九州旅行   2001.4.10〜4.14
 この旅行は定年退職を目の前にした職員の慰安旅行に参加したときの記録です。
 1日目 宮崎神宮→平和台公園(平和の塔・はにわ園)
 新千歳空港で堅苦しい形どおりの結団式がある。主催者のあいさつが終わり、出発までロビーで一息つく。
 いきなり宮崎から旅行が始まるが、まず、最初に行くところは神武天皇を祭ってある宮崎神宮だった。観光旅行なので、主祭神が神倭磐余彦命(カムヤマトイワレヒコノミコト:神武天皇)であることも、由来とか神殿が神明造りということ等も興味が半減していて上の空だった。ひと通り、見ないと損だと言わんばかりに、神社の境内を見学して回る。なるほど、神殿の前には神武天皇の額が飾られている。正門を出て振り向くと菊紋の付いた暖簾が下がってもいた。
主催者の挨拶 新千歳空港で 宮崎神宮内 正門
 宮崎の巨樹百選に選ばれている「ラクウショウ:樹齢100年・幹周460cm・樹高24m」と看板に書かれている大きな木の前で記念写真を写す。
 今度は、少し離れたところにある「平和台公園」に行く。平和の塔は神道でお払いの時に使う御幣をイメージした石造りのタワーで、高台に聳え立っている。階段を上がり近づいてみると、タワーの四隅に4体の陶像(信楽焼、高さ6m)が配置されていた。まず、奇御魂(くしみたま:漁人)が目に飛び込んでくる。頭の上にあるので、親近感が無く、威圧的な配置になっている。時計回りに塔の周りを回ってみると、像と像の間に「紀元二千六百年」と彫られている。紀元二千六百年は昭和15年に当り、建設された年のようだ。なるほど、十五年戦争の最中なので、凄く古臭さを感じるはずだ。
ラクウショウの巨樹 平和台公園 平和の塔へ(↑大) 奇御魂:漁人(↑大)
 次に子供を抱いた幸御魂(さちみたま:農耕人)が配置されているが、見て楽しむには重すぎるので、傍に咲いていた桜を見ながら気を紛らせる。次に、和御魂(にぎみたま:工人)が配置され、次の像の間には「八紘一宇」という文字が彫られていた。最後に荒御魂(あらみたま:武人)を見上げる。それぞれの陶像の前にはかがり火台が配置されている。「八紘一宇」は神武紀に登場するというが、大東亜戦争の標語に使われてしまったので、違和感を感じる人が多いのではないか。「八紘一宇」を辞書を引けば「全世界を一つの家にすること」という。
幸御魂:農耕人(↑大) 和御魂:工人(↑大) 荒御魂:武人(↑大)
 平和の塔の北側に遊歩道が延びていたので辿ってみると、埴輪園に辿り着く。全国各地の埴輪のレプリカを配置していてメルヒェンチックだ。越ケ泊池とその奥にある新池を見ながら平和の塔に帰る。帰りがけ、重たいものを過去から引きずっている平和の塔を振り向くと「八紘一宇」の字が浮き出ていた。十五年戦争中に国内あるいは外国の戦地から集められた総数1789個といわれる石から怨念が消え、安らぎが宿ることを願うのみだ。帰りがけ、広場の中央で拍手して、平和の塔をピーンと反響させ後にする。
埴輪園 埴輪のレプリカ(↑大) 越ケ泊池と新池(↑大) 国内外からの石で(↑大)
 物凄い古臭いものを見た後なので、シーガイアのシェラトン・グランド・オーシャンホテルが近代的に見える。部屋の鍵を渡されて、部屋に入ってみると、大きな窓から日向灘と海岸線を走る一ツ葉道路が目に飛び込んできた。シーガイアのICも良く見える。
                     ←大
部屋はオーシャンビューで一ツ葉海岸・シーガイアICが見える
 通路の窓から下を覗くと、シーガイアの施設や幾何学模様の駐車場が綺麗だった。食事まで、時間があるので、ホテルのロビーや外を散策することにする。
