衣笠山石碑群(120m)

 ポイント
 全線舗装道路で、登って直ぐに一つの石碑があり、次に、展望台後ろに3つの石碑がある。
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 アクセス
 横浜横須賀道路衣笠ICの北側を目指す。
 2万5千分1地形図名:横須賀(横須賀) 周辺地図
公園遊歩道
 西田明則君の碑<H22.10.11>
 公園の遊歩道上がって行くと、直ぐ左に石碑が見える。木が生い茂っているので、何の碑だろうかと近づいて行くと、個人名の碑で、その名前の主は、海の砲台(海堡)を建設した技師だと分かる。
石碑 第三海堡 西田明則君 碑文
東京灣三座海堡屹爲都門鎖鑰以備海警明治十二
年置海岸防禦取調委員于參謀本部無幾經始於此
陸軍工兵少佐西田君以常任委員專從事設計施工
多出其方寸勞身焦思有軼大禹治水殊第三座位置
水深二十餘尋潮流亦急駛之處古夾無例人大危之
君百万辯釋遂致有今日非胸中有成竹者不能也其
功可謂偉矣君諱明則山口縣士有識度精數理十九
年更爲陸軍技師畢生在職會不寧處三十九年君年
八十不及見竣工而逝實五月念一日也葬于横須賀
聖徳寺塋域今茲三月同人胥謀建碑于衣笠公園以
傳不朽 皇族各賜資榮大矣余與君有諠爲作文君
遺命埋骨于三堡一矚之地蓋霊魂永欲護之也島虖
如君則鞠躬盡力死而後尚不己者非歟
 大正十一年八月
       元帥陸軍大将子爵上原勇作撰
  富津岬から東京湾の入口を守るように西の沖に第一海堡、第二海堡と続き、その南に第三海堡が、国土地理院の2万5千分1地形図横須賀(横須賀)に載っている。まだあるのだろうかと思い、googleの地図で探して見たが無い。
 変だと思い、国土交通省の東京湾航路事務所のHPを開いたら、完成(大正10年;1921)後、僅か2年で関東大震災(1923)で破壊され、航路障害になってしまったので平成12年度から平成19年度の7か年で撤去した旨が記されている。
 この碑から、海は見えないのだが、昔は見えていたのだろう。碑文は大正11年建立だけあって、中々手強いパソコンにはあるが、ウエブで表現出来ない漢字も混ざっている。
 衣笠聖観音展望台と公園由緒書き<H22.10.11>
 遊歩道を奥へと辿って行くと、展望台があり、その真中に衣笠聖観音が鎮座している。登って見ると青い海に猿島が見えていた。下に下りると、衣笠山公園の由来書があった。その内容を見ると、日露戦争の戦没者の霊を慰めるために記念塔を建てたとあるが、見当たらない。更に、驚いたことに小樽にも居たことのある岡田嘉子のお父さんが横須賀に住んでいたなんてと驚く。
衣笠聖観音 観音堂 公園の由来
 樺太の国境を越えて社会帝国のソ連に亡命なんて、人生最大の過ちを犯してしまった女優を改めて哀れむ。
                                          猿島
 表功章徳の碑<H22.10.11>
 展望台の山側には、新旧の石碑があり、見て回るが、大正3年建立だけあって、中々手強いが、小川氏の功績を称えたものなのだろう。
表功章徳
從五位小川君碑
君諱茂周小川氏相模三浦郡浦賀町人嘉永元年為
里正至明治維新兼掌諸種公職十一年為郡長二十
八年叙勲六等授瑞寶章三十一年致仕三十五年叙
従五位是年十一年二十七年歿享年六十八葬先塋
君天資眞摯愿欸恪謹奉職會米艦來航乞互市能整
理紛糾會地租改正兵制革新能鞅掌劇務其他奨勵
教育改善風俗勸興産業凡公共事業莫不盡力而開
鑿坂路便運輸最有功平生容衆導人為之立身興家
者不尠今也墓木
食旡拱人不能爰其恩同志胥謀建碑
欲表章其功徳又以感興後進乞余銘銘曰
 浦賀之港 米艦始來 天下皆知 開化良媒
 君吏於此 曾理誼
万豕 教化維施 道路維開
 濟民利地 洵郡宰魁 爰樹豐碑 維石崔嵬
 功徳千秋 感興後才
大正三年九月
 從三位勲二等文學博士三島毅撰并篆額及書
表功章徳の碑
 忠犬タマ公の碑<H22.10.11>
忠犬タマ公の碑 副碑文
 忠犬ハチ公は馴染みがあるが、猫のような名前の忠犬タマ公の碑だった。
 副碑文の内容は新潟の物語だが、新潟県人が横須賀に建立したようだ。

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 二人の散歩路記録
 2010.10.11