納沙布岬 =太平洋シーサイドライン終点=
 四島のかけ橋 希望の道 末次先生顕彰碑 橋本徳壽歌碑 歌碑 きぼうの鐘 決議文 四島がかえる日平和の日 寛政の蜂起和人殉難墓碑 島を還せの碑 島と距離 返せ全千島樺太・北の防人の標柱 呼び返そう北方領土の標柱 納沙布岬の標柱 納沙布岬(根室十景) 魯西亜船エカテリーナ號到来の地の標柱 奪還日本の皇土国土北方領土の看板 北方領土魂の碑 北方領土志の碑 北方領土返還祈願碑 納沙布灯台 高崎達之助先生顕彰碑 鎮魂碑 不明の標柱 北方領土奪還の碑

 ポイント
 今だ平和条約が締結されていない近くて遠い国ロシアに占領されたままの北方領土が間近に感じられる。
 国土地理院の地形図  周辺地図
=写真をクリックすると大きなサイズになります=
 四島のかけ橋 <2012.8.28>
 駐車場に辿り着くと、アーチ型の構築物が目に飛び込んで来る。早速、その大きさと形に誘われて近づいて見ると、四島のかけ橋だった。アーチの中にはトーチがあり火が燃え続けている。早速、記念写真を撮す。アーチの傍には石碑には歯舞、色丹、国後、択捉の4島を形どったようだ。礎石のプレートを見ると、昭和56年9月27日に完成したと刻まれていた。海側には祈りの火と刻まれた募金箱が設置されていた。少ないながら、コインを入れる。
四島のかけ橋 石碑 プレート 募金箱
 希望の道 <2012.8.28>
プレート 石畳
 全国各地から寄せられた石を配している。石の中には文字が刻まれているものある。
 プレートには島の還る日を祈っている旨が書かれていた。
 末次先生顕彰碑 <2012.8.28>
 
 平成13年9月27日建立された石碑で、碑文には「ひたむきに/生きれば/道はひらける/末次一郎」と刻まれている。
 橋本徳壽歌碑 <2012.8.28> 国土地理院の地形図  周辺地図
歌碑 副碑 碑陰
 歌碑には「山三山氷海をぬきてなほしろし/ひとつの島の山とこそきけ/徳壽」と刻まれていた。
 歌碑 <2012.8.28>
 
歌碑
 碑文は「一億の/切なる願ひ/島かえれ//この間近なる/岬に叫ぶ」と刻まれていた。坂田さんは元島民なのだろうか。思わず、島返れと読んでしまう。
 きぼうの鐘 <2012.8.28>
プレート
 プレートの文章を見て、海霧で見えない北方四島に向かって鐘をならす。
 決議文 <2012.8.28>
 
決議文 四島のかけ橋を
 碑文は掠れてよく読めないが、「30次北方領土返還運動現地大会決議文/・・・・/1999年7月24日/日本青年会議所」の文字が読み取れた。
 四島がかえる日平和の日 <2012.8.28>
 海側には金属プレートで島までの距離、山の高さ、島の大きさを解説していた。晴れていれば比較できたのに残念だった。
 寛政の蜂起和人殉難墓碑 <2012.8.28>
解説看板
 解説看板の看板があり、解説文を読むと、隣の石碑の解説だった。
 石碑を見ると、梵字の下に「横死七十一人の墓」と刻まれていて、古い墓石だと気が付く。
 碑横には擦れた文字で「文化九年歳在壬申四月建」と刻まれていた。
 碑陰は苔が生えていて更に読み難く、読み間違いや不明な所があるだろう。
 丁度、200年前の墓碑で、海の中から出て来たというから仕方がないと思う。
寛政元年己酉●五月●凶●●
蝦夷結黨戝事起手不●士●
過害者総七十一人也姓名記録
顕在官舎于慈合葬建石
解説文 石碑 碑横 碑陰
 島を還せの碑 <2012.8.28>
 