窓から シーガイア(↑大) ホテルの駐車場(↑大) ホテルのロビー
 ホテルのロービーを散策したあと、外に出てみる。残念ながらシーガイアは定休日で見ることができないと言うが、それでも、海辺が近いためか新鮮な空気を吸いながら散歩を楽しめた。
 夕食は、各自それぞれ好きなところで食べることになっていたので、比較的空いているのではと思われる「宮崎牛」の料理を食べることにする。案の定、イセエビを食べた人が多かったようだ。肉は目の前で焼いてくれて、サイコロ状に切ってくれるので、食べやすい。普段、食べたことのない美味しい肉で愛棒も大満足だった。コックさんと記念写真を写して、食事を終える。部屋に帰りがけ、ロビーにあったグランドピアノの前でも記念写真を写す。
高層ホテル 宮崎牛の料理 ロビー グランドピアノの前で
 2日目 青島神社→鵜戸神宮→鹿児島へ
 青島へ弥生橋を渡って行くと、鬼の洗濯岩(奇型波触痕)と呼ばれている平行な岩に白い波が押し寄せていて綺麗だった。
 青島神社は海幸彦と山幸彦の神話でも有名な所だと言う。境内を見て歩くが、神社仏閣や神話にもあまり興味がないので、ただ付き合いで見て歩く。
 帰りがけ、「ピロー樹」の看板があり立ち止まる。改めて、辺りを見回すが椰子の木としか見えなかった。島の入口付近には立派な石碑が3基配置(青島神社・天然記念物)されていたので、その前で記念写真を写す。

看板の内容
 ビロー樹(国指定特別天然記念物 大正十年三月指定)
 一、全島を殆ど覆って繁茂し、その数約五千本である。
 二、最高樹齢は、約三百年と推定される。
 三、春開花し実は晩秋に熟して落ち翌春発芽する。
 四、ピロー樹の成因に次の二説がある。
 (イ)漂着帰化植物説
    南より北に流れる黒潮のためにフイリッピン等南方方面
    から漂着した種子又は生木が活着して漸次繁茂した
    という説(林学博士 本田ら・・・)
 (ロ)遺存説
    第三紀前日本に繁茂した高温に適する植物が気象、風土
    環境に恵まれて今日に残存したものであるという説
    (理学博士三好ら・・・)
 参考
 (イ)ビンロー((木賓)椰)ビロー(蒲葵)は異種である。
 (ロ)昔宮廷で使用された牛車の蒲葵庇車に用いるビローの葉を
    本島より宮中に献上されたと伝えられる。
 その他の植物
   島内の自生植物は、七四科二二六種、熱帯亜熱帯植物
   二七種に及ぶ。
   その主なものは、次の通りである。
 ◎くわずいも さといも科
      当地方では境内にだけ産し有毒植物である。
 ◎はまゆう(はまおもと) ひがんばな科
      夏季純白の花を開く本邦中部まで分布。宮崎の県花。
 ◎ひぎり くまつづら科
      初夏より初秋まで真紅の美花を開く島内の貴重植物。
 ◎しゃりんばい(はまもっこく) いばら科
      樹皮から網の染料を作る当地方が自生最北限の植物。
 ◎ふうとうかずら こしょう科
      春開花晩秋さんごのような実が多数垂れ美観を呈する。
 ◎たぶ くす科
      ビローの繁茂前の植物として今日残っており貴重なもの。
      青島神社内植物
         昭和五十九年調査
青島(↑大) 青島神社(↑大) ビロー樹の解説(↑大) 石碑の前で
 帰りの道をゆっくり歩いて行くと、道端の岩の上には大きなウミウシが波に揺られている。小樽のウミウシよりも数倍大きいので驚く。
 青島を後に南下を続け、鵜戸神宮に向かう。神門、桜門、千鳥橋、玉橋と進んで行くと、道は下って広場に出る。広場の突き当たりには階段が延びていて、洞窟の本殿に導かれる。本殿、おちち岩、おちち水を見学して外に出る。
