大田区の風景

 ポイント
 詳細は大田区HP歴史・史跡大田区ナビに掲載されている。

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 丁丑之役戰死並從軍者紀念碑・征清從軍旌功之碑<2015(H27)年5月31日> 周辺地図
 第一京浜(国道15号線)と産業道路(国道131号線)が合流する高架下(大森署)に、大小の石碑が鎮座し、その後ろに解説板が設置されている。小さい石碑には「丁丑之役戰死並從軍者紀念碑/元帥侯爵山縣有朋書」の碑文が刻まれている。この碑は明治10(1877)年の西南戦争で亡くなられた方々の碑のようだ。碑陰を見るには敷地に入らないと駄目なので止めた。
  大きい方の石碑の上部には「征清(三水を水に)從(人人の下は行人偏の下に)/軍旌功/之碑」とイラスト文字で刻まれている。
並んだ石碑 解説板 紀念碑
 碑文は明治27(1894)年〜28(1895)年の日清戦争のことが刻まれているようだ。
 碑陰には陣亡者(戦没者)の氏名や明治34年11月3日建立と刻まれている。
征清/軍旌功/之碑

明治征清之役以二十七年八月一日宣戰以明年四月十七日納和盖我帝國
中興之義戰也初朝鮮國有東學塔黨之亂勢甚猖○守臣不能平我興清國提攜
将平鎮之而清國失信背盟於是征清之役起○海内臣庶忠肝義膽海陸共進
旌旗所嚮無不風靡清廷震動終悔非割地償資而請和事始得成我荏原郡大
森町之人従此役者六十二人赤誠報國櫛風沐雨無不靖○者兵及其凱旋
不幸不還者七人嗚呼可惜○雖然勇士臨戰不期生還由義盡忠死生安○論
稜威之所耀生者固欣然死者亦可瞑也頃者志士胥議刻従軍者姓名于石將
以傳乎不朽来請余文余久ト居郡中則○此舉之○非可○也乃為之銘日
 箕邦淆亂 禹域喩 王師問罪 海軍併征 赳○武夫 靡系忠節
 爰勒貞a 長旌芳烈
      元帥陸軍大将正二位大勲位功二級侯爵山縣有朋篆額
      海軍中将正三位勲二等功三級男爵伊藤江儁吉船選并書

※○はPCに無い漢字
 旧羽田道<2015(H27)年5月31日> 周辺地図
石碑
 道に挟まれた三角の敷地の木の下に、石碑が見える。近くに、何か貼られていた看板はある。石碑を見ると羽田道はするがや通りに改名さえていた。碑陰を見ると昭和63年3月と刻まれている。道路には貝殻のイラストが描かれた石版が埋め込まれている。
 明治百年記念碑<2015(H27)年5月31日> 周辺地図
石碑
 貴舩神社に立ち寄ると、明治百年記念碑があった。石碑には「明治百年記念碑/玉垣復興並工作物整備/協力委員会」と刻まれていた。碑陰を見ると、協賛者の会社や名前が刻まれている。建立は昭和43年10月吉日と刻まれている。
 大東京市制記念碑<2015(H27)年5月31日> 周辺地図
石碑
 貴舩神社には、「東京市制記念碑」と刻まれた石碑もあった。碑陰をには、個人名が刻まれていた。昭和7年10月1日建立の文字もある。
 漁業納畢之碑<2015(H27)年5月31日> 周辺地図
石碑
 貴舩神社境内の石碑には「漁業納畢之碑」とイラスト文字で刻まれて、その下に碑文が刻まれている。碑文は擦れて読めないが見えるままの感じで読む。
漁業/納畢/之碑

