中山峠石碑群
    北門開拓現如上人之像 旧本願寺街道碑 アスパラガス栽培発祥之地碑

 アクセス
 中山国道(国道230号線)の中山峠にある道の駅「望羊中山」の下りの出口(高原ホテル入口)を目指す。
 周辺地図
=写真をクリックすると大きなサイズになります=
 階段下から見上げると、朝日が逆光で眩しくて良く見えない。逆光に向って銅像の前に立つと、台座に銅版で造られた頌徳文が嵌め込まれていた。銅像の横には由来文が彫られた石碑があるが、逆光で見難い。銅像は昭和四十二年十月八日に建てられ、2000年10月8日に修復されたようだ。銅像は少し離れたところに「旧本願寺街道」と掘られた石碑がある。
 改めて、由来文を読むと、若いお坊さんの志の高さに感動を覚える。裏を見ると昭和五十四年七月八日建立とあった。
現如上人銅像の由来

 北海道に於いては道南の一部を除いては昔か
ら道路というものは全く無かった 幕末になっ
て幕府は国防上の見地から 漁業関係者に命じ
て海岸の難所にだけ道路を造らしめた
 明治元年(一八六八)新政府は 北海道をは早
急に開発するという基本方針を決定した これ
は北方からの外国が侵入する危険を憂慮した国民
多数の与論を反映したものである さて北海道
を開発するについては 道央のサッポロに中央
官庁を設置すべきであるが 内陸には道路が無
い そこでサッポロへの新道切開きが北海道開
発第一の急務となった しかし新政府には収入
が乏しく これを実行するための財源が無い
新政府は本願寺に懇請して来た 宗祖親鸞聖
人は「世のなか安穏なれ 仏法ひろまれとおぼ
しめすべし」と申された その精神を継承する
東本願寺は世界の平和と仏法弘通のため 新政
府の懇請を承諾し「新道切開 農民移植 教化
普及」の三要素を柱として 北海道開発事業に
着手した
 山岳重畳する内陸に新道を切開くことは難事
であるが 工事完成に要する膨大な資金を短期
間に集めることは一層の難事である 東本願寺
は十九才の若い現如新門生を総責任者とし 明
治三年二月京都本山出発より一行が通過する東
海 東山 北陸 奥羽の本願寺門徒に寄付を
依頼した そして京都より引率した僧俗一百数
十名の外 仙台支藩の武士や多数の人々の協力
を得て 明治四年七月新道完成 直ちに官庁が
札幌に開設され それを中核として北海道の開
発は急速に進められた
 新道は太平洋の有珠から中山峠を経て札幌
に至るもので 札幌と凾館を結ぶ採炭距離で
ある のち地方費道に編入され 更に国道に昇
格 多額の国費を以って大規模に改修され 現
在年間数百萬人に利用されている
 昭和四十四年(一九六九)現如上人の渡道開
教百年に当たり 上人を始めこの工事にたずさわ
った多くの人達の労苦に感謝し その功績を顕
彰せんがために 真宗大谷派北海道教区は僧俗
の浄財を以って因縁深き中山峠に この銅像と
レリーフとを建設した次第である
 なお銅像建設工事並びに護持については地元
喜茂別町の支援を蒙ること多大である 記して
謝意を表する
現如上人之像 頌徳文
由来文 街道碑
 札幌よりに、逆光で真っ黒な石碑があり、近づいてみたら「アスパラガス栽培発祥之地」の石碑だった。少し掠れかけた碑文を読み帰る。帰りがけ、足元にある水準点を見て、顔を上げると羊蹄山が見えていた。
アスパラガス碑 碑文 水準点 羊蹄山が
 喜茂別町のアスパラガス栽培は昭和4年より始めれれ
わが国アスパラガス栽培の発祥の地である
 自然的条件がアスパラガス栽培に適し、品質良く、高品
は広く海外にまで輸出されている
 今回、 北海道知事よりアスパラガス栽培発祥地としての
功績を称えられたので、これを記念し、ここにアスパラガ
 ス栽培発祥碑を建立せり
  昭和40年7月10日
 建立発起人
 喜茂別町長 菊地久治      クレードル興農株式会社
                           代表取締役社長 丸子 ●
 喜茂別町農業協同組合      喜茂別町アスパラガス耕作組合
      組合長理事 鷹羽武光         組合長 及川 ●雄 

散歩路もくじ3へ   次喜茂別町名所旧跡へ  北の探歩訪へ

 散歩路記録
 2010.9.14