ウミウシを見ながら(↑大) 本殿(↑大) 本殿(↑大) おちち岩
 洞窟から外に出て、海側に行くと、亀石と呼ばれている真ん中に水が溜まっている岩がある。観光客は盛んに「運玉」と呼ばれる粘土の素焼きの石を投げ込んでいた。運玉は5個1セットで売っていて、男は左手、女は右手で願い事を唱えながら亀石の背中をめがけて投げる。私は、以前来たときには願い事を唱える間もなく一発で入ったが、今回は、願い事が多く雑念に駆られ外れまくる。愛棒も同じ状態だったと思う。
 願い事を聞いてもらえなかった二人は、やれやれと思いながら、亀石を後にして、一度本殿を振り返る。桜門近くにあった「鵜戸神宮御由緒」と書かれた看板を見る。

 由緒書看板
 鵜戸神宮御由緒
       ひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと
 主祭神 日子波○武○○草葺不合尊
 当宮のご創建は、第十代崇神天皇の御代と伝えられ
その後第五十代桓武天皇の延暦元年には、天台宗の僧
光喜坊快久が、勅命によって当山初代別当となり、神殿
を再興し、同時に寺院を建立して、勅号を「鵜戸山大権
現吾平山仁王護国寺」と賜った。
 また宗派が真言宗に移ったこともあり、洞内本宮の外
本堂には六観音を安置し、一時は「西の高野」とうたわ
れ、両部神道の一大道場として、盛観を極めていた。
 そして明治維新とともに、権現号・寺院を廃し、後に
官幣大社鵜戸神宮にご昇格された。
 母岩の豊玉姫が御子の育児のため、両乳房をご神窟に
くっつけて行かれたと伝える「おちちいわ」は、いまも
なお絶え間なく玉のような岩清水を滴らせて、安産、
育児を願う人々の信仰の拠り所となっている。又、霊石
亀岩の背中に運玉を投げ見事にはいると願いが叶うと
いう伝えがある。
 このほか、念流・陰流の剣法発祥の地として、厄除・
漁業・航海の守護神としての信仰は○○篤く、今後とも
神秘な霊気によって人々の魂を高めて行くであろう。
   鵜戸神宮社務所 
○はパソコンには無い難しい漢字
洞窟から外に(↑大) 本殿を振り返る(↑大) 由緒書(↑大) 神門(↑大)
 宮崎から鹿児島へ暫し、フェリーの旅が始まる。
船着場 船の上 宮崎港 出航
 3日目 知覧 武家屋敷 熊本城
 真っ赤な瓶ブラシの様な花を見て、バスで知覧に向かう。車中から綺麗な形をした開聞岳が望めた。灯篭が並ぶ知覧の町並みを走って来いたバスは、「特攻平和会館」に着いた。会館の駐車場から通路を辿って行くと、直ぐに展示しているプロペラの戦闘機が目に入って来た。特攻平和会館に入ると、雰囲気が一変してしまう。案内人の説明を聞きながら、展示品を見て回る。遺書の内容には胸を締められるものばかりだ。何時しか、観光客のすすり泣きが聞こえ、案内人の目にも涙を見る。観光ムードは粉々に打ち砕かれ、戦争の愚かさ、悲惨さを痛感させられた。敗戦の日から、未だ、戦争は終わっていないことを実感する。
 「二度と会うことがない友との別れが続くんだと・・」・・飛行機不足で特攻出撃することなく敗戦を迎えた少年飛行兵だった亡兄の言葉が本当に理解できた気がした。館内は撮影禁止でもあり、文章で表現するには余りにもボキャブラリー不足なので、現地を訪ねて見て欲しい。
開聞岳(↑大) 戦闘機の展示(↑大) 特攻平和会館(↑大)
  江戸時代にタイムスリップしたような知覧の武家屋敷「佐多直忠氏邸庭園」を見学する。長閑な枯山水に身を任し、安らぎを得る。知覧をバスで離れて、途中の島津庭園で昼食となる。島津庭園からは桜島が良く見える。山腹から生えた様に姿を見せる千寿巌、燈篭の上の獅子、仙厳園(磯庭園)等を見ながら過ごす。