平安●御代●●●委譲なる富岳を●●し遙に霞し●●●●●●●●●●畢を
私達の遠礁はが黎箔を形成し●●傳承されて●来し漁業に繋がり農耕に●●●●勤勉
●宝の●●●●●●営々せりし●土地の開拓に当たり徳川時代に入って天和に
貞享の頃っより大森に海苔製造が始められ正徳五年時の幕府に御膳海苔を上納
初めて初めて海苔場が確定し本格的海苔製造の華が開いた
明治初年有栖川宮大総督の御用金仰付に対し全大森村漁民と共に当時としては
破格の金五千両を献上し明治維新の大業を翼賛した美挙により新たに海苔場弐
万参千五百坪を免許され官軍場の名をもって今日に及んでいる かくして漁業は
は歳を追うて盛となり とりわけ海苔製造業は 本場海苔として日本国中に大森の
名をからしめた近時 急速に工業化した 大東京都の為に 首都●建設の一
●として内湾●場を●たて速道路第一号線建設の議起り当局に漁業者●●●
義多くの交渉経緯を経て 昭和三十七年十二月三日に漁場全面放棄の歴史的譲歩
終った 茲に 私達は漁業由●の略史を叙●●漁業者の●●名●●千年に及ぶ
私達の傳統を後世に傳える共に●●子孫の●●●●●●加護あらん事を●願●●
縁の●●●●貴舩神社の聖地に記念碑を建立す
   昭和三十九年五月吉日
            浜●●●●●●連  合    會
                   宮司  ●原俊夫 ●●撰
※●は擦れて読めない文字
 池上道道標:大森中二丁目7番19号 大林寺<2015(H27)年5月31日> 周辺地図
解説板 石碑
 大林寺の門前に「南無妙法蓮華経池上道」の石碑と解説板がある。石碑の四面に文字が刻まれている。
 区内最古の石鳥居:北糀谷一丁目22番10号<2015(H27)年5月31日> 周辺地図
 子安神社の境内の一角には柵で囲まれた鳥居があるが、子安神社の明神鳥居とは一寸違う中山鳥居だった。傍には、解説板も立っている。解説板を見て、明神鳥居だが貫の左右が欠けていて柱を貫いていない状態だと分かる。 神額には「八幡神社」の文字が刻まれている。柱には、「大願全下袋村/地頭小泉藤三郎包教武運長久/安永三(1774)年八月」と刻まれている。
子安神社 鳥居 解説板 神額
 記念碑<2015(H27)年5月31日> 周辺地図
記念碑
 廃寺円竜寺墓地(小泉次太夫一族の墓)を探すが、見当たらないので帰ろうと思ったら、気球製作所の敷地に記念碑が建立されていた。会社が休みだったので、敷地内に入れず、門から覗くが、碑文は良く見えなかった。山田猪三郎氏は文久三(1864)年に生まれた発明者で、会社の創設者でもあるようだ。
記念碑

山田猪三郎君碑
君●帝国航空界ノ先覺者タリ 文久三年和歌山市●●●●
町●●●●天●發明●才ニ當●風ニ航空機ノ研究●●●
明治三十三年初メテ繋留氣球ヲ造リ日本式氣球ト名●●●
露戦役ノ際我軍之ヲ用ヒテ旅順要塞を偵察シ多大ナ功績●
●●●●●朝廷功ヲ送リ薫六等單光旭日章ヲ賜フ●●●●
十三年大航空船ヲ造リ●那第一次革命號ニ用ヒテ●●●●
シ世界ノ認メル所トナリ 惜哉天壽ヲ假サス大正二年●
行年五十一歳ヲ以テ逝去●●●フニ帝国航空ノ業今日●
魂ヲ致セル記念君●率先●功●負フ所特ニ多シ●●●●
有志●謀●●テ建テルニ其功績ヲ後世ニ●●●●
●●●碑●●●●八●日
●●●●鎌田榮吉撰 薫三等二富●●●●
 伊藤博文公墓所<2015(H27)年5月20日> 周辺地図
 一見すると、個人の豪邸のようにも見えるが、門柱には灯篭が、鉄の扉には上り藤の紋が付いていて、玄関前には「大勲位伊藤博文公墓所」と刻まれた石碑が鎮座している。門からは中を窺うことが出来ないので、隣接する公園に移動すると案内板があった。公園の界は石塀ではなかったので、蚊に刺されながら生垣越しに覗く。前に鳥居を構えた円墳墓が大小見える。
閉ざされた門 石碑 公園傍の案内 墓所
 小さい方には「公爵伊藤博文室梅子墓」ときざまれた石柱が添えられている。伊藤博文の墓を見ようと、移動すると「勤施四方」「立憲政友會」と刻まれた灯篭や銅像がある。解説板もあるが、読むことが出来なかった。ようやく、伊藤博文の墓を見ることが出来た。
奥さんの墓 灯篭 銅像 伊藤博文の墓
 大師橋〜六郷橋<2010(H22)年5月25日>

