| サイパン(Saipan)の戦争遺跡 |
| 退役軍人記念碑 3月28日<2014(H13)年>Google マップ |
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オレアイ野球場(Oleai Baseball Field)とビーチロード(ルート30)を挟んで海辺に鎮座している |
| マニャガハ(Managaha)島 3月29日<2014(H13)年>Google マップ |
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マニャガハ島(Managaha Saipan)の海岸はパラソルが立ち並びリゾート地になっているが、ヤシの木の木陰に一歩入ると大砲や鉄筋がむき出しになったコンクリート壁が見られる。海は青く綺麗だが、海中から沈んだ船の機関砲と思われる残骸が残っているようだ。 |
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| 黄色いビーチパラソル | 大砲 | 壊れた擁壁 | |
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| 大砲 | 沈んだ船? | 船の残骸 | |
| バンザイクリフ(Banzai Cliff) 3月30日<2014(H13)年>Google マップ |
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バンザイクリフは公園化されていて、岬にはキャンプ場があり釣り人も見られる。 崖の海岸線には多くの石碑、慰霊塔、慰霊碑等が鎮座している。見るに連れて、平和の尊さを問いかけられ心が締め付けられるようだ。 |
| 忠魂碑 |
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左の副碑は英語、右はの日本語刻まれていた(平成4年2月建立)。改めて、断崖を覗きここから飛び降りて亡くなった方々の冥福を祈る。願わくば捕虜になっても生きて家族のもとに帰って頂きたかった。戦没者受難者慰霊塔には今も献花されていた。 |
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叙
祖国の悲運に魁けて無惨にも散り往きし 尽忠の英霊に対し この碑を建て 萬腔の感謝と尊崇を込め 併せて世界の恒久平和を祈る 御製
国のため命ささげし人々のことを思へば胸せまりくる 皇紀二六五二年 平成四年二月吉日 荒原朴水撰文 |
| 戦没者受難慰霊塔 |
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慰霊塔には今も献花されていた。慰霊塔入口の左右には副碑があり、左が英語で右が日本語で刻まれていた。 |
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| 太平洋之塔 |
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二つのモニュメントがあり、その基礎コンクリートの上に献花台と思われるものがあり、その台に銘板「太平洋之塔/DEVOTE YOURSELVES
TO THE CREATION OF/THE PACIFIC GLOBAL ERA/MARCH 1970 A.D.」が貼られていた。 道路側のモニュメントの裏には碑文が貼り付けられていた。 |
| 慰霊塔、JBUの平和の碑、歌碑(サイパン小唄)、ダイビングクラブ碑が並んで鎮座していた。 |
| 慰霊碑群 |
| 太平洋戦争戦没者慰霊塔、 JBUの平和の碑「MONUMENT OF PEACE/平和の碑/サイパン島で失なわれた/尊いみたまに捧ぐ/2010.7.17 BANZAI CLIFF」、サイパン小唄碑(YouTubeサイパン小唄には最後の5番目の歌詞だけが刻まれている)、ダイビングクラブ碑が並んで鎮座していた。 |
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| 戦没者慰霊塔 | 平和の碑 | 歌碑 | ダイビングクラブ碑 |
| どんな気持で波間に消えた 時代は遠くはなれても なんでむなしく忘らりょか 風も泣きます バンザイ・クリフ 詩 加藤日出夫 曲唄三橋美智也 「サイパン小唄」より 一九八一年五月八日 第13回若い根っこ丸養生大学 五百二十一名によって鎮魂と平和 祈願のため建設すなお船で渡り ここに立ち祈りし我が研修生 五千五百余名を数える |
| 永遠の平和の祈りをこめて!! この碑は戦争を知らぬ若者による若者の為の 平和祈念碑です バンザイクリフの海底(水深20m) にも永遠の平和を祈る為の碑を建立しています 昭和55年9月7日 マリアナ地区海底慰霊碑建設委員会 ファニースキューバダイビングクラブ |