佐多直忠氏邸庭園 武家屋敷(↑大) 料金所 島津庭園から桜島(↑大)
 熊本城内を駆け足で回る。天守閣も駆け上がり見た振りをする。次に、水前寺公園(桃山式回遊庭園)を散策する。散策路は、富士山のミニチアを配し東海道五十三次を模したと言う。知覧ショックのためか、庭園の真髄を感じることもなく、疲れて惰性で回ってしまう。夕食にありつき、ビールを飲んでようやくほっとする。
熊本城(↑大) 水前寺公園(↑大) 富士山(↑大) 夕食
 鹿児島から船で長崎へ向かうので、朝一番でバス移動だった。鹿児島港からまた船旅が始まった。退屈な船旅も、雲仙普賢岳を見て目が覚めた。島原からまたバスで長崎へ移動する。長崎に着くと、ただのツアー観光客となり、旗振りのお姉さんの後を追う。
バスで船着場へ 鹿児島を離れる(↑大) 雲仙普賢岳(↑大) 坂道
 息が切れそうになるころ、有名な大浦天主堂が現れる。次に、隣のグラバー園に行くと、対岸の稲佐山や港が見えて長崎に来た気分に浸る。
坂道 大浦天主堂(↑大) 金毘羅山(↑大) (↑大)
 今日のメインはやはり、平和公園と原爆資料館の訪問だ。展示場に展示されている品々をみて唖然とする。映画ではその惨状を何回もみてはいるが、肌に触れると堪らない。やはり、人類史上で一番の大犯罪だと思った。子供も悲惨だったが、子供を亡くしたお母さんもショックだったと思う。機会があれば、広島も訪れて見たいと思う。全世界の指導者は必ず訪れて欲しいと願う。外に出て、公園の銅像や被害区域を解説した看板を改めて見る。これで、与えられた日程は全て終了した。
 ホテルに入って、何か悶々とした気分が残っていたので、稲佐山へ登ることにした。稲佐山への散策路からは対岸のグラバー園や長崎湾が一望できた。
平和公園(↑大) 被害区域図(↑大) グラバー園方向(↑大) 長崎湾(↑大)
 稲佐山観光ホテルに着いて、会食まで少し時間があったので登ってみる。ホテルから、直ぐ登れると思い、車道を登って行くと、立派な歩道がゴンドラの駅まで続いていた。途中から山道にそれると登山道らしき階段の道があるが、登山靴でなかったので、あきらめて、歩道に戻り登った。歩道のタイルに後3kmとの表示がでてきてびっくり、これでは時間がないと思い、早足で登る。しかし、後3kmとはゴンドラの駅までで、それからさらに石段が続いていた。
 これを登るにはさらに、15分はかかるので、堪らずゴンドラに飛び乗って山頂へ行く。山頂までは片道300円、往復500円だった。山頂には立派な三角点があり、立派な展望台もあった。展望台へは下かもゴンドラが行き交っていた。時間がないので、展望台には行かず、三角点で写真をとって、長崎市街を一望して直ぐ引き返し、また、ゴンドラへ乗って下山する。
 長崎の稲佐山は函館の函館山、小樽の天狗山、札幌の藻岩山的存在だと思う。こんな所に原爆を落とした人がいて、その被害に遭われた人々がいたなんて、とっても考えられないことだった。幼い犠牲者の写真を思い出すたびに、胸が痛くなる。
 今は、車で、散歩で、登山姿でと人々は思い思いに楽しんでいる。
稲佐山山頂(340.3m) 公園展望台横から(↑大) 長崎港(↑大) 長崎ロープウェイ(↑大)
 4日目
 桜の咲くホテル、原爆で一度は焼かれた稲佐山を見上げて、長崎を後にして、長崎空港へ向う。長崎空港で少し時間があったので、箕島大橋や島原の山々を見ながら過ごす。
さくら(↑大) 稲佐山(↑大) 箕島大橋(↑大) 島原の山々(↑大)
 人生っていろいろあるなとつくづく思う。
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