羽田の風景
 羽田神社 水門 レンガの堤防 羽田の渡し 大師橋親柱 ねずみ島 玉川稲荷 鴎稲荷神社 五十間鼻無縁仏堂
 白魚神社 穴守神社 大鳥居 三角点「羽田」 ハンの木 日航遭難者慰霊碑

 アクセス
 多摩川に架かる東京都道・神奈川県道6号東京大師横浜線(産業道路)の大師橋付から左岸堤防沿いを辿る。
=写真をクリックすると大きなサイズになります=
 羽田神社<2010.10.2> 国土地理院の地形図 周辺地図
羽田神社
 大師橋の袂に羽田神社があり、神社の裏側には富士塚もあるが、一般開放はしていないようだ
 水門<2010.5.22>  国土地理院の地形図 周辺地図
 大師橋からは水門が望めるが、水門へどうしたら行けるのかと考えていたら、橋から階段が下りていた。その階段を下って行くと、産業道路の下をぐるっと回り、無事、多摩川の左岸にたどり着く。堤防には「多摩川左岸海から2k」の標柱が立っている。また、「武蔵野路六郷コース」の標柱も立っていた。
水門 左岸堤防から 海から2km 六郷コース
 レンガの堤防<2012.5.17> 国土地理院の地形図 周辺地図
 水門付近の道路沿いにはレンガの壁があり、今まで、この傍を何度も通っていたが、これが堤防だとは気がつかなかった。大正時代の造られたものらしい。
水門の後ろに 道沿いのレンガ レンガの堤防 今の堤防と合体
 羽田の渡し<2010.5.22>
羽田道 羽田の渡 由緒書
 由緒書を見ると、この路は旧東海道から分岐する羽田道だったようだ。次に、羽田の渡を探すと、高速道路K1と産業道路に挟まれた所に石碑があった。由緒書を見ると、大師橋の出来る昭和十四年まで続いたようだ。徳川家康もここを通ったという。
 大師橋親柱<2010.5.22>
 旧大師橋の橋柱から、改めて、高速道路と大師橋を見る。傍にある多摩川の自然や多摩川八景の看板もある。
親柱 大師橋 多摩川の自然 多摩川八景
 ねずみ島<2012.5.17> 国土地理院の地形図 周辺地図
ネズミ島
 多摩川の中州の島で、名前が悪いが、野鳥のサンクチュアリとなっているようだ。昔は、梨園があったというから驚きだ。
 googleの上空からの写真を見ると、上流を向いたネズミの様でもある。
 玉川稲荷<2010.5.22>
玉川稲荷 玉川稲荷
 堤防沿いにあり、下りて行こうと思ったら、工事中だったので上から見る。
 鴎稲荷神社<2010.5.22>
鴎稲荷神社 由緒書
 鴎稲荷神社は袋小路にあった。由緒書を読むと空襲で本殿は焼失したが鳥居は焼けなかったようだ。
 五十間鼻無縁仏堂 <2012.5.17><2010.5.22>
無縁仏堂 弁天橋から(満潮時)
 「南無妙法蓮華経多摩川五十間端水死之諸霊位追善供養」と書かれた柱が真ん中に立っている。
 この五十間鼻には多摩川の水難者、関東大震災や東京大空襲の犠牲者のご遺体が漂着したと言う。
 小さな公園風の堤防に上がって見たら、左側から海老取川が合流し、羽田空港から大鳥居、河口まで見渡せる。のんびり釣りをしている人達もいる。
 五十間鼻は満潮時には水没している砂州が干潮時には、伸びて見える。
                               ←大
海老取川 羽田空港 大鳥居                  三角点:羽田        河口      五十間鼻
 白魚神社<2010.10.2> 国土地理院の地形図 周辺地図
 京急の穴守稲荷駅の南東に白魚稲荷がひっそりと佇んでいた。鳥居をくぐって、小さな境内に入ると、門の裏に「紀元二千六百年記念碑が鎮座し、本殿が目の目前に見えて来る。右手には石碑があり、移設した土地提供者の名前が並んでいる。台座には、由来書が嵌められていた。
鳥居をくぐり 本殿 石碑 碑文
 穴守神社<2010.10.2> 国土地理院の地形図 周辺地図