| ミヤギテレビ碑「安らかにお眠りください/サイパン島戦没者の霊に捧ぐ/ミヤギテレビ少年の船団員一同/1986 1 2」、鎮魂碑、小さな慰霊碑「陸軍准尉/勲五等功五級/勲六等功六級 /堤襄」、慰霊碑「昭和十九年七月八日死/行年二十六才/内田發」、慰霊碑「1987年1月14日/団長中安正衛建立・戦没者慰霊の/AKT少年の船記念」、平和の祈り碑「平和の祈り/Prayer for Peace/この島と周辺の海に眠るすべての み霊のご冥福を祈る/Eternal peace be with all the souls who perished on this island and in its surrounding seas」、太平洋友好協会の碑「血と涙/たヽえて沈むわ/春の海」、平和記念碑の副碑には千葉県遺族会の活動経過が刻まれている。 |
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| ミヤギテレビ碑 | 鎮魂・慰霊碑群 | ||
| 五味地蔵、北村之碑、慰霊碑「鎮魂/戦車第九連隊玉砕の地/己れ身を以て太平洋の防波堤たらん」、「霊よ安らかに」、「平和の誓い」、八丈島戦没者慰霊碑、小さな慰霊碑、南無妙法蓮華経太平洋戦争犠牲者供養塔、 ピースポール「世界人類が平和でありますように/May Peace Prevail On Earth」、サイパン島殉国同胞鎮魂碑、慰霊碑「We wish eternal peace/われわれはここに/永遠の平和を願う/「OMOIYARI」の心を持って/JCI社団法人日本青年会議所/東海地区協議会/2007年6月5日建立」と慰霊碑群が並んで鎮座している。岩山のマッピ山249mを背景に平和観音が鎮座している。複数の副碑があり、そのひとつには「さいはての島に/眠りし英霊の/み魂よ我と/故郷に/帰らん/宗教法人日本釈尊正法会/平田照美」と刻まれている。 |
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| 五味地蔵 | 慰霊碑群 | 平和観音 |
| 日本平和記念碑と最後の司令部跡 Google マップ |
| 引き返してミドルロードを左折すると、マッピ山249mをバックに日本平和記念碑がある。その前に案内板「JAPANESE PEACE MEMORIAL 日本平和記念碑」がある。屏風を連想させる記念碑は日本国政府が昭和49年3月25日に建立したようだ。 |
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| マッピ山 | 案内板 | 日本平和記念碑 | 副碑 |
| 傍には地蔵さんと墓石が鎮座していた。ラスト・ジャパニーズ・コマンド・ポスト(Last Japanese Command Post)に行く道端にも墓碑が見られた。トーチカ風のコンクリート製の古そうな建物があった。 |
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| 地蔵と墓石群 | 引き返す | 墓碑 | トーチカ風 |
| 中に入ると小窓(城でいう狭間(さま))があり、弾痕の跡が無数にあった。壊れた部分から外が丸見えだった。 |
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| 狭間(さま) | 内部 | 外が丸見え | |
| 弾痕の跡が無数にあるトーチカ風の建物からオーバハングの岩の下に延びる道を辿って行く。岩から見下ろすと陳列している武器群が良く見える。 |
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| 弾痕の跡 | オーバハングの岩 | 武器群 | |
| 階段を下ると看板「Last Japanese Command Post/最後の司令部跡」が立っている。一見、公園の様な佇まいに見えるが、振り返ると大きな岩の中腹に道が延びている。高射砲や魚雷等の武器は塗装されてよく手入れがなされているように感じた。 |
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| 看板 | オーバハングの岩 | 公園の様 | 高射砲 |
| 日本兵反撃計画と書かれた看板がある。公園で戦車と記念写真を写す。 |
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| 魚雷 | LEGEND | 記念写真 | 戦車と |
| 奉安殿 3月31日<2014(H13)年>Google マップ |
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| 奉安殿 | 道標 | 入口 | 解説板 |
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MYM記録 2014(H13)年3月28-3月31日 |