石碑
 シンプルな石碑で「島を還せ」と刻まれている。昭和45年5月20日に日本健青会が建立した石碑だ。
 
 島と距離 <2012.8.28>
 緑色の北海道の一角に茶色に塗られた根室から、根室の一部である歯舞群島、青色の国後島、緑色の色丹島、択捉島を踏んで中に入る。
北海道から 羅臼岳95km 泊山57km
 『知床「羅臼岳」まで約95km』と表示されたサークルがある。これを基本に考えると島々の近いことが良くわかる。
 『国後島「泊山」まで約57km』は本当に間近に思える。残念ながら海霧で何も見えない。
 『国後島「羅臼山」まで約65km』、『国後島「爺々岳」まで約113km』、『水晶島まで7.0km』、緯度経度表示と続く。
羅臼山65km 爺々岳113km 水晶島7.0km 緯度経度
 「返せ北方領土納沙布岬」の標柱で記念写真を撮し、『貝殻島灯台まで3.7km』、、『勇留島まで16.6km』、、『秋勇留島まで13.7km』と回る。晴れていても、択捉島は遠くて見えないのか、サークルはないようだ。
標柱(大×) 貝殻島灯台3.7km 勇留島16.6km 秋勇留島13.7km
 返せ全千島樺太・北の防人の標柱 <2012.8.28>
 
標柱 北方館望郷の家
 返せ全千島樺太・北の防人の標柱も建っていた。敷地の外側に北方館望郷の家が見える。
 
 呼び返そう北方領土の標柱 <2012.8.28> 
標柱と国旗 納沙布灯台を 岩を
 ここからは、海岸の岩や納沙布岬がよく見える。
 納沙布岬の標柱 <2012.8.28> 
標柱 標柱の裏
 舗装から砂利に変わると「本土最東端納沙布岬」の標柱が建っている。昭和60年12月に根室市が建てたようだ。
 納沙布岬(根室十景) <2012.8.28>
看板
 折角の看板だったが、海霧で展望がない。
 魯西亜船エカテリーナ號到来の地の標柱 <2012.8.28>
標柱
 何が書かれているのか分からないが、良く見ると「魯西亜船エカテリーナ號到来の地」と読み取れる。
 奪還日本の皇土国土北方領土の看板 <2012.8.28>
看板
 宮城県の有志が建てた看板のようだ。
 北方領土魂の碑 <2012.8.28>
 碑文には「北方領土/祖国復帰は/日本国民の/悲願」と刻まれている。
 北方領土志の碑 <2012.8.28>
 日の丸がなびく、石碑があり、碑文には「近くして遠く/在りし故郷の/誰が渡りしと/未来に夢たくし/志・・」と刻まれている。 碑横には「皇紀二千六百六拾五年八月九日建立」と刻まれている。平成17(2005)年に建立されたようだ。
 北方領土返還祈願碑 <2012.8.28>
 北方領土返還祈願碑も建立されている。
 納沙布岬灯台 <2012.8.28>
灯台を
 納沙布岬灯台は少し離れているが、岬の先端に建っている。灯台の左側には、「この地点は海抜11.9mです。」と張り紙をしていた。
 納沙布岬灯台/北海道最初の灯台」と書かれた標柱が建っていた。右側には納沙布岬灯台の解説板があり、本土で一番最東端で、一番早く朝日が昇る日出ずる国と記されていた。
 
灯台 海抜11.9m 最初の灯台 解説板
 
 高崎達之助先生顕彰碑 <2012.8.28>
石碑
 顕彰碑は逆光でよく見えなかったが水産業に功績のあった人らしい。 
 鎮魂碑 <2012.8.28>
 碑文には「鎮魂」、碑陰には「返せ北方領土/富山歩兵第三十五朕隊第二大隊基幹/北方派遣軍千島國後島守備松野部隊」と刻まれていた。碑横を見ると「千島國後島守備松野部隊並びに國後島在島/関係物故者のご冥福と北方領土の祖國復歸を/祈念して建立/昭和五十五年七月吉日/松野部隊/会長松野直司」と刻まれていた。
石碑 碑文 碑陰
 終戦後も、9月5日まで侵略に立ち向かった方々だったのではと思うと自然と頭が下がる。
 不明の標柱 <2012.8.28> 
不明の標柱
 がけの草わらに3本の標柱が立っているが、木製なので何が書かれているか判読できずに朽ちかけていた。
 北方領土奪還の碑 <2012.8.28>
かえるに囲まれ
 かえるに囲まれた石碑があり、「祈願/北方領土奪還」と刻まれている。昭和59年11月15日に建立されたようだ。
 =署名考=
 北方館望郷の家の玄関先には、北方領土返還の署名があり、愛棒と二人で署名する。

散歩路もくじ7へ   次岩保木水門へ   北の探歩訪へ

 二人の散歩路記録
 2012.8.28