の泉や小さな狐が沢山祀った狐穴がある。奥へ進むと行き止まりになり石垣や灯明台がある。
下社 一粒万倍の泉 狐穴 奥へ
 13.板垣退助の墓
墓所
 拝殿の裏手に広場があり、板垣退助氏と絹子夫人の墓が並んでいる。解説板や有名な自由は死せず碑のある。しながわ百景13にもなっているようだ。
自由は死せず碑 解説板 しながわ百景 墓所
 富士塚
 品川神社の双龍鳥居を潜って石段を上がって行くと、左側に足神様・猿田彦神社があり、そこが登山口になる。登山口から直ぐに1・2合目になり、右手の柵の中には「役小角と鬼」が鎮座している。
 六合目からは急な自然石の石段を登って行く。7合目には2つの石碑が鎮座している。左は「寒緑松本先生出碑」、右は「人丸大明神碑」になる。寒緑松本先生出碑には幕末の漢学者の生い立ちが刻まれていると言う。人丸大明神とは柿本人麻呂のことらしい。碑文の大半は酸性雨で融けたのかのっぺらぼうになっていて解読できない。奇麗に咲いているつつじを眺める暇もなく山頂が見え出す。
富士塚の入口 6・7・8・9合目 つつじと石碑 山頂を
 山頂の下には浅間神社や祠が見えた。開けた方には、渡って来た北品川三丁目信号やその後ろには市街地が広がっていた。
浅間神社 祠が 北品川三丁目信号 市街地
 
 東海道品川宿
標柱
 第一京浜(国道15号線)沿いに「東海道品川宿」の標柱がある。
 
 17.八ツ山橋(2010.5.18) Google マップ
御殿山から下り 八ツ山橋 橋の欄干?
 御殿山から綺麗な旧東海道を下って行くと、橋の欄干が「八ツ山橋」と「屋つやまはし」の二本建っていた。
 番外.品川駅創業記念碑(2010.5.18) Google マップ
石碑 公園のような
 品川駅前を通り過ぎようとしたら、サラリーマンには目にも入らず通り過ぎるような石碑がある。由緒書を見ると 品川駅の創業は明治5年5月7日(新暦6月12日)のようだ。

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 二人の散歩路記録
 mym2025(R7)年5月4日(日) 2010(H12)5月18日