喜茂別町名所旧跡 |
中里ビューポイントパーキング 周辺地図 尻別国道(276号線)の中里と双葉の道路沿いにある。 |
尻別岳と羊蹄山 <2012.3.29 2011.5.11 2011.5.6 2011.2.3 2010.9.14 > |
広い舗装された駐車場があり、木製のデッキも完備されている。尻別岳と羊蹄山が同じ大きさに見えるのがセールスポイントのようだが、段々、羊蹄山が木立に隠れるようになって来た。 |
2013.9.19 | '12.3.29 | '12.3.29道路沿い |
'10.9.14 | '11.2.3 | '11.5.11 | '11.5.6 |
ホロホロ山と徳舜瞥山 <2011.2.3 2010.9.14 > |
反対側には、ホロホロ山と徳舜瞥山が双頭の山として、牧草地の奥に見えていた。 |
'10.9.14 | '11.5.11 |
旧日鉄鉱業喜茂別鉱山<2007.3.10> 周辺地図 |
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喜茂別町栄の「ドライブイン栄」から左折して喜茂別川に架かる「福島橋」を渡る。町道日鉄線に入ると、直ぐに、立入禁止の看板の架かる日鉄鉱業の社有地があり石垣が見える。 |
記念碑<2010.9.14> 周辺地図 |
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旧双葉小学校の前に、石碑を発見する。近づいて見たら、開拓50年の記念碑と白花豆植栽発祥之地碑だった。 開拓記念碑は昭和30年10月30日に建立されたと記されているので、現在105年になる勘定だ。 白花豆は碑の裏に、明治44年4月に山下嘉吉さん45歳の時に山梨県甲府市落合村から入植して、大正13年に白花豆の純化を完成させたと彫られている。山下さんの関係者が平成9年10月に建立したようだ。 |
喜茂別駅跡C |
未踏 |
開村記念碑D <2015.57> 周辺地図 |
喜茂別神社の境内で、一番見晴らしが良さそうな所に石碑が鎮座している。碑文には「開村記念碑/後志支丁廳長 山田三義題」と刻まれている。その下に碑文が続いて刻まれているが、擦れて読み難い。 |
羊蹄山をバックに | 碑文 | 解説板 | 石碑の横から |
大正六年四月膽振國真狩村 ●制分村同時ニ二級町村制 施行大正九年六月同國コ舜 瞥村字尾路園ノ一部合併昭 和十三年八月經濟更生特別 助成町村ニ指定同年九月全 村字名改稱証ニ地番整理ヲ 實施セラレ永久記念碑トシテ 之レヲ建立 昭和十三年九月 喜茂別村長柳田元吉 石工 ●● |
7.三宅伊勢松頌徳碑 |
未踏 |
8.南部団体開拓の碑<2011.5.11> 周辺地図 |
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鈴川小学校の東に、石碑を発見する。近づいて見たら、南部団体開拓の碑だった。 開拓年は明治35年4月、80周年記念で改修したのが昭和56年11月と言うことのようだ。 |
10.馬頭観音碑 |
喜茂別神社の奥に喜茂別で最も古い馬頭観音があるようだが、忘れてしまう。 |
交通事故遭難供養碑<2015.57> 国土地理院地図 |
喜茂別神社の道路の入口近くに、胆振線跡がありその上の崖に道が延びている。途中、喜茂別町の二級基準点5がある。それを過ぎると、尻別岳をバックに石碑が鎮座していた。 |
道が延びて | 崖 | 二級基準点 | 尻別岳が |
喜角度を変えると、羊蹄山が見えていた。肝心の石碑には「交通事故遭難供養碑」と刻まれてはいるが、碑陰にも横にも文字は刻まれていない。改めて、石碑の建っている場所を見ると、崖の上で下の道路を行き交う自動車が見える。この道は、まだ、奥へと延びているようだが、ここで引き返す。 |
羊蹄山が | 石碑 | 崖 | 奥に延びる道 |
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