 アクセス
 東京都道・神奈川県道6号東京大師横浜線(産業道路)を辿り、多摩川に架かる大師橋の袂から多摩川左岸の堤防沿いを西進する。
 国土地理院地図 周辺地図
 大師橋を渡り多摩川左岸沿いのサイクリングロードに入ると、大きな看板が立っていた。良く見るとたまリバー50キロ案内図があり、サイクリングロードが羽村まで53km続いているという。今日はそのほんの一部、六郷橋まで2.9kmを辿ることにする。サイクリングロードからは直ぐに、川崎側の対岸に水門が見えてくる。今度は、目の前に昭和六年三月に竣工されたという六郷水門が異彩を放って現れる。
大師橋 たまリバー案内 川崎側の水門 六郷水門
 六郷橋から多摩川を離れ六郷神社に向かう。六郷神社の鳥居前には石造りの太鼓橋が鎮座している。由緒書はあるが、擦れていて落書きの方が良く見える。境内に入って行くと左手に石碑群があり、忠魂費、御嶽講社の石碑が並んでいる。
六郷神社 太鼓橋 忠魂碑 御嶽講社
 六郷講社の石碑や六郷橋の親柱も目に入る。本殿も立派なので、拝殿の前に行ってみる。
六郷講社 六郷橋の親柱 本殿 拝殿
 西側の鳥居前には東海道跡の石碑が建っていた。次に、觀乘寺に向かうが、道路から少し入った所に門柱があり觀乘寺と分かる。本殿は前庭の植木が邪魔で本殿をすっきり見ることが出来ないので、奥へと進本殿を見る。今度は、六郷橋に引き返し北野天神を探すと、多摩川の土手にあった。早速、北野天神の鳥居をくぐり境内に入る。
東海道跡 觀乘寺 本殿 北野天神
 境内の中に入り、左手に天神様の細道、學成就塚、止め塚等を見ながら本殿へと辿る。
天神様の細道 學成就塚 止め塚 本殿
 本殿から引き返しながらが、左側に並ぶ、千年石・万年石、河原橋と彫られた石を見ながら鳥居へ急ぐ。しかし、天神様の細道が気になり、支柱を見ると「通りゃんせ通りゃんせ」と書かれている。ここが童謡に歌われた細道かと感動する。相棒も天神には興味もないので、鳥居の前で待っていたが、通りゃんせの歌の細道だと分かると入って来て細道を辿っていた。細道には平癒塚も立っていた。
千年石・万年石 河原橋 平癒塚 細道
 最後に落馬止め天神、日本橋まで四里半の道標を見て北野天神を後にする。帰り道六郷橋の親柱のある公園がある。公園を巻くようにして登って行くと、現在の親柱がある。六郷橋を渡り、多摩川右岸から大師方向に帰ろうと思ったら、工事中だった。水門を見て帰ろうと接近を試みるが、途中からは道が無いようなので、仕方が無く遠くから見る。
落馬止め天神 六郷橋の親柱 現在の親柱 遠くから

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 二人の散歩路記録
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