生麦事件の碑(標高1.5m)
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 アクセス
 旧東海道(西から東の一方通行)を入り、麒麟ビール工場の前を通り過ぎ、再び、第一京浜国道(国道15号線)に出る。直ぐ左のバス停の所に「生麦事件の碑」が立っていた。
 国土地理院の地形図 周辺地図
案内図
 駐車場所が無いが、せっかく来たので、娘に路駐してもらい、私一人だけが見に行く。碑文は古代文字のような感じで彫られていて、さっぱり分からない。右に立っていた、史跡の解説板を見て、漢文で書かれていることが分かる程度だった。
 帰りがけ、案内図を見ると、個人の家に資料館があるようだが、また、駐車場所がないと厄介なので、帰ることにする。麒麟ビールと因縁が浅からぬ中のようにも思えるので、麒麟ビールの駐車場を使わせてもらえるとありがたいと思いながら帰る。
西側から近づく
正面から見る
石碑を見る
東側へ
 横浜市地域史跡
 なまむぎじけんのひ
 生麦事件の碑

 昭和六十三年十一月一日登録
 朝廷は幕府に攘夷断行を求め、江戸に赴く大原勅使の護衛として
薩摩の島津久光が同行し、その帰途、文久二年八月二十一日(西暦
一八六二年九月十四日)午後二時、行列を横切ろうとしたイギリス
人一行を生麦で殺傷しました。この事件を土地に因んで生麦事件と
いい、薩英戦争の契機となりました。
 明治十六年、鶴見の人、黒川荘三が中村敬宇の選文を得てイギリ
ス商人リチャドソン落命の地に、遭難の碑を自費で建立したもの
です。

 (碑文) 文久二年壬戌八月二十一日英国人力査遜
       殞命于此処乃鶴見人黒川荘三所有之地也
       荘三乞余誌其事因為之歌々日
   蹟  君流血号此海壖我邦変進亦其源強藩起号
       王室振耳目新号唱民権擾々生死聴知聞萬
   菖  国有史君名傳我今作歌勅貞珉君其含笑干
       九原
      明治十六年十二月  敬宇中村正直 撰
      (裏)彫刻師 飯島吉六
  NAMAMUGI’
   INCIDENT
 Among the incidents which saw foreigners being slain in the late
(the last half of the19th century), one which resulted in a tense in-
ternational controversy was the so-called"Namamugi''Incident In
August 1862 when Samurai of the Shimazu Clan murderd an En-
glishman named Richardson in Namamugi Village. On the spot
where the Englishman was attacked and killed, Shozo Kuro-
kawa of Tsurumi, Yokohama in1883,erected a monument, entru-
sting the inscription to Keiu Nakamura. By this means,the
historical site this day.

          平成三年三月  横浜教育委員会

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 二人の散歩路記録
 2008.9.25