モイレ山(標高65.4m)
 余市水産博物館 違星北斗の句碑 八幡山環状列石 道路元標? 和田徹三詩碑 鰊御殿望楼のレプリカ 野口雨情の句碑 石川啄木歌碑 忘れられた石碑 山岸根禮三翁顕彰碑 明治神社 余市町殉国戦没者慰霊碑 北見洵吉鎮魂歌碑 茂入山城址 聖論の碑 

 アクセス
 余市市街から道道228号線を走り、雷電国道229号線に突き当たる手前からモイレ山に右折する。
 国土地理院の地形図 周辺地図
=写真をクリックすると大きなサイズになります=
 余市水産博物館<2010.11.21>
 モイレ城郭と言うホテルがあったと思いながら、水産博物館への道を辿ると、無常にも空き地が広がっているだけだった。
モイレ山 博物館 尻場山
 モイレ山の山頂から尻場山を見ようと思ったが藪なので止める。
 仕方が無く、博物館の前を素通りして、西側の崖から尻場山を見ようと、藪に入る。
 違星北斗の句碑<2010.11.21>
顕彰碑
 帰りがけ、博物館の前庭に鎮座している石碑を見る。「春浅き 鰊の浦や 雪五尺」と縦に書かれているのでは無く、横なぶりに書かれているので吹雪のような荒々しさが伝わってくる。
 実は、現地では、縦に読んでいたので、何としても理解できなかったので、自宅に帰ってから調べ、ようやく理解ができました。素人には、解説板が欲しいところだった。
 違星北斗(いぼしほくと)はアイヌ民族の歌人で、1902(明治35)年〜1929(昭和4)年に活躍したようだ。
 八幡山環状列石<2010.11.21>
顕彰碑
 八幡山環状列石の看板があるが、余市の何処に八幡山があったのか分からない。八幡山の名前を、初めて目にしたばかりか、環状列石のレプリカだと思ったのが復元だと分かり、二度、びっくりする。
 道路元標?<2010.11.21>
標石 裏側
 標石には「北海道廳」「明治四十年」「BM」の文字が彫られている。道路元標のような格好だが不明だ。
 和田徹三詩碑<2010.11.21>
 碑文が彫られた黒光りのする石面には光が反射して凄く見難い。碑陰には履歴が刻まれているが、この面も掠れていて凄く見難い。
詩碑 履歴
和田徹三詩碑
     海

      −古里の海に寄りて−
このどす黒い冬の海のどこかに
夏の色がかくれているはずがない。
さまざまなものを ただ映しているだけで
海にじぶんの色など あろうはずがない。
人はいつからか己にあわせて心を切りとってきた。
しかし 海には「私」というものがない。
それは ただはてしなく広い。
人の心の原型のように・・・
                ●●書●
 鰊御殿望楼のレプリカ<2010.11.21>
望楼 解説板
 鰊御殿望楼のレプリカが、いきなり地面から建てられている。
 魚場の建物の空窓が、望楼に変化して行く経過が書かれた解説板も添えられていた。
 野口雨情の句碑<2010.11.21>
句碑 碑陰
 句碑には「海は紫 空青々と 朝日かがや く 茂入山 雨情」と彫られているが、達筆で読むのに苦労する。
 碑陰を見ると、野口雨情の自筆 昭和四十三年●月建立 大正十五年六月来町之作」となっている。
 石川啄木歌碑<2010.11.21>
草創之地碑
 「啄木 神無月 にびいろ雲の下ひくく 白額浮ぶ後志の山」と素人でも分り易い字体で刻まれている。
 だが、この歌は啄木が詠んだのではなく、小樽新聞に新人の名で投稿されたものらしい。
 忘れられた石碑<2010.11.21>
碑裏 石碑
 モイレ山の藪の前に立ち、踏み跡が無いか調べていたら、土管やドラム缶と一緒になった石碑が見えた。
 近づいて見たら、碑文はすっかり掠れて読めない。末尾に「原六典謹書」の文字がなんとか読めた。この石碑は国土地理院の地図にも載っているものだが、なんだったのだろう。
 山岸根禮三翁顕彰碑<2010.11.21>
顕彰碑 碑陰
 忘れられた石碑から明治神社へと下りて行くと、山岸根禮三翁顕彰碑が鎮座している。
 碑陰を見ると碑文が刻まれた銅板が埋め込まれていた。碑文は見えるようで見えないが、末尾には昭和26年11月3日の文字が読み取れた。 
 明治神社<2010.11.21>
明治神社
 明治神社に下りると、冬支度がされていて、閑散としている。拝殿に近づいて、上を見上げると「文武山」と書かれた額が飾られていた。
 余市町殉国戦没者慰霊碑<2010.11.21>
慰霊碑
 神社脇の崩れかけた石段を登ると、余市町殉国戦没者慰霊碑が鎮座していた。慰霊碑には、びっしりと亡くなられた方々の名前が刻まれている。
 台座には開道百年記念とある。
 碑陰には昭和43年11月3日建立と刻まれていた。
 北見洵吉鎮魂歌碑<2010.11.21>
忠魂碑
   鎮 魂 歌

雪のあした いさぎよく
月の夕べ 心に期して
旗の波 いで征きし ますらをの伴

大陸の 荒野の土に
わだつみの 島々の砂に
みくにの 不滅を信じ 戦ひ逝きぬ
み霊たち 来なく帰る ふるさとの丘
とこしへに 宮居の奥
鎮まりて 坐す 靖国の神

  昭和四十三年五月
         謹詠 北見洵吉
 慰霊碑の横に、ひっそりと横を向いた石碑がある。碑文を見ると鎮魂歌が刻まれていた。日清、日露戦争から大東亜戦争に渡って、幾多の人々が涙を流して亡くなったことかと思うと、今の平和が愛しくなる。安らかにお眠り下さいとしか思い浮かばない。
 碑陰には昭和47年11月吉日と刻まれていた。
 茂入山城址<2010.11.21>
茂入山城址 碑陰
 神社の藪の中には、「北海道文化財百選 茂入山城址」の石碑が見える。近づいて碑陰を見たら、「昭和31年10月北海タイムス之建」の文字が刻まれていた。 
 聖論の碑<2010.11.21>
聖論の碑 碑文
 崩れかけた石段の最上部には、菊の御紋章が嵌めこまれ聖論と彫られた石碑がある。碑文には「一軍人は」で始まる五箇条が彫られていた。
 荒れ果て、誰も訪れることはないだろう中に、菊の御紋章だけが黄金色に輝いていた。
 =モイレ山考=
 すっかり荒れてしまったモイレ山を目の当たりにして意気消沈する。大学のお別れ会はモイレ城郭だったのでなおさらだった。余市市街や余市湾を一望できる位置にあるモイレ山なので、山頂に展望台を作り、その上に望楼を移し、茂入山城址と合わせて散策路を整備してもらいたいと思う。

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 二人の散歩路記録
 2010.11.21