東京灣三座海堡屹爲都門鎖鑰以備海警明治十二
年置海岸防禦取調委員于參謀本部無幾經始於此
陸軍工兵少佐西田君以常任委員專從事設計施工
多出其方寸勞身焦思有軼大禹治水殊第三座位置
水深二十餘尋潮流亦急駛之處古夾無例人大危之
君百万辯釋遂致有今日非胸中有成竹者不能也其
功可謂偉矣君諱明則山口縣士有識度精數理十九
年更爲陸軍技師畢生在職會不寧處三十九年君年
八十不及見竣工而逝實五月念一日也葬于横須賀
聖徳寺塋域今茲三月同人胥謀建碑于衣笠公園以
傳不朽 皇族各賜資榮大矣余與君有諠爲作文君
遺命埋骨于三堡一矚之地蓋霊魂永欲護之也島虖
如君則鞠躬盡力死而後尚不己者非歟
大正十一年八月
元帥陸軍大将子爵上原勇作撰 |
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富津岬から東京湾の入口を守るように西の沖に第一海堡、第二海堡と続き、その南に第三海堡が、国土地理院の地図に載っている。まだあるのだろうかと思い、googleの地図で探して見たが無い。
変だと思い、国土交通省の東京湾航路事務所のHPを開いたら、完成(大正10年;1921)後、僅か2年で関東大震災(1923)で破壊され、航路障害になってしまったので平成12年度から平成19年度の7か年で撤去した旨が記されている。
この碑から、海は見えないのだが、昔は見えていたのだろう。碑文は大正11年建立だけあって、中々手強いパソコンにはあるが、ウエブで表現出来ない漢字も混ざっている。 |