泥川砂山(3m)

 ポイント
 探検家気分にさせてくれる樺太(サハリン)の山というよりは砂浜の砂が盛り上がったところ。  

 アクセス
 豊原(ユジノサハリンスク)から、バスで多蘭内(タラナイ)まで移動し、軍事仕様のトラックで多蘭内川を渡る。直ぐに、国境警備隊のチエックを受た。海に出ると、トラックは、昆布の山や大きな岩を避け、砂浜を進む。後は砂浜をひたすら走るが、時には海の中を行く。直線距離にして約40kmを3時間半くらいかけて泥川(ウリャーノヴカ)に着く。

 古地図 Google Map
=風景写真をクリックすると大きなサイズになります=
 7月27日<2002(H14)年>  北の山游詩:三平皿の欠片
 トラックが砂浜を進むと、海鳥が一斉に飛び立つ光景は一見に値する。樺太時代の国道は荒れ果てているので、車は砂浜を走るが、障害物があるときには海の中を進む。これがまた、迫力があった。
 途中、滝がある。親不知(おやしらず)の崖にさしかかると、七色の虹を思わせる苔が崖に生えているところもあったが、打ち上げられたコンブの上を走るので、写真を撮すどころではなかった。
 泥川の浜辺には錆びて棒杭から落ちている看板があった。旧市街地に行く道路には二つに折れた櫓が見えていた。そこを、キャンプ地と定めテントを張った。
海鳥が飛び立つ 海の中を走る 泥川の錆びた道標 シロヨモギ
 この浜には、花が咲いて綺麗だが、おびただしい熊の糞と足跡があった。
カラマツソウ ドングリの混じった糞 左:長靴、右:熊 新しい熊の糞
 浜辺にはエゾオグルマ、ハマエンドウ、ハマハタザオなどが咲いていた。運転手のアルティホフは何処からか鯨の1つの背骨を拾ってきて、トラックの前に付けていた。その鯨の骨を持って記念写真を撮す。
エゾオグルマ ハマエンドウ ハマハタザオ 鯨の骨
 泥川の河口近くに小さな沼があり、川は大きく砂浜に沿って、蛇行し海に流れていた。海と川に挟まれた所に、どうして出来たのか分からないが砂山があり、愛棒が登っていた。砂山からは、小沼越しに壊れた泊尾橋が見える。再び、海岸の花を見て回る。
砂山 小沼と壊れた橋 カラフトヒヨクソウ大× コウリンタンポポ
 砂浜に沿って住宅跡があり、それに直角に能登呂半島の最高峰となる臥牛山(俗名軍艦山)の峠に向かう道が交差している。交差点のコンクリートの柱に上にはツチノコの様に丸々と太ったカナヘビが日向ぼっこをしていた。
オクエゾガラガラ ハマベンケイ カナヘビ(大×) ハマハコベ
 二枚貝の一種のオカモノアライガイが2匹葉っぱの上でじゃれていた。花を見終わり、キャンプ地で夕食をしていたら、レーニアが熊だと叫んで、砂山に上がっていった。私も砂山に上がり対岸の熊をズームで撮したが、焦っていたのか全く方向違いの所を写していた。
オカモノアライガイ大× ハマナス シカギク 対岸に熊が大×
 次の朝、テントの中から出ると、真っ白な月が出ていた。やがて真っ赤な太陽が歪みながら海を染めだした。海岸線を散歩しながら花を見て回る。
真っ白な月(大×) 日の出 キツネノボタン エゾオオヤマハコベ
 改めて、古江、小沼、泊尾橋、摺鉢山、旧市街を見回す。
                         ←大
南側(古江)   小沼  泊尾橋        摺鉢山  西側(旧市街地方向)
 砂山越しに、旧市街地、その奥には旧スキー場の山が見える。
                         ←大
スキー場の山    砂山                キャンプ地
 菱取の方向は、まだ、朝焼けに染まっていた。
                     ←大
キャンプ地                   北側(菱取)    大泊方向 
 砂浜の陸側にある台地はツンドラで背の低い笹に混じって、イワツツジやイソツツジが生えていた。イワツツジは昔の住民はハゲペラと呼んでいた。どうやら、花の落ちた跡が禿げに似ていると思ったらしい。ジンタンもあるらしいのだが、どれだか分らない。山側に行くにしたがい、水が多くなり、水芭蕉のような植物の根を熊が掘って食べた跡があった。次第に、笹の背が低くなり、高山植物が多くなるらしいのだが、熊が怖くて止めた。

 物語風にした「サハリンの中に樺太を探しに」も別のHPにあります。もし、ご興味がありましたら、見てください。詩「三平皿の欠片」も作っています。併せて見てください。

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 二人の山行記録(遊びの時間を含む) 
 2002年7月27日(土) 数秒
 これで爺ちゃんと婆ちゃんの山行は終わりです。
 また、新しくするから、見てやってね

        優ちゃんより