三内丸山遺跡(標高20m)

 アクセス
 道路は複雑で分り難いが、国道7号線からは標識がある。
 国土地理院地図 周辺地図
=写真をクリックすると大きなサイズになります=
 駐車場に車を停め、大きな壁の様な建物の様な「縄文時遊館」正門へ向かう。中に入り、資料を入手して、「時遊トンネル」から外の遺跡に向かう。途中に三内丸山遺跡の解説板が立っていた。
縄文時遊館へ 時遊トンネルから 遺跡へ 解説板
三内丸山遺跡
 調査の経緯  遺跡の概要
 三内丸山遺跡は、江戸時代から知られている遺跡で、これまで
慶応義塾大学、青森市教育委員会、青森県教育委員会によっ
て発掘調査が行われています。
 平成4年から6年にかけて、県総合運動公園拡張整備事業に
伴う野球場建設予定地内の発掘調査を行ってきましたが、縄文
時代前期から中期(約5,500年前〜約4,000年前)にかけての多
くの貴重な遺構群や多量の遺物が発見され、日本考古学史上例
を見ない巨大な縄文時代集落であったことが明らかになりまし
た。
 このため、青森県では、野球場等の建設を中止するとともに、
周辺を含めた約38haを保存し活用していくことを決定しまし
た。
 野球場建設予定地約50,000uの発掘調査では、約580棟の竪穴
住居跡、10数棟の大型竪穴住居跡、100棟を越える掘立柱建
物跡、多量の遺物が廃棄された泥炭層、約1,000年にもわたって
土器や土などが捨てられ続けて小山のようになった盛土遺構、
さらには約880基にもよぶ子供の墓などが発見されています。
 これらの様々な遺構は、幾つかのまとまりをもっていること
から、土地の利用について何らかの約束事があったと考えられ
ます。
 また、遺跡からは日本最古級の漆器、カゴなどの編物、敷物
のほか、各種の骨角器、獣骨、魚骨、植物種子等も多量に出土
しており、今後、縄文文化を解明する上で極めて貴重な遺跡と
評価されています。        青森県教育委員会
 改めて、復元された集落を目の辺りにし、縄文時代の雰囲気を味わう。
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復元された集落
 次に、Kの展示室に入り、当時の生活を想像する。現代人よりは、食べ物の種類は多岐にわたっていたと思う。土器も失敗作があり、人間味を感じる。勾玉は綺麗だが、石器の方が庶民的な感じがする。今でも、直ぐに使えそうな石臼もある。
 外に出て、カマボコ倉庫風の中に入ると「Iの大型掘立建物跡」が保存されていた。柱の穴跡を保存しているようだが、薄暗く湿度が高いので早々に出る。外には、三内遺跡のシンボル的な「Jの大型掘立柱建物」が目の前にあった。近づいて見ると大木の柱と柱を支えるのに、支柱とその回りに蔦状のロープが巻かれていた。
K石器の展示 I掘立柱建物跡 J大型掘立柱建物
 「Dの大型竪穴住居」が見えて来たので、近づいて内部に入って見る。内部は意外と広くびっくりする。次に「H子供の墓」「E大人の墓」を見て回る。ついで、高床式の倉庫を復元した「C掘立柱建物」を見る。
D大型竪穴住居 内部 C掘立柱建物へ C掘立柱建物
 最後に、「A一般竪穴住居」を見て回るが、ここは出入り自由なので、小学生が探検気分で泥だらけになりながら楽しんでいた。私も入ってみようと思ったが、這わなければならないので止めた。掘立小屋の略図を見て、建ててみたくなった。
A一般竪穴住居347H 解説板 A一般竪穴住居339H 解説板
 復元された集落を振り返り、遺跡を後にする。
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復元された集落を振り返って見る

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 2008年10月16日(木) 晴れ