 西門が正門のようで、穴守稲荷の石柱た立っている。鳥居をくぐると、不定期と思われる店も並んでいる。中の鳥居をくぐると、左に社務所、右に神楽殿が見える。社務所の前には遷宮記念碑があり、最初は何処に建っていたのか気になる。
西門から 社務所を 神楽殿を 遷宮記念碑
 更に、奥に進むと南門からの参道が交差して、南を向いて本殿がある。交差点には岩石や三猿「見猿、聞か猿、言わ猿」の石碑もある。更に奥へ行こうと、歩き出すと由緒書き、立ち止って見る。
本殿を 岩石 三猿の石碑 由緒書き
 岩石名 輝緑凝灰岩
第三紀より古い地質地代の地層中にはさまれ
る岩石で 塩基性の玄武岩 安山岩質の火山
性岩石で 凝灰岩は 火山活動により出来た
ものです 武甲山周辺のものは さまざまで
あるが 主に輝緑凝灰岩の噴出時の火山灰
が 海底に堆積し固結した 古代の時代の
凝灰岩です 当岩石は関東産地の古い生界の
分布する所にあり 地層は秩父古生層と称さ
れ古生代末期 二億五千萬年前の 石炭紀
二畳紀の時代のものです 岩石の色は 緑色
暗緑色で 酸化第二鉄 赤鉄鉱を 含むこと
により 赤紫色をした 緻密は 塊状 片状
の岩石で 一般にさまざまな形に変質して居
ります。
   奉納者
       埼玉県所沢市日吉町十八ノ二十二
       鶴  ●  ●  作
  昭和五十二年三月八日
 鳥居の中には小さな祠が数多くあるり、必勝・開運・築山などと読みながら奥へ進んで行くと、奥の院が鎮座していた。
 奥の院から、南の参道を辿ると、飛龍明神の石碑や読めなくなった石碑の墓場のような所がある。
祠群 奥の宮 飛龍明神 石碑の墓場
 大鳥居<2010.5.22>
 足元には羽田の漁業の歴史が彫られている石碑がある。細い道路を辿って行くと、海老取川に架かる弁天橋を渡ると、大鳥居が大きく見えて来る。大鳥居の前には、大鳥居の歴史を解説した募金箱が置かれていた。
羽田の漁業 大鳥居 募金箱 大鳥居の歴史1
 その中で、一番目に止まったのが、昭和20年9月21日に48時間以内に立ち退きを迫られた住民3000余名が居たことだった。デモクラシーの国の軍隊も、随分と野蛮なことをしたんだと改めて思う。沖縄もやりたい放題のようで憂鬱になる。三角点「羽田」のある河口方向から、モターボートがエンジン音を轟かせて上がってきた。浜辺には、昔からこの地に咲いていると思われる花が咲いていた。海側から鳥居を眺める。
大鳥居の歴史2 河口 海側から
 三角点「羽田」<2012.5.17> 国土地理院の地形図 周辺地図
三角点 標石
 大鳥居からフェンスの切れ目から草むらに入り、河岸沿いを河口に向かうと、三角点「羽田:2.9m」がある。
 ハンの木<2012.5.17>  国土地理院の地形図 周辺地図
バス停 ハンノキ 由緒書き
 環八通り沿いの道を辿って行き、「羽田空港二丁目」バス停を通り過ぎると、道端に包帯を巻いた木があり、その傍に看板が立っていた。
 日航遭難者慰霊碑<2012.5.17>  国土地理院の地形図 周辺地図
 ハンの木の直ぐ傍に、工事用の柵で囲まれた広場があり、その奥に生垣が見えた。きっと、ここに違いないと思い、生垣を回り込むと、慰霊碑があった。慰霊碑は東を向き、多摩川側は開け、生垣越しには空港が望める位置にあった。
慰霊碑 多摩川を 空港を
 この慰霊碑は、1982年(昭和57)2月9日に福岡から羽田に飛来したDC-8型機が、機長の逆噴射により墜落して27名が亡くなられた事故のものだ。

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 二人の散歩路